◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

予審請求(渋川)

2012年04月27日 | 渋川明雄
 渋川善助が、「断じて検察官の予審請求理由の如きものには非ざるなり」と言う「予審請求」の内容とは。
二・二六事件の捜査報告書の送付を受け、昭和十一年三月八日に、検察官陸軍法務官匂坂春平が陸軍大臣川島義之に対し「捜査報告書進達」を為し、予審を請求すべきものと思料するとした。同日、匂坂春平から予審官に対して「予審請求」が提出された。その内容は、次の通りである。

  犯罪事実
第一 被告人等は我国現下の情勢を目して重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等が国体の本義を忘れ私権自恣、苟且とう安を  事とし国政を紊り国威を失墜せしめ、為に内外共に真に重大危局に直面せるものと断じ、速に政治並経済機構を変革  し庶政を更新せんことを企図し、屡々各所に会合して之が実行に関する計画を進め、相団結して私に兵力を用い内閣  総理大臣官邸等を襲撃し内閣総理大臣岡田啓介、其の他の重臣、顕官を殺害し、武力を以て枢要中央官庁等を占拠し  公然国権に反抗すると共に、帝都を動乱化せしめて之を戒厳令下に導き、其の意図に即する新政府を樹立し、以て其  企図を達成せんことを謀り、昭和十一年二月二十六日午前五時を期して事を挙ぐるに決し、各自の任務及部署を定め  たり。(以下各被告人の犯罪事実)
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二・二六事件の意義(渋川)

2012年04月20日 | 渋川明雄
 渋川善助は、二・二六事件が勃発した事情と意義について、予審中の昭和11年4月8日付で提出をした手記「本事件ニ参加スルニ至リシ事情並ニ爾後ノ所感念願」に於いて述べている。その中で意義については、次のように述べている。
  (読みやすいようにカタカナをひらがな、旧漢字を新にする)

    本事件の意義
 国の乱るるや匹夫猶責あり。況んや至尊の股肱として力を国家の保護に尽し、我国の創生をして永く太平の福を受けしめ、我国の威烈をして大に世界の光華たらしむべき重責ある軍人に於てをや。
『朕か国家を保護して上天の恵に応し祖宗の恩に報いまいらする事を得るも得さるも汝等軍人か其職を尽すと尽ささるとに由るそかし』
と深くも望ませ給ふ 大御心に副い奉るべきものを、奸臣下情を上達せしめず、赤子万民永く特権閥族の政治的、経済的、法制的、権力的桎梏下に呻吟する現実をも、国威将に失墜せんとしつつある危機をも、「大命なくば動かず」と傍観して何の忠節ぞや。古来諫争を求め給いし 御詔勅あり。 大御心は万世一貫なりと雖も、今日下赤子の真情は奸閥に塞がれて 上聞に達せず、如何ともすべからず。
此の奸臣閥族をさん除して 大御稜威を内外に普からしむる是れ股肱の本分にあらずして何ぞや。実に是れ現役軍人にして始めて可能なるに、今日の如き内外の危機に臨みても、頭首の命令なくば動き得ざる股肱、危険に際しても反射運動を営み得ず一々頭脳の判断を仰がざるべからざる手脚は、身体を保護すべく健全なる手脚に非ず。此の故にこそ、
『一旦緩急あれは義勇公に奉し』
と詔いしなれ。億兆を安撫し国威を宣揚せんとし給うは古今不易の 大御心なり。
股肱たるもの、此の 大御心を奉戴して国家を保護すべき絶対の責任あり。
 今や未曾有の危局に直面しつつ、 大御心は奸臣閥族に蔽われて通達せず。意見具申も中途に阻まれて通ぜず。万策効無く、唯だ挺身出撃、万悪の根元斬除するの一途あるのみ。須らく以て中外に 大御心を徹底し、億兆安堵、国威宣揚の道を開かざるべからずと。
 今回の事件は実に斯の如くにして発起したるものなりと信ず。叙上世界の大勢、国内の情勢を明察せられあれば、本事件の原因動機は自ら明かにして、「蹶起趣意書」も亦自ら理解せらるる所なるべし。
 吾人が本事件に参加したる原因動機も亦、以上述べし所に他ならず。臣子の道を同うし、報国の大義相協いたる同志と共に 御維新の翼賛に微力を致さんとしたるものにして、断じて検察官の予審請求理由の如きものには非ざるなり。
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