◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

靖国神社からのお預かりもの 日露戦争と大東亜戦争

2009年09月23日 | 今泉章利
先日、靖国神社から1000冊を超える本をお預かりした。その中に、日露戦争の大本営が発表した明治37.38年戦争に関する本の付属文書の一部が含まれていた。本文は、大本営がまとめたもので、明治27・28年戦争と一緒に、小生は持っている。しかし、その付属文書は初めてである。付属文書は、一冊15センチのぐらいもので、5センチぐらいの付図が付いていて、それが10セットある。全部では20セットくらいあるのだそうだが、その一部である。
中身は、各戦闘の状況が仔細に記録されていて、日露戦争の恩賞は、このような、詳しい資料(もちろんこれ以上の詳しいものがあるはずだが、、)によってなされたのではないかと思料する。

それに比して、大東亜戦争の資料には、そのような資料はない。戦後、防衛研究所のまとめられた資料も基本と概略であり、その詳細、いわんやその武勲がわかるようなものではない。
最終的に四百万人ともいわれる数に膨れ上がり、各地で悲惨な敗戦を余儀なくされた状況では、日露戦争のレベルでの記録などを期待するのが無理なのかもしれないが、少なくとも、戦争を実行した陸海軍にはその責任があると思われるが、終戦という名前を借りてすべてをうやむやにしたつもりの軍部には、決して消せない責任がある。過去のみならず永久にである。それは、人間の命をお預かりし、戦闘命令を下した命の重さに匹敵するからである。

靖国からお借りした大東亜戦争の資料には、敗戦時の軍隊の方たちが残された、聨隊中心の資料が多く含まれていた。一人では残せないが、戦友の方たちが集まって万感の思いを込めて書かれた資料である。亡くなった戦友たちの顔を思い浮かべながら書かれた資料である。すべては書かれていないだろうし多少の間違いもあるだろう。しかし、その極限の記録に、私は、二・二六事件以降の軍人、天皇絶対を信じて戦っていった日本人の姿を見ようとしている。

思えば、日本人は実に優秀な民族である。今の日本社会で通用しないとする人たちの多くは、世界では間違いなく一流である。この優秀な民族が、組織した大日本帝国陸・海軍は、とてつもなく優秀な組織であった。

ご聖断によって戦争は終わった。が、この戦争の歴史は、日本においてもう一つ、信じられないような捻じ曲げられ方をした。
いわゆる講座派と呼ばれる人たちの流れをくんだ「マルクス歴史産業の社員たち」による歴史の記述である。資本主義が高度化すると、帝国主義になり、それが崩れて、社会主義が出て、共産主義の理想が実現するというマルクス・エンゲルスの預言である。この予言を、さまざまな歴史の事実を書き並べた後で、それに近い言い方をすれば、よき歴史産業の社員になることができる。

私たちの世代は、この実にくだらない歴史授業のために大切な少年期の時間を無駄にした。しかし、それは、今になっても何ら変わっていない。かわいそうに、学校の生徒たちは同じ洗脳的な教育を頭にうえ込まれているのだ。


なお、このような歴史史観について、私がしばしばゆくベトナムの最高学府の超エリート大学では、ニュートン・アインシュタインと並んでマルクスが三大科学者として教育されている。

今回の靖国資料をお預かりした意味は大きい。二・二六事件の後につながった日本人の真の記録だからである。

(今泉章利)
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渋川明雄さんからの報告へのコメント 荒木発言

2009年09月02日 | 今泉章利
(以前に書いていたものを投稿するのを忘れていたものです。恥ずかしながら、掲載させていただきます。渋川様、すみませんでした。)

皆様 諸事情で、なかなかかけなかったことお詫び申し上げます。

さて、渋川明雄様から大変に貴重なコメントが送られてきました。直接話はしておりませんが、内務省資料「週報」からということですから、おそらく、憲政資料室あたりで入手されたのではと、ご努力に頭が下がる思いです。とくに、荒木発言にはショックを受けました。わたしも、啓示を受けたように、政府のトップの動きを調べて、この裁判の大きな流れを誰が作ったのかを知ることができたような気がしております。私も、牧野伯爵の政治的な動きを調べてみようと思っております。す。そのことは、二人だけの勉強会で、議論してはと思っております。
(注:渋川さん、お互い忙しいので、二人だけのメールリストMLでも作りましょうか)とにかく、心から感謝をしております!!(今泉章利)

