◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎「新版/年表・末松太平」/(17)映画『反乱』+公開対談◎

2023年03月27日 | 年表●末松太平
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《「年表・末松太平」1954(昭和29)年。/末松太平=48歳~49歳。私=13~14才。》
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◎1954年1月。新東宝映画「反乱」封切。
◎千葉市の映画館のステージで「立野信之・末松太平」の公開対談が行われた。
・・・この公開対談は地元紙の千葉日報(当時は「千葉新聞」?)に掲載された。
★「映画上映+歌手実演」が珍しくなかった時代だが「映画上映+対談」には驚いた。
・・・これを機会に「千葉新東宝」から無料招待券が届くようになる。私が映画マニアになる遠因である。

★私は、この時点でも「二・二六事件」の名前は知っていたが「どういう事件か」は知らなかった。
・・・末松太平も(息子には)事件のことを話さなかった。だから映画館で「対談」を聞いていても、全く理解できなかった。

★予備知識が皆無だから映画の印象は強烈で 相沢中佐(辰巳柳太朗)、栗原中尉(小笠原弘)、安藤大尉(細川俊夫)、磯部浅一(山形勲)の方々は ご本人よりも俳優諸氏のイメージの方が(今でも)強かったりしている。
香田大尉を演じたのが丹波哲郎。まだ新人だったので(メインキャストなのに)ポスターに名前がない。かなり強烈な印象で、香田大尉というと丹波哲郎の顔が浮かぶ。賢崇寺法要などで会う香田氏(大尉の甥)は 元オマーン大使の穏やかな紳士。丹波サンのイメージはない。
・・・末松太平は 北一輝(鶴丸睦彦)が「ヨボヨボ爺さん」なので立腹していた。北一輝=享年52。ヨボヨボ爺さんであるわけがないのだ。



◎映画「叛乱」は「千葉新東宝」では 3週間ほど上映されていた。
・・・当時は「毎週新作封切」が映画興業の定番で 新東宝映画の正月第2弾が「叛乱」であった。古い自筆メモによると 私は1月4日と1月6日に「叛乱」を観ている。
・・・1月16日。私は(無料招待券で)正月第3弾「娘十六ジャズ祭り」を観て 熱烈な「雪村いづみファン」になった。
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《「年表・末松太平」1955(昭和30)年。/末松太平=49歳~50歳。私=14~15歳。》
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★資料★・・・・・・・・・・
《週刊新潮「墓碑銘」1993年2月4日号掲載。》
「戦後も青森をしばしば訪れている。古い友人である竹内俊吉青森県知事の選挙運動を応援したり、第五連隊当時の仲間に会うのが楽しみだった。」

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《「年表・末松太平」1956(昭和31)年。/末松太平=50歳~51歳。私=15歳~16歳。》
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◎ある資料には「昭和31年は約1ヶ月、青森に滞在している」と記されている。
◎昭和31年~36年にかけて 雑誌「青森県評論」に あれこれ書いている。
・・・内容は「二・二六事件とは無関係」なエッセイである。


★資料★・・・・・・・・・・
《末松太平の「遺品」から。/スクラップブックに遺された「青森県評論」寄稿作品の数々。》
●01/「私の現在の心境/それを問われた老人への答として」
●02/「橋の穴・運河の死体」、「燕の来た頃のおもい」、「『修身科』のこと」
●05/「ペスタロッチの墓碑銘からの連想」
●06/「裏表/うらおもてわからぬ人を友とせよ、このてがしわのとにもかくにも」
●07/「美辞麗句とエキゾチックな扮装」、「原型の国、大乗の国」
●09/「私の現在の心境」、「続・私の現在の心境」、「赤旗の限界」
●12/「ローマ・オリンピックの後に/意気地ということから」
●13/「陽春断想」、「筆の向くまま」、「選挙民政治」
●16/「『極東』ということ」、「わが訴え、わが願い」、「否定・肯定」
●19/「しがこもとけて/冷戦の氷がとけるというから」
●20/「私の再軍備論/世界全体無軍備にならないうちは、日本の無軍備はありえない」
●21/「ままならぬ世の中」
●22/「どうお考えでしょうか/深沢七郎の『風流夢譚』について」
●23/「年頭の感として/技術革新と人間生活のギャップを埋めるもの」
●24/「対岸の火災をみて自家の火元の点検をすること」
●25/「軍隊教育からみた青森県民性の長短所」
●26/「水泳と僕」、「紀元節復活」、「暇(ひま)」
●29/「百の寺を建てるより一人を救うこと」
●30/「一街頭ビラからの随想」、「青森県礼讃」
●32/「何たる失政ぞ/六月十八日に想う」
●33/「生の文明・死の文明」、「共通の地球」、「私の切手週間」
●36/「沈丁花を荒らしたのは誰だ!/住みよい社会をつくる方法はただ一つ」
●37/「客観的批判を/平和と友愛と自由のために」
●38/「筆の運ぶままに/退歩的野蛮人の手記」
・・・以上 順不同。掲載順ではありません。
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