◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎末松敏子現況中継/青森第五連隊の記憶◎

2006年08月29日 | 末松建比古
2006年8月29日(火)。老母視察歩行。
8月になって6回目の老母訪問。趣味のウオーキングとのセット企画。我ながら「親不孝」でありますね。
老母のベットと「末松太平の仏壇」との間に坐って(正確に言えば私は寝転んで)話し相手になる。先日(8月24日)に比べて体調が良く、自ら身体を起こしてベットに腰掛ける。
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対話テーマは、認知症的思考回路の記憶修正。導入は、記憶鮮明な「昭和11年の青森第五連隊」の話。事件発生後の「ある朝」の話は、毎度の定番です。
「連隊長の奥様が来て、御主人は当分戻らないから、うちに来て泊りなさいと言った」
「末松は、志村さん、杉野さんと仲が良かった」
ここで、さりげなく認知度テストを試みる。
発問「末松、志村、杉野の3人が一緒に逮捕されたけれど、志村さんにも家庭があったの?」
返答「志村さんの結婚は、ずっと後だよ。杉野さんとは、何十年も後に、この家(千葉市登戸)を訪ねてきて再会できた」・・・記憶はしっかりしている。

画像の末松敏子は「週刊朝日」を眺めている。私の読みかけで、表紙は早実の斉藤投手。93歳老母には無関係の記事ばかりだが「適当に選んで読む」というので進呈した。
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◎末松敏子(93歳)最新語録◎

2006年08月24日 | 末松建比古
8月24日(木)老母視察歩行。
先日、防衛研究所を訪ねた際に「仏心会は現在、安田さんが代表ですね。次の代表は誰になるのでしょう」と質問されました。深い意味ではなく、雑談の中での質問です。
事件から70年以上が過ぎ、日本の社会と同様に、賢崇寺の法要も「高齢化問題」が気になる日々です。

末松敏子、93歳。今年になって急激に老化が進みました。いわゆる「認知症」も進行しているようです。
当ブログでは「事件関係者の近況報告」という意味で、末松太平未亡人の晩年を見届けていこうと思います。
私は、長男でありながら、母の世話を妹に押付けており、その「後ろめたさ」を誤魔化すために、毎週一度は老母を訪ねていますが「ウオーキングを兼ねて」ですから、ヒドイ話です。

本日の報告。ベットの横(畳の八畳間)で昔話のお相手。会話の一部。青森第五連隊時代、二・二六事件の時の、新妻(前年11月結婚)の回想。
「末松太平は、家では軍隊でのことを何も話さなかった。ある朝、出かける時に『今日は帰れないかも知れない』と言ったが、帰らないことは珍しくなかったから、気にしなかった。玄関先で末松太平を見送っていると、振り返って数歩引き返し『グッバイ』と言った。いつもと違う感じなので、不思議に思った」
「軍隊に呼ばれて、師団長(?)から『末松は暫く戻れない』と聞かされた。何も聞かされていなかったので、呆然とした」
澱みのない話し振りで、呆けを感じさせない。事件裏面史として、多少の参考にはなるだろう。しかし、老人の話は唐突に変化する。上記の発言に続くのは、次の言葉である。
「ねえ、建比古は(私の名前は忘れたことがないのだ)私の弟だよね」
言うまでもなく、私は長男。末松敏子の実弟二人は、かなり前に逝去しています。
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