
「ブログ・末松太平事務所」は現在休止中。そして、再開を考慮するまでもなく「gooブログ」そのものが、まもなくサービスを停止するという。
サービス停止と共に「ブログ・末松太平事務所」も完全消滅。「二・二六事件」に関する様々な記録が、全て消失するのは無念の極みだが、宿命として甘受するしかない。
末松太平の「墓じまい」と競い合うかのように 末松太平事務所に届いた「ブログじまい」の通告。人生はホップ ステップ ジャンプ・・・そして衰退。 私自身にも「命じまい」の兆候が 徐々に現れ始めている。
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今後も「二・二六事件に関する事柄」を発信したいと願うなら、当ブログの引越しという手段が残されている。ブログの引越しや、引越しデータの作成についての方法も提示されている。しかし 情けないことだが85歳の老人には もはや引越しするだけの気力が残されていない。とはいえ 約20年にわたる「末松太平事務所」の記述のなかには「霧散させたくないもの」も多々残されている。そういうことで テーマ2つを限定して(加筆修正をしながら)プリントアウトすることにした。
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◎テーマ1◎「新版/年表・末松太平」(1~41)+(ドキュメント死・5編)+(余録・10編)+(資料)。
「年表・末松太平」は、末松太平死去の直後に急遽作成したもので「田村重見編/大岸頼好・末松太平・交友と遺文」や「筒井清忠解説/私の昭和史」などに転載されていた。しかし、内容的には不備な部分が多いので「新版」をブログ掲載していた。今回のプリントアウトでは、ブログ掲載版に大量の加筆修正、画像や関連資料も加えて「完全版」と言えるものが完成した。
◎テーマ2◎「黄昏ギャラリー/末松太平事務所・Ⅱ」老母末松敏子視察シリーズ。
こちらは、2006年頃に開設した「二・二六事件とは全く無関係のブログ」である。殆どプライベートな内容で「日記」のようなもの。今回 加筆修正しながらプリントアウトしていると 老母が健在だったころ(最後は重度の認知症だったのだが)の思い出が 奔流のごとく蘇ってきた。
テーマ1と2、プリントアウトしたものは それぞれが80ポケットのファイルブックに納まった。背表紙のタイトルは「新版/年表・末松太平」と「追悼/釋静敏」。この世に2冊だけ存在する貴重な資料である。
ブログ引越しの案内には「書籍化機能」の説明もあるが全く関心がない。面識ある「自費出版専門の出版社」サンからも連絡があったが、丁重にお断りをした。
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《若杉良作著「天皇を覚醒させよ/魔女たちと宮中工作」2025年・講談社刊》が「謹呈 著者」として送付されてきた。若杉氏は「新潮45」元編集長。かなり以前に取材要請に応じて 飯田橋駅近くの喫茶店で逢ったことがある。
《末松の長男・建比呂氏にお会いした際、「千鳥の栞、宗教法人千鳥会編」と題された手書きの原稿用紙の束を見せていただいたことがある。どうやらそうした題名の刊行物があり、誰かが書き写した・・・》。建比呂氏=私。まあ、訂正を求めるほどのことでもない。
宗教法人千鳥会のことは 末松太平著「私の昭和史」の最終章「大岸頼好の死」の中で詳しく記されていた。この辺りの事柄は 若杉良作著「天皇を覚醒せよ」でも引用されている。ついでに記せば 私が「千鳥の栞」を所有していることを若杉氏が知ったのは「ブログ・末松太平事務所」を読んでのことである。
今までにも 二・二六事件研究者の方々から「末松太平事務所」が機縁となって 連絡を受けるケースが(時折ではあるが)存在していた。今回の「ブログ閉鎖」は 情報発信の手段を失うことでもある。今まで続けてきた「二・二六事件を風化させない」という努力を放棄するような気がして 内心忸怩たるものがあるのは事実である。