◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

遅ればせながら、陸士47期 榎本忠孝さまのこと  (矢作雅男さまからのコメント)2017-07-26

2018年01月15日 | 今泉章利
昨年の7月に 矢作雅夫さまから次のようなコメントを頂いておりました。

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大叔父に当たる 陸士47期 榎本忠孝  (矢作雅男)2017-07-26 16:53:14今泉章利様
大叔父に当たる 陸士47期 榎本忠孝 は昭和11年5月16日 近歩4営内将校舎にて自ら命を絶ちました。私は今年65歳 父親は平成24年鬼籍に入りました。90歳の生涯でした。陸士54期 近歩3でした。旧制 中学時代に突然亡くなった従兄弟 榎本忠孝のことを時々話してくれました。当時の時代背景を考えると胸が痛みますが真実が知りたいと思っています。
UNQTE

矢作様 返事が大変遅くなりお詫び申し上げます。
大叔父様の、榎本さまは、父と同じ47期、また、54期のお父上さまは、近歩三とは、不思議な御縁を覚えます。
まず、大叔父様の榎本さま(本籍埼玉)平成7年に発行された47期の任官六十周年記念号の物故者名簿の4番目に記載があり、「昭和11年5月16日 近歩4営内将校舎にて自決」とありました。
それよりも20年前に、任官40年記念号として「追憶」という追悼録がだされ、砂川清治さんが昭和11年10月に書かれた、「榎本忠孝君」という文章と、倉田宏さんが同じく昭和11年に書かれた文章が載っています。事件直後のこともあるでしょうが,
自決の原因に対する推測はされておりませんが、大変立派な方であったと記されております。お持ちでしょうか。
お父様の矢作さまは、矢作武三さまであられますでしょうか。記録には近歩三第九中隊とありました。
私も体調があまり良くないのですが、元気なうちに拝眉の機が与えられることを祈っております。

大変遅くなりました。お詫び方。
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国立公文書館二・二六事件資料 目次 行動隊29巻の内1-4號  (全般関係)

2018年01月13日 | 今泉章利
もう少し詳しく、、、1-4號  全般関係
以下のものは、東京陸軍軍法会議が作成したもの。1-4号では、1645人が関与している。

【1號】
①記録概要  捜査報告、予審請求、控訴状 等

②内容細目 全部ノ捜査報告、予審請求、予審終了報告、同意見書、控訴提起命令、控訴状、不起訴処分命令、三百十条告知書、
      身分異動通知、押収調書、死刑執行始末書 等

③備考   押収調書、全般ニ関係アルモノノミ  其他ハ各関係箇所ニ綴ル

【2號】
①記録概要 身元調書、 考課表写 等

②内容細目 将校、准士官、下士官、常人及 控訴提起ノ兵ニ対スル身元調書
      将校、准士官、下士官ノ考課表写
      将校班ニ属スル者ノ戸籍抄本

③備考   (記載なし)

【3號】
①記録概要 照会、回答、通牒 等

②内容細目 事件ニ関スル照会、回答、及 通牒ニシテ 記録トシテ保存スヘキ一切ノ書類

③備考   (記載なし)

【4號】
①記録概要 検證調書

②内容細目 首相官邸、侍従長官邸、高橋私邸、斉藤私邸、渡辺私邸、朝日新聞社、警視廰、新議事堂、陸相官邸、海軍省参謀本部、
      華族会館、幸楽、蔵相官邸、文省官邸、鉄相官邸、農相官邸、山王ホテル、黒龍會宿泊所ノ検証調書

③備考 湯河原ノ検証調書及河野大尉検視調書ハ湯河原班ノ記録中ニ綴ル

あと、将校班(5から10号)(23名)、下士官甲班(11-13号)(90名)、下士官乙班(14-17号)(75名)
湯河原班(18號)(8名)、兵班(19-29號)(1449名)と続きます。

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公開された二・二六事件軍法会議記録について

2018年01月12日 | 今泉章利
公開された二・二六事件軍法会議記録について その1


私の理解している軍法会議資料は次の通りであります。但し、東京地検に保管されていたものであります。即ち、
1.訴訟記録 32巻
2.行動隊記録29巻
3.不起訴記録 6巻
4.不起訴記録 (310から315条告知分)7巻
5.裁判書(さいばんがき と読みます)(判決文のことです)
6.事件簿4冊
7.被告人索引簿

