◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

◎読売新聞西部本社(福岡県)筑後版◎

2024年04月02日 | 末松建比古
読売新聞の大石記者から 封書が届いた。
「前略 二月にお訪ねした折には たいへん御世話になりました。本来取材ではなく 個人的な研究のためお会いしたいという趣旨でしたが、折角の機会でもあり、私の昭和史の紹介という形で記事にさせて頂きました。
「筑後版掲載ですが、末松太平さん出身の北九州版でも後日掲載されるよう頼んでおりますので、載りましたらまた送付いたします。
「お聞きしたことの何分の一も盛り込めませんでしたが、誌面の制約もあり、御容赦戴ければ幸いです。
「末松様のお話を伺い、二・二六事件の意義を改めて考えねばならないとの思いを強くしました。ぜひまたお訪ねし、御指導頂きたく存じます。」



大石健一記者の著名入り記事は「完本 私の昭和史」の紹介がメイン。 末尾にはわざわざ「570ページで税込み3980円。全国の主要書店やインターネットで販売している」と書き添えてある。
「・・・独自に事件の分析を続けている建比古さんは『分厚い本だが、電子版で購入してくれる人もおり、若い世代にも関心を持ってもらえているようだ』と話す。/・・・2月26日には、東京の賢崇寺で法要が営まれ、建比古さんも新型コロナ禍を経て数年ぶりに参列した。『2・26事件は陸軍の派閥争いだったという説など、父たちの思いや実情と違う話が流布されている。事件から88年がたった今も政治不信が言われており、この本を通して社会のありかたを考えてもらえればありがたい』と離している。」

あ~あ・・・。思わず苦笑したのは 2点並んで掲載された写真。
毅然と背筋を伸ばした老人(右)と 姿勢の悪い老人(左)では 撮影当時の年齢が違う。・・・些か苦しい自己弁護。
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《老老夫妻=私&妻》の住居には(毎年一度)地元の民生委員サンが「状況確認」に訪れる。
「ご心配ありがとうございます。お陰様で何事もなく・・・」が例年の定番だったが 今年は会話をいろいろと・・・。
老老夫婦が(C棟からB棟に)転居した理由、家人(介助2認定)の現状、そして愚息(B棟に居住していた)の現況・・・。
「サンシティでは 有名な存在で・・・」「・・・?」「秀才で ハンサムで・・・」「・・・?」「二・二六事件のことをネット発信していらっしゃる・・・」「・・・!」「私の父も軍人だったので・・・」「・・・!」

玄関先での立ち話なので 会話の流れも混濁する。
説明するまでもなく「秀才で ハンサムで・・・」と言われていたのは 私のことではない。
何よりも嬉しかったのは 民生委員のYサン(女性)が「ブログ・末松太平事務所」をご存じだったこと。 
今まで以上に 民生委員サンが「心強い味方」に見えてきた。
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「一般社団法人 仏心会+慰霊像護持の会」から葉書が届いた。
本来なら「仏心会の公式ホームページ=休止状態」に掲載される内容だが 代行して発信しておく。

拝啓 去る二月二十六日の八十九回忌法要は、賢崇寺藤田俊英大和尚により、無事円成いたしました。法要に際し、丁重なるご芳志、お供物を賜り、誠に有難く心より御礼申上げます。
コロナが収まってまいりましたので、日本全国から、二十数名の方のご参加を頂き、心静かな法要を営むことが出来ました。九十八歳の安田様は、ご用心にため欠席されましたが、七月のご法要にはぜひ出席したいと言われています。なお、悲しい残念なおしらせです。仏心会理事として永年ご尽力頂いた安藤日出雄様が昨年十一月二十七日八十八歳でご逝去されました。慎んでご報告申上げます。
私共は、今後とも、慰霊の誠を捧げて参ります。何卒、変らぬご指導ご鞭撻の程、宜しくお願い申上げます。敬具。
令和六年(二〇二四年)三月

「一般社団法人 仏心会」の横には「代表理事は香田忠維より栗原重夫に交代いたしました」と記されていた。
栗原重夫氏について 特別の紹介はない。(末松建比古)
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