◎2022年9月27日(火)。朝日新聞朝刊のトップ記事は「安倍元首相 きょう国葬」。
※「安倍晋三元首相の国葬が27日、東京都千代田区の日本武道館で執り行われる。首相経験者の国葬は1967年の吉田茂氏以来、戦後2人目。国内外から約4300人が参列する見込みで・・・(以下省略)」
※勅使・皇后宮使御拝礼/上皇使・上皇后宮使御拝礼/供花 皇族各殿下/献花 葬儀委員長、喪主、遺族、衆院議長、参院議長、最高裁長官、友人代表、海外の要人等/遺骨見送り。
※朝日新聞が伝える「国葬の流れ」を眺めていると 供花と献花の違いとか 会場に流れる「生前の映像」には「桜を見る会」が割愛されてるだろうとか、興味ある部分も少なくはない。
※安倍元首相が「国葬に相応しい人物」でないことは明白である。今回の国葬強行は やがて「令和の汚点」として歴史に刻まれるに違いない。そして「国葬」を強行した岸田首相も「令和の汚点」として歴史に名を残すことになりそうである。
※とりあえずは(強行が新たな凶行を誘発することのないように)今日一日の平穏を願うのみである。とはいえ「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ことだけは 絶対に避けなければならない。これが 9月27日朝に於ける我が心情である。
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※日本武道館は「葬儀」のための施設ではない。武道の館である。私は「戦いの場」として 日本武道館に入場したことがある。それは 約半世紀も前の出来事で 腕組みをして「戦いの開始」を待っているのが「約半世紀前の私」である。
※戦いの場=朝日新聞社・日本将棋連盟共催「職域団体対抗戦・将棋大会」。当時 総合広告代理店で「テレビCMディレクター」をしていた私は 毎年「職団戦=5人チーム」に参加していた。画像=第52回大会。F級の3回戦あたりで敗退したように記憶している。毎年 その程度の実力で 凝りもせずに出場していたということだ。
日本武道館で「戦った」といっても「武道」とは無縁であった。元軍人の息子としては 情けない限りである。
※日本武道館は(将棋職団戦以外でも)度々訪れていた。例えば 1977年には「ヤマハ・ポピュラーソング・コンテスト」を 日立家電・宣伝部のY氏と並んで観ている。家庭用のビデオデッキが各社一斉に新発売された頃で 日立家電「マスタックス」のTVCM第一作(出演・黒柳徹子)の企画担当は私だった。徹子サンと打合せを重ねた日々が懐かしい。因みに「コンテスト」グランプリ受賞曲は 世良公則&ツイスト「あんたのバラード」。無名の若者だった世良公則サンは 一夜にして人気スターの仲間入りをした。
※日本武道館は 昔も今も 各大学の入学式・卒業式の会場であり 私も東京大学入学式の父兄席に坐ったことがある。何故か 二・二六事件の関係者には「東京大学出身の子供や孫」が多いのだ。
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◎安倍晋三元首相の「国葬」に話を戻す。
※例え「国葬に疑義あり」という立場でも 葬儀に際しては礼を尽くして「故人を悼む」のが人の道というものだろう。TVの「国葬中継」は 静かに視聴した 画像参照=葬儀終了後も パソコンの壁紙に残して 半日ほどであったが「礼」は尽くしたつもりである。
※友人代表・菅義偉前首相の「弔辞」で読み上げられた「伊藤博文に先立たれた山縣有朋が詠んだ一首」が(今まで知らなかったこともあって)心に残った。報道チェックすると マスコミ各社の方々も同様の思いを抱いたようである。
※「かたりあひて 尽くしし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」
これからしばらくは いろいろな方の葬儀の場で「この一首」が 繰返し転用されるのだろう と思う。
※言わずもがなの一言を付け加えておく。
菅義偉前首相の「弔辞」は 確かに心に残った。
しかし(当時の安倍首相と菅官房長官が)何をかたりあひ 何を尽くしたのかを 忘れてはならない。
森友学院・加計学院・桜を見る会・・・。
「騙り」あひて 尽くしし人は 先立ちぬ・・・。(末松)
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