5.事件関係者の息子が実際に接した「二・二六事件の人たち」
水上源一さんのこと(その4)
今年も大晦日を迎えました。あと一時間ほどで、2017年、平成29年を迎えます。
水上源一さんのこと(その4)今年は、いろいろなことがありました。4月に、二年続いたある組織の役員の職が解かれましたが、その疲れの反動でしょうか、心因性のめまい、不整脈、息切れ、、が続きました。5分くらいのものから、5時間ぐらいのものまで、 一日のうちに何回も現れます。11月にようやくよくなりましたが、9月は、最悪でした。ただ、数値にはでてこないものの苦しさは深刻で、このまま逝くのかなあとよく思っておりました。医者からなんともないですよ、といわれるのは本当につらく、恨めしい思いでした。
さて、水上源一さんの一人娘の水上宣子さんは、お父様に目元、顔だちがそっくりです。お目にかかることのできなかったお母様のはつね様は実業家と聞いておりましたが、宣子さまは、よく通る声とはっきりとした考えを持ち、行動もお早いので、お二人の血を受け継いでおられるのがよくわかります。元麻布の賢崇寺に、お母様の建てられた「水上源一の墓」を欠かさずお参りしておられる様子は、胸を打ちます。
前回から延々と資料の目次を書いていてうんざりかもしれませんが、事件の裁判記録とはどんなもので、私がとりあえず扱った手法はいかなるものであったのかを、参考に書いているもので、少々長いですが、水上源一の裁判記録にたいする私の方法論なので、もう少しお付き合いください。
なお、気分転換に、今日の写真は、わたくしの生まれ育った故郷、鎌倉の材木座から見た富士山です。私の撮ったお気に入りの写真です。
31.被告人訊問調書 陸軍歩兵軍曹 宇治野時参 (注:26歳、歩一の六) (丁数一一〇)
32.被告人訊問調書 陸軍歩兵一等兵 黒澤鶴一 (注:26歳、歩一) (丁数一二四)
33.被告人訊問調書 中島清治 (注:29歳、支那事変 昭和6-9年従軍) (丁数一三四)
34.被告人訊問調書 黒田昶 予備歩兵上等兵 (注:27歳) (丁数一五六)
35.被告人訊問調書 水上源一 第一補充兵役陸軍電信兵(注:29歳)(2月28日)(丁数一六三)
36.被告人訊問調書 綿引正三 (注:兵役なし、 23歳) (丁数一七一)
31-36の標目の書き方については必ずしもその通りではないかもしれない。いつか確認したい。
37.聴取書 植松正司(自動車運転手) (注:25歳) (丁数一七七)
38.拘引状(宇治野、黒澤、中島、黒田、水上、綿引)(注:2月26日) (丁数一八三)39.證拠物目録(十一年式軽機 二、二六年式拳銃 二、モーゼル 一、三八 二)(丁数一八九)
40.被告人訊問調書送付通牒 (注:三島→一師軍法)(河野壽(四〇期、30歳)(丁数一九〇)
41.被告人訊問調書 河野壽 (丁数一九一)
42.押収調書 (丁数二〇七)
43.押収目録 (丁数二〇八)
44.押収目録<宮田晃> 予備役陸軍歩兵曹長、日本特殊鋼社員 (丁数二〇九)
45.勾留状 宮田晃 3月2日 一師軍法 (丁数二一一)
目がちらついてきました。、、だれかアシストがほしいですね。
46.押収調書<宇治野時参> 3月3日一師軍法 (丁数二一二)
47.勾留状 宇治野時参 (丁数二一四)
48.押収調書 中島清治 3月3日 (丁数二一五)
49.勾留状 中島清治 (丁数二一七)
50.押収調書 黒田昶 3月3日 (丁数二一八)
51.勾留状 黒田昶 (丁数二二〇)
52.押収調書 黒澤鶴一 3月3日 (注:歩兵一等兵とあり、要確認) (丁数二二一)
53.勾留状 黒澤鶴一 (丁数二二三)
54.押収調書 綿引正三 3月3日 (丁数二二四)
55.勾留状 綿引正三 (丁数二二六)
56.押収調書 水上源一 3月3日(注:ここでは弁理士とのみあり) (丁数二二七)
57.勾留