以下は、渋川明雄様から頂いたコメントです。

林貞四郎氏は水上源一さんと親交があったことが解りました。
林貞四郎氏は、明大時代に善助さん等と共に昭和四年十一月「学生興国連盟」、昭和五年二月明大「興国同志会」を設立した主要メンバーでありましたが、同年には北海道小樽市に同氏の提唱により「全日本護国連盟」を結成しています。
同連盟は昭和十一年七月二十五日に解散式を行っているが、解散した理由について、「週報」昭和十一年第十六号「全日本護国連盟解散ニ関スル情報昭和十一年
七月二十六日北海道情報」に次のように書かれています。
「主宰者林貞四郎ハ実父ノ死亡及豫テ親交アリタル帝都叛乱事件関係者水上源一外数名ガ処刑セラルル等一抹ノ寂寥ヲ感ズル処アリ」のため解散を決意したと報告されている。

林氏と水上さんが、いつ、どのような経緯によって親交を結ぶようになったのかは、今のところ解りませんが、善助さんとの関係が一歩近づいたと思います。
また、「週報」第二十号「昭和十一年八月二十六日大阪府情報」には興味深いことが書かれていました。
それは、荒木貞夫大将が陸軍士官学校第九期生京阪神在住有志数名と八月十九日に甲子園ホテルに於いてすき焼きの晩餐会を催し、荒木大将の帝都叛乱事件当時の状況並びにその後に於ける軍部内情勢等に関した談話の報告です。その中で「叛乱将校ノ処分ニ就テ」では次のように語ったと報告されています。
「(資料の中では安田優さんとなっていましたが、明らかに水上源一さんのこと)検察官ノ禁錮十五年ノ求刑ニ対シ判決ハ無期ヲ超エ死刑トナッタ如キ、斯様ナコトハ実ニ前例ノ無イ事テ此ノ一事ヲ見テモ其間牧野伯等ノ策動ニ依ツテ吾々ノ期待ヲ裏切ラレタ様ナ感カスル」と。
牧野伯等の策動が事実であったとすると、湯河原襲撃組の一律十五年の禁錮刑、水上さんが光風荘に火をつけ、自分を焼き殺そうとしたことが牧野伯は後で解ったためか、禁錮十五年から死刑、牧野伯の偵察をし、自分も襲撃に加わる予定であった善助さんの死刑という厳しく重い刑を考えると、うなずける。法に依る裁きではなく個人的な恨み。
これについてはもう少し調べてみたいと思います。

(今泉章利)
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次世代の日本の若者たち

2009年09月02日 | 今泉章利
年のせいだと思いますが、よく、次世代の日本の若者たちは大丈夫なのか。否定、肯定いろいろな話を耳にします。
先日、テレビで、ある若者のジンガーソングライターと詩人のトークショーをやっておりました。場所は、立教大学の講堂で、満員の学生たちが静かに聞いておりました。
そのシンガーソングライターは、若者たちに評価されているのですが、一言でいえば、彼は、小さいころから聞かされていた話が、どうも、嘘くさい。歌の世界では、愛の歌ばかりですが、本当に自分たちの生きている世界はどうなのかという疑問に突き当たって、実際の人たちや若者が何を感じ考えているのか、現場で黙って、耳を澄ましたのでした。
彼は、そのときの想いをノーに書きとめて、詩を作り歌を作ったそうです。そうしたところ結果として、多くの若者の共感を得たということでした。

私は、この話を聞きながら、若い世代の本当の意味での知性の芽生えを感じました。いま、聞いていること、書かれていること、当然と思われていること、、みんな本当のことか。という疑問は、まさしく、重要な根本的なことです。教えられたことを自分なりに検証して、自分のものとして、自分の言葉で理解しなおす。そんなことを感じたのでした。

確かに、凶悪な犯罪などあったり、しつけの欠落した挨拶もできない若者を目にします。でも、映画「みたまを継ぐもの」(遊就館で上映中)に出てくるような若者は結構います。でも、われわれ世代は、この子供たちにしつけをせず、知識や要領のみを押し付け、礼儀も知らないまま育った世代を一概に断ずることができるのでしょうか。

(今泉章利記)
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