◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎2023年・慰霊像ご奉仕納め◎

2023年12月29日 | 末松建比古
 

2023年12月28日。JR原宿駅をスタート 代々木公園からNHK(新本館建築工事が進行中)沿いを歩いて「慰霊像」へ。連絡された「10時半」の直前に到達したのだが 今泉章利サン+森田朋美サン=お二人の清掃活動は 既に終盤に差し掛かっていた。
83歳老人(私)の体力を配慮して 今泉サンは「敢えて清掃が終る頃の時間を知らせた」のだと思う。結局 私の行動は 寄せ集められていた枯葉を 塵取りで処理しただけ。それでも狭い石段の登り降りにヨロヨロして 情けない限りであった。
清掃を終え 正月飾り&供花を済ませて 焼香合掌そして読経。今泉サンによる読経は 83歳老人を浄化してくれる。 

二・二六事件慰霊像は 渋谷税務署の敷地内にある。御用納めの日に御挨拶に伺うのが 毎年のシキタリである。
担当部門の係長サンが丁寧に対応してくれる。私の役割は 今泉サンの後ろで一緒に頭を下げるだけ・・・の筈だったが。思いがけなく係長サンに紹介されて 名刺交換という流れになってしまった。

賢崇寺の近くで昼食&「慰霊像護持の会」の忘年会。忘年会とはいっても 参加者は僅か3人だけ。これから先 慰霊像護持の会は無事に継続されていくのだろうか。
談笑のなかで「仏心会の代表が交替した」ことを初めて知った。香田代表から栗原代表にバトンタッチされたという。新代表は 栗原安秀中尉に所縁の方だと推測するが DNA的にはどういう繋がりの人物なのだろうか。
栗原安秀中尉と末松太平大尉との間には 親しい繋がりがあった。だからといって 新代表の栗原サンが 末松太平を知っているかどうかは判らない。

東京都港区の賢崇寺の近くから 東京都板橋区の(JR板橋駅近くの)酒場にワープして 二次会 そして三次会。
千葉県柏市住民&東京都八王子市住民のお二人にとって「自宅から遙か遠い場所」でのお開きという 申し訳ない次第となった。(末松)
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◎令和5年師走の憂鬱・緊急連絡のようなもの◎

2023年12月22日 | 末松建比古


年が明ければ 確定申告書の作成。今回は 諸事情あって 税理士センセイの助力が必要になっている。
税理士法人事務所(南池袋)を訪問。ついでに「ジュンク堂書店」現代史コーナーを視察する。
予期したとおり「二・二六事件関連書籍」は ご覧の状況。何とも淋しい限りである。
やはり「完本 私の昭和史/二・二六事件異聞」には 後継する書籍は皆無だったらしい

◎緊急連絡のようなもの・・・。
数日前 突然に「So-netメール」が使用できなくなった。「メール」をクリックしても「So-net」が表示されない。
前回掲載した「今泉サンからの連絡」の際は 何事もなく「了解返信」できたのに・・・。
「もしかすると(今泉サンから)慰霊蔵前集合時刻の変更メールが来ているかも・・・」
我家のパソコンには So-netメールが届かないから 私が知るよしもない。
突然の「So-netメール」トラブルに 83歳老人は困惑するばかりである。

とりあえず「So-netメール」の緊急策として「Outlookメール」を接続した。
しかし 知人友人で この「Outlookメールアドレス」を知る者は 誰1人居ないのが現状である。
思い起こせば「完本 私の昭和史」の刊行も 中央公論新社からのメールが発端だった。
もしも 今の状態だったら 橋爪史芳サンとの度々の連絡も 不可能だった訳である。

今回の事件(?)は「進化したOutlook」が原因である。進化は誰にも止められない。
実は 先日 税理士事務所を訪ねた際も 住所メモに誤りがあって 電話で問い合わせる必要ができた。
しかし 周辺に公衆電話は見当たらない。スマホ&携帯を所有しない私は 池袋駅構内まで引き返すしかなかった。
来年後半には 健康保険証も消失する。現金では支払い出来ない店も増えてきている。こうして アナログ老人の私は 徐々に「生きる術」を失っていく。

《追記》私への連絡には(So-netメールではなく)電話又は「コメント欄」をご利用下さい。Outlookメールで返信いたします。(末松)
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◎2023年師走・感慨のようなもの◎

2023年12月16日 | 末松建比古



2023年も残り僅か。年賀状の宛名をポツリポツリと書き始めていて・・・。
2024年の干支は辰。私自身は「七度目の年男」だが 多分「八度目」を迎えることはないだろう。

今回の年賀状には「謹賀新年/兼・生存報告書」という趣向を取り入れている。
年々「年賀状・止めます宣言」する人が増えてきている。
それはそれで理解はできるが そのまま「知人=生存不明者」というのも何となく虚しい。
私(&家人)の生存報告書・・・。年賀状の相手は年々減少しているから この趣向もいつまで続くことやら・・・。

年々減少といえば 二・二六事件関連の出版物も急激に減少している。
末松太平「完本 私の昭和史/二・二六事件異聞」2023年1月10日・中央公論新社刊。
私の知る限りでは その後 新しい「二・二六事件関連出版物」は店頭に登場している気配がない。
「完本 私の昭和史」が《最後の事件関連出版物》というのでは あまりにも淋しい。

ここ数年 賢崇寺の法要にも 足が遠のいている。
というよりも(新型コロナの影響もあって)法要に参列できるのは「仏心会の幹部」限定になっている。
仏心会=「二十二士」の遺族会。最近の法要は「仏心会+慰霊像護持の会」の共催だが 私(二十二士の遺族ではない)とは無縁の催しになっている。

「ご無沙汰しています。/12月28日(木)10時30分より、年末年始の清掃、正月飾りを致したく存じます。/もし、ご都合がつけば、ご参加賜りたく、何卒宜しくお願い申上げます。/朋美サンも是非にと申しております。/今泉章利拝」
渋谷税務署に隣接した「二・二六事件慰霊像」は 実質的には 今泉+森田朋美サン「二人だけ」の尽力で護持されているといっても過言ではない。こうして協力を求められれば 83歳老人(私)も重い腰をあげざるを得ないではないか。
例年12月29日は「東京都ウオーキング協会/山手線一周ウオーク」に参加して 歩行途中の「慰霊蔵=正月飾り」表敬訪問が定番だったのだが・・・。
さて 今年は・・・。(末松)

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