◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎「相互監視社会」の恐怖◎

2020年05月06日 | 末松建比古
◎新型コロナウイルスの感染拡大に伴う「緊急事態宣言」が5月31日まで期間延長された。
※そのこと自体は仕方ないと思うが 国民の苛立ちを煽りたてるような《心情操作》が些か気がかりである。その結果 ある種の監視社会への萌芽が徐々に・・・以下省略。賢明な諸氏に対して これ以上の説明は無用であろう。



※不要不急の外出は自粛要請されている。特に県境を越える移動は厳しく戒められている。県外ナンバーの車は《正義の人》によって攻撃されたりもする。
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※心得7「三日以上十日未満ノ旅行ヲ為サントスルトキハ監督警察官署ニ其事由、行先地及旅行日数ヲ届出ツ可シ」
※心得8「住居ヲ移転シ又ハ十日以上ノ旅行ヲ為サントスルトキハ其事由、行先地及ビ旅行日数ヲ記載シテ監督警察官署ノ許可ヲ請ヒ旅券ヲ受ク可シ」

※これは 1939(昭和14)年4月29日。末松太平に手渡された「假出獄證票」の裏面「假出菊者心得事項」に記されているものである。心得事項は1から10まであって「違背シタルトキは假出獄ノ處分ヲ取消サルルコト」になっている。
「假出獄證票」によれば 末松太平の刑名刑期=禁錮三年。その横に「禁錮四年言渡ノ処昭和十三年勅令第七十六號ニ依リ減刑」と記されている。
刑期は 昭和十二年一月十八日より執行され 昭和十五年一月十七日で刑期終了。假出獄期間は(昭和14年4月29日~昭和15年1月17日の)八月弐拾日。出獄当日に「住所ノ地ニ到達スヘシ」との仰せである。假出獄後住居地=千葉市登戸町二ノ一一七 久保三郎方末松敏子ノ許。

※心得1「刑務所ヨリ指定セラレタル日限ニ住居ノ地ヲ管轄スル警察官署ニ出頭シ此證票ニ認印ヲ受ク可シ若シ旅行數日ニ渉ルトキハ警察官署所在地ニ宿泊シ其警察官署ニ出頭シ認印ヲ受ク可シ」
「假出獄證票」の左端には「記事及警察管吏ノ認印」という枠があって 毎月1回 出頭して認印を受ける必要があった。
4月29日、6月2日、7月3日、8月4日、9月11日、10月9日、11月7日、12月7日、刑期満了まで計9回 出頭日のバラツキが《和やかな認印風景》を想像させてくれる。



※1939(昭和14)年12月23日付「住所移転許可願」。假出獄期間中での住所移転である。
「東京飛行機研究所ニ就職セルニ依リ左記ニ移轉致シ度保證人連署ヲ以テ及願候也」
移転先=東京市杉並区天沼三丁目八六一。住所表示の「東京市」が心に留まる。
※私の戸籍謄本にも「昭和拾五年四月拾七日東京市杉並区天沼三丁目八百六拾壱番地で出生父末松太平届出同月参拾日杉並区長受附同年五月弐拾七日送付入籍」と記されていた。未だ「都民」ではなかったのだ。
※就職先「東京飛行機研究所」については 話が拡がりすぎるので 稿を改めて。(末松)
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