◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎ひとつの終幕・その後◎

2011年12月26日 | 末松建比古


今年も残り僅かになった。ということで、皆様に「新年の御挨拶にかえて」を画像でお届けする。いわゆる喪中葉書であるが、私自身には「喪に服す」という概念がない。末松太平が生前に描いた絵(平和観音像)をPCに取込んで、明るい雰囲気に仕上げてみた。

2011年12月22日。末松敏子の逝去から丁度3ヶ月が経過した日に、Hサンという未知の方から心の和む御手紙を戴いた。まだ詳しいことは書かないが、未知の方からの手紙(私の住所を調べていただいたということです)という書き方で、手紙の内容(用件)は皆様にも推測できると思う。

私は「文は人なり」と思っている。だから未知の方であっても、文章から人柄が推察できると思っている。正確に言えば「文は人なり」よりも「文字は人なり」である。未知の方であっても、文字を見れば人柄が推察できると思っている。そういう意味で、末松太平の書く文字は「私のお気に入り」だった。
まだ詳しいことは書かないが、Hサンの文字を見ただけで、私はHサンに好感を抱き、手紙の内容(用件)を前向きに受け止めることにした。偶然の暗合ではあるが「末松敏子の月命日」に届いた手紙というだけで、御縁のようなものを感じたのも事実である。

話題は変る。先日、ほんの短時間だったが、浦和駅東口の中央図書館に立寄った。
当然「現代史」の書架に足が向かう。末松太平「私の昭和史」と河野司氏の著作が、偶然だと思うが2冊並んでいたのが嬉しかった。
次の予定が迫ってはいたが“保坂正康著「一語一会・出会いで綴る昭和史」清流出版2000年8月15日初版”を見つけたので、流し読みで「末松太平」の部分に目を通した。
この本が出版された当時、私は銀座の大型書店で流し読みはしたが、いささか立腹して購入しなかった。この本が出版された時、既に末松太平は死去していて、何を書かれていたかを知らない。私の感想は「当人がこの本を読んだら、多分激怒しただろう」ということだった。
保坂氏曰く「私は、末松は情の人ではなく、理の人というイメージをもっているが、それでもこうした論文は明らかに感情のみで書かれていた」

「一語一会」は、その後タイトルを変えて“講談社文庫「昭和史 忘れえぬ証言者たち」2004年12月15日第1刷発行”に変身した。
保坂氏曰く「二・二六事件は、青年将校の至純の情によるとか、国家改造をめざす無私の精神のあらわれ、という言い方がされるのであったが、私はそうした見方に同調はしていない」
既に視力が衰えて、文字を読むのも拡大鏡で1字1字を追っていた末松太平老人が、こういう書かれ方をされるとは気付かぬままに、保坂氏と真剣に話していたと思うと、何となく哀しい。

2011年12月26日。Hサンから電話(私の電話番号を調べていただいたということです)を戴いた。Hサン=男性と思い込んでいたので、いささか動揺しながらの応答になった。文字は人なり。文字を見れば人柄が推察できるが、性別まで推察できるとは限らない。秘かに苦笑。
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