陸軍歩兵伍長の北島弘サンは、大正5年生れ。昭和11年7月5日、東京陸軍軍法会議で、禁錮5年の判決を受けた。
判決文の一部を引用すれば、理由は「小銃分隊長トシテ兵九名ヲ率ヰテ、同邸(斎藤実内大臣私邸)表門付近ニ於テ警戒ニ任ジタリ」
北島伍長所属の「歩兵第三聯隊第二中隊」に「事件に参加した将校」はいない。「下士官6名と兵12名」だけが参加している。その結果「命令ではなく自ら進んで参加した」とみなされて、他の中隊の下士官に比べて、重刑が科せられることになった。
末松大尉(青森)と北島伍長との間には、全く接点がなかったが、同じ日に釈放されたことで「縁」が生れたようである。
私が 北島サンと知り合ったのは「末松太平が死んだ後」のことである。それ以来、北島サンは 法要で出会う度に「すえまッつァん、来てくれたんだ」と嬉しそうな笑顔を見せてくれている。
「あなたのお父さんと、一緒に釈放されて、仕事も紹介してもらった」という昔話も、何度も聞かされた。生前の親父とは「話し相手にならなかった」冷淡な私だが、北島サンから聞く「親父の話」には、心が和ませていただいている。
ここ数回、北島サンは賢崇寺の「法要」を欠席。心配していたのだが、久しぶりの笑顔に出逢えて「嬉しい2月26日」になった。(末松)