◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

35.事件関係者の息子が見た二・二六事件「重要!」:82回忌法要御礼と軍法会議裁判資料の公開

2017年08月31日 | 今泉章利
35.事件関係者の息子が見た二・二六事件「重要!」:82回忌法要御礼と軍法会議裁判資料

些か(いささか)遅くなりましたが、7月の法要に参列された方に対し、8月の初め、次のような御礼のご挨拶を致しました。

拝啓 
  去る、七月十二日の八十二回祥月忌法要には、ご多忙中にも関わらず、又酷暑の中、ご参列頂き、衷心より有難く厚く御礼申し上げます。 
おかげ様で、皆様方の深い思いに、支えられ、心のこもった静かな法要を執り行うことができました。
当日ご報告致しました「公判記録の公開」につきましては、その後、予定通り八月中に行うとのお話も頂いております。
「公判記録の公開」により事件への関心が高まり、新しい世代の方たちが、様々な角度から事件を研究して頂きたく願っております

 私共は、今後とも心を尽くして慰霊の誠を献げたく存じております。
先ずは、略儀ではございますが 御礼に代えさせて戴きます。
                              敬具
  平成二十九年八月

文中にある、公判記録の公開とは、1988年に発見された東京地検の軍法会議の二・二六事件裁判資料である。この資料は、米軍の接収後に、法務省管轄の東京地
方検察庁に返還され、東京地検に保管されていたものである。
この資料は、二・二六事件の研究者のみに限って、1992年になって、一部の学者に閲覧許可が与えられ、判決(裁判書(さいばんがき))のみが、1994年に朝日
新聞より「二・二六事件 判決と証拠」として出版された。また、1997年に裁判を受けていた池田さんが「二・二六事件裁判記録ー蹶起将校公判廷ー」として、
当時の裁判の状況もふまえて、青年将校たちの裁判記録を、原書房より出版されている。また、1998年には松本一郎教授が、名著「二・二六事件裁判の研究ー軍
法会議記録の総合的検討ー」を著された。

私は、2005年、東京地検より制限なしの許可を受け、主に「水上源一」や青年将校の行動記録を中心に、裁判記録を、東京地検記録係において、閲覧した。
当時は、原本が痛む理由から、東京地検がコピーを作成し、我々が接することができたのは、この分厚いコピーのファイルであった。
私のメモによれば、訴訟記録32巻、行動隊記録29巻、不起訴記録6巻および不起訴記録7巻、裁判書1巻、の計66巻の他、事件簿4冊、被告人索引簿があり、約11万ページにわたる裁判記録は、推定210冊くらいの白黒のB4コピーファイルであった。
夫々のファイルが大変重く、記録係の方を煩わしながら、ガラスに仕切られた閲覧室で、ノートに書き写していた。東京地検では、その立場上、コピーや写真は一切認めなかったのである。

ところが、、昨日の2017年8月30日この資料が、一般公開されたのである。わたくしは、12年前に与えられた東京地検の閲覧のときを思い浮かべながら、
また、本日、国立公文書館で、実際に閲覧した。
すべて原本で、資料を手に取った時の思いが強烈であった。
資料が驚くほど異常に軽いのである。 中を開くと、薄紙の陸軍用紙に鮮やかにかかれた裁判記録、鉛筆書きの自筆の上申書や所感などが、ぎっしりと綴じられている。
またさらに驚いたことには、デジタルカメラであれば、フラッシュを焚かない限り、自由に撮れるという。
二・二六事件は80年のときを経て、私たち国民のまえに、その姿を現わしたのである。
私は、この高ぶった興奮を胸に、すべての事件関係者に思いを馳せながら、公文書館を出て、竹橋に向い、紀伊國坂を下って行ったのである。
二・二六事件を、次の若い世代の人たちが、新しい視点で、研究されることを切望するものである。この11万ページの生々しい一次資料は、現代史における超一級の資料である。
非公開、弁護人なし、上告なし、暗黒裁判の殆どがわからなかったこの大事件の資料の全貌が21世紀の日本人の前に、いきなり現れたのである。
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