◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎ひとつの終幕・序章(その2)◎

2011年10月06日 | 末松建比古


河野司●編「二・二六事件 獄中手記・遺書」河出書房新社、1972年3月10日 初版発行。河出書房新社が復刻を予定しているのは、この書籍だろうか。それとも別の著作だろうか。河野司氏の「二・二六事件にかかわる著作」は非常に多い。できることなら「河野司著作集」として結実すると嬉しい。

例えば「橋川文三著作集」全10巻・筑摩書房刊のような先例もある。復刻版の「橋川文三著作集5」には復刻版の“月報5”も添えられていて、末松太平「橋川さんと私」も載せられている。復刻版発行は2001年(末松太平は1993年死去)で、私宛に連絡をいただいた。末松太平の著作権継承者といっても「著作集5を1冊贈呈されただけ」という業界であるが、事件を風化させないためにも「事件関係著作の復刻出版」は嬉しいことである。

ついでに雑談を少々。
「末松太平」を検索していたら「Amazon」のカスタマーレビューに到達した。2010年10月に書かれた紹介文である。好意的な紹介文には感謝感謝だが、レレレと戸惑う部分もある。
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末松太平大尉(事件当時30)は二・二六事件で懲役4年の刑をくらいますが、戦後を生き延び、この本がきっかけで作家、三島由紀夫の軍事的アドバイザーを務めることになったことは、知る人ぞ知るエピソードです。この2段組でびっしりと書き込まれた自叙伝の最終章「大岸頼好の死」を読んだ三島が「バルザックを思わせる」と「道義的革命の論理」で激賞したことがきっかけでした。末松はなかなかのインテリです。しかも自己抑制が効いた文体は、素人はだしで、充分、ものかきでも通用したことでしょう。とりわけ陸軍士官学校の同期で、親友でありながら、立場を異にしたことから事件に参加、銃殺刑となる渋川善助との交流が随所に登場しますが、その哀切きわまりない描写は胸をうつものがあります。ただし末松は西田対大岸の対立構造のなかで、大岸派と目されたため、二・二六事件から疎外されました。したがって文中に事件の臨場感溢れる描写は一切ありません。また対立派を攻撃するような下品な描写もないため、血踊るような面白さを求める向きには不向きかも知れません。しかし昭和の初期に若き軍人たちがなにを考え、なにを行動しようとしたのかを知る第一級の作品です。同じ著者の「軍人と戦後のなかで」と合せて、なぜ文庫に収録されないのか、私には不思議でなりません。
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多分、若い方が書かれた文章だと思うので、ちょっとだけ修正させていただく。
①:「懲役」4年ではなく「禁固」4年。刑務所内で「懲役=労働」はしなかった。
②:「素人はだし」という表現には思わず苦笑。これでは「素人も裸足で逃げ出す下手な文章」という意味になってしまう。多分「玄人はだし」の間違いだと思う。
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◎ひとつの終幕・序章◎

2011年10月05日 | 末松建比古


それぞれの人生を舞台に例えるならば、私の周辺でひとつの幕が閉じた。
これについては、稿を改めて報告する予定でいる。

それはさておき、河出書房新社の方(お名前を失念)から電話をいただいた。
用件は「河野司さんの著作を復刻したいのですが…」という問合せである。
思わず、答える声が弾んでしまった。

最近は、大型書店を覘いても、二・二六事件関連の書籍に出会う機会が殆どない。
半藤なにがしや、保阪なにがしが、昭和史研究の論客気取りで、低レベルの著作を乱造しているが、事実無根の記述も多い。しかし、二・二六事件は、現在71歳の私でさえ生れる前の出来事なのだから、若い読者には「誤った記述」を見極めることが難しい。そして、誤った記述が、あたかも正しい歴史であるかのように、世の中に飛散していく。

以前から、河野司氏の(大量な)著作が復刻されれば良いなあと思っていた。
だから、河出書房新社の方からの突然の電話が嬉しかったのである。
「河野司さんの著作を復刻したいのですが…、著作権継承者が判らなくて…、河野さんの著作の“あとがき”に、末松太平さんのことが記されているので、著作権継承者をご存知かと思って、お電話しました」
途中省略。私が知る範囲の情報では判らないので、今泉章利氏の連絡先をお知らせした。
河野司さんの著作は多い。これを契機に、他の出版社でも次々に復刻されることを期待したい。

冒頭のタイトル=ひとつの終幕。今回は「序章」である。これからの展開が、今泉さんだけには推察できるかもしれないが…。
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