首相在職日数が歴代最長である安倍晋三氏が、7月8日(金)、奈良県・大和西大寺駅前で、選挙候補者の応援演説中に男から手製の銃で銃撃された。現場で緊急救命措置を受け、ドクターヘリで奈良県立医大病院に搬送されたが、病院に搬送された時には既に心肺停止状態であった。その後も救命措置は続いたが、午後5時3分に死亡した。→こちらなどの報道
この報道をみて、日本では、たくさんの首相が襲撃に遭遇していることを思い出した。
調べてみると安倍晋三以外に:
1.伊藤博文(初代、第5、第7、第10代):1909年(明治42年)10月26日にハルピン駅で、大韓帝国の安重根によって射殺された。
2.原敬(第19代):1921年(大正10年)11月4日に、東京駅で国鉄職員であった中岡良一によって刺殺された。
3.高橋是清(第20代 1921年から翌22年(大正11年)まで首相を務めた):大蔵大臣時代の1936年(昭和11年)2月26日に、自宅の二階で陸軍青年将校が起こしたクーデター(二・二六事件)の最中に射殺された。
4.濱口雄幸(第27代):1930年(昭和5年)11月14日に、東京駅で右翼活動家の佐郷屋留雄に銃撃された。一命はとりとめたものの療養生活を余儀なくされ、首相を退任したのちの1931年(昭和6年)8月26日に亡くなった。
5.犬養毅(第29代): 1932年(昭和7年)5月15日に、首相官邸で青年将校が起こしたクーデター(五・一五事件)の最中に銃撃された。即死は免れたものの、その日の夜遅くに亡くなった。
6.斎藤実(第30代):犬養毅の暗殺後に首相を務めたが、1934年(昭和9年)に内閣総辞職をして首相を退任したのち内大臣となったが、1936年(昭和11年)2月26日に、自宅で青年将校が起こしたクーデター(二・二六事件)の最中に射殺された。
上記の襲撃に遭遇した日時はいずれも戦前でね。戦後では安倍晋三が初めてかと思われるが、そうではないのです。首相や政党の幹部らが襲われた戦後の事件を拾ってみよう→こちらの報道など:
1.安倍元首相の祖父・岸信介首相が1960年7月、首相官邸で右翼活動家に刺され、重傷を負った。
2.同じ年の10月には、社会党の浅沼稲次郎委員長が当時17歳の少年に刺殺された。
3.1990年1月には、長崎市の本島等市長が右翼団体の構成員に市役所前で拳銃で撃たれ、重傷を負った。
4.同じ年の10月には、丹羽兵助衆院議員が陸上自衛隊駐屯地の記念行事で刺されて死亡した。
5.1992年3月には、金丸信・自民党副総裁が栃木県足利市の演説中に右翼団体の構成員に拳銃で撃たれた。金丸氏にけがはなかった。
6.2002年10月には、民主党の石井紘基衆院議員が東京都世田谷区の自宅駐車場で、自称右翼団体の在日韓国人に包丁で左胸を刺されて死亡した。
7.2006年8月には、自民党の加藤紘一衆院議員の実家と事務所が放火され、全焼となる事件が起きた。
8.2007年4月には長崎市の伊藤一長市長が選挙の遊説後に暴力団組員に撃たれ死亡した。
奈良市で演説中の安倍晋三元総理に対して、手製銃を発砲して殺害させた奈良市大宮町に住む山上徹也容疑者(41):
演説開始前の様子:
2発目の銃弾が打たれた瞬間の安倍元首相。しゃがみこみ始めた様子が映っている。
警護SPが山上徹也を確保しようとしている。右下に移っているのは、使用された銃:
SPの警備方法などに疑問が上がってますね。また、山上容疑者の動機・精神状態の解明が待たれてますね。
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