体調の関係で、国立公文書館にいけなかったのですが、パソコンにリストがあり、訴訟記録や行動隊の区分と、請求番号、および、要審査か公開かの記述があります。 要審査は、申請して1-2日で決定がなされるそうです。本が決まったら、「特定歴史公文書等簡易閲覧申込書」に必要事項を記入すると貸出てくれます。
国の宝のような歴史資料ですから大切に扱ってください。私は、東京地検のとき、行動隊記録、なかでも、18巻湯河原班を中心に写していました。(でもこの18巻は、9月の時点では、公文書館はまだ要審査としていました)公開されたらもっとゆっくりと見てみたいと思います。
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平成30年(2018年)あけましておめでとうございます。

2018年01月11日 | 今泉章利
皆さま、あけましておめでとうございます。皆様のご多幸を祈念申し上げます。
本年は、慰霊像の清掃、賢崇寺における法要の実施、そして公開されました国立公文書館の資料の研究をつうじて、諸霊を偲び、慰霊の誠をささげたく存じております。何卒宜しくお願い申し上げます。

扨て、昨年(2017年)はいろいろななことがありました。感謝の気持ちを込めて思いつくままに、書かせていただきます。

1.2017年8月25日 国立公文書館
念願だった「事件訴訟記録」が次のように、東京地検から、国立公文書館へ移転し、公開されました。
8月25日付の公文書館のホームページには次のように書かれています。
QTE
3)軍法会議関係文書(平成28年度受入分)
法務省 判決原本綴等 384冊 本館 (注:竹橋の公文書館本館のこと、なお384冊には二・二六事件以外の軍法会議以外分も含まれている)
私の8月31日にブログにも多少かいておりますが、私の東京地検で書いたメモノートによれば:
訴訟記録32巻、 行動隊記録29巻、 不起訴13巻、 裁判書1冊、事件簿4冊、 被告人索引簿 とあります。
なお、この資料は、まだ、地理的関係もあるのか、御関心が薄く、なかなかご覧になられる方も少ないのですが、是非とも、オリジナルのーターをご覧になり、賢崇寺や渋谷宇田川町の慰霊像の御参拝など賜れば幸甚に存じます。昭和の時代の悲劇に巻き込まれ、とことん兵を愛していた若き将校たちの気持ちが、少しお分かりになると思います。事件の首謀者はすべて処刑され、関係者を予備役においやった所謂「軍閥」将官たちが、始めた戦争、すなわち日中戦争からの悲惨な戦争は、ついに「兵」を「モノ」のように扱い「特攻」「玉砕」や「インパール」などをへ、多くの国民を巻き添えにして終戦を迎えました。

2。弘前にお住まいの波多江たまさま、103歳になられました。お兄様の對馬勝雄中尉をここまで思われ続けておられるお気持ちに深く敬意を表するものであります。

3.11月13日、末松建比古様が、初めて拙宅に来てくださり、小生の持っている資料等をご覧になり、様々な意見を交換いたしました。また、「二・二六事件諸士 遺詠集」(初版昭和27年7月12日)に,末松太平先生が鉛筆で遺詠を追加された者を見せていただきました。例えば、西田税様のうたには、「かの子達はあをぐもの淵に、、」などを書き加えておられました。(外にもたくさんあります)太平さまのお気持ちが、心に染み入る様な気がいたしました。お許しが得られれば、末松太平追補版としてこの遺詠集を、印刷したいと願っています。

4.6月、田中孝さま、御子息の千晴様のご案内による田中勝中尉のお墓参り(埼玉県児玉郡安光寺)を行いました。(下関のお墓のお骨を改葬したものです。墓石はそのままだそうです)なお、12月に、有志によるお墓参りを行いました。

5.これまで何度かお問い合わせのあった、仙台の郷土研究家の中嶋久壽さまの「村中孝次と仙台」(B5で6ページ)という研究論文が、仙台郷土研究(復刊第42回第2号、平成29年12月)に掲載されました。ご興味のある方はご連絡くださいませ。

本年もよろしくお願い申し上げます。

今泉章利(慰霊像護持の会世話人代表)

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