◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎表現力と理解力の隙間/非礼な参列者◎

2007年06月14日 | 末松建比古
前回記事の続きである。

今年1月17日に(当ブログ)に記した記事の「一部分」を再掲する。
内容は「植木茂弘氏宛に書かれた末松太平の手紙」である。賢崇寺の法要に(植木氏が)初めて参列するについての、留意事項が記されている。


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「(前略)賢崇寺に着かれたら受付がありますから、そこで記名されるよう。余計なことですが そこで若干の御仏前を供していただけると、格好が良いでしょう。他の人が御仏前を出しているから、そうしないと、ちょっと体裁が悪いでしょう。まあ最低◎◎円(注=25年前の相場が記されてある)は奮発しなければなりますまい。法要は、仏心会が中心で、小生らも、あなた方と同様、客側になるわけですから、そういう立場で申すわけで、仏心会を援助していただきたいということです。(後略)」
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再掲しながら、次第に腹が立ってきた。今年1月17日に、末松太平の遺志のつもりで掲載した記事である。まさか、2月26日に「御香典を出さない人」が大勢押しかけていたとは、予想もしていなかった。
そして そして 信じられないことだが・・・。
当日 賢崇寺に「御香典を出さない人=面白半分で訪れた人」が押し寄せたのは「ブログ・末松太平事務所」が原因なのではないか・・・と(仏心会の関係者から)ある人を通じて 私に伝えられたのである。
冗談じゃないよ まったく・・・。
言うまでもなく 私自身は「非礼な方々=当ブログの閲覧者」とは思っていない。私としては「この記事」に触発されて賢崇寺を訪れた方々は、全員が「説明」に従って、御香典を供えたものだと信じたい。そうでなければ「太平+私」の言動が、あまりにも滑稽ではないか。

参考までに記せば、2月26日の当日、私は(法要受付で)御香料1万円を供し、「慰霊像護持の会」受付にも1万円を寄付した。正直に言えば、年金生活者(私)には厳しい金額だから、いつまで続けられるかは、自分でも判らない。
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コメント

◎常識と非常識について/非礼極まる参列者◎

2007年06月12日 | 末松建比古




今年、2月26日の「法要」の際は、当ブログに「案内」を転載した。
そのことが「全ての原因」とは思わないけれど、結果的に(私にとって)後味の悪い結果となった。

言うまでもないことだが、法要に参列するためには、それなりの礼儀作法が求められる。
その第一は「お香典」を供えるということである。
ところが、聞くところによると、今年2月26日の法要では「礼儀を弁えない人」が大勢出現していた。多分、この方々には「法要に参列する」という認識がなく「二・二六事件記念日のイベントに参加する」つもりで、賢崇寺を訪れたのだと思う。

あの日の参列者は、私の印象では「初めてお見かけした方」が多かった。私は「仏心会、慰霊像護持の会」の一員ではないから、事務的なこと(芳名録とか会計とか)を知る立場ではない。しかし、後日の情報では「初めてお見かけした方」の約半数が、お香典を供えずに参列していたという。
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「イベント」と勘違いされた要因は、いくつか考えられる。
①(法要に参列する意思はなく)松本健一氏の講演を聴きにきた人が多かった。
②当ブログを見て「一般人も参加できる」と知った人が多かった。
 
あの日、私は(短時間だが)慰霊像護持の会の「浄財受付」に坐っていた。そして、数人の方から「理不尽な苦言」を聞くことになった。イベント気分の参加者にとって「法要の内容」が気に入らなかったのだと思う。

この続きは、稿を改めて。
私は、今年27回目の「老母(末松太平未亡人)視察」のため、千葉市登戸に出かけなければならないのだ。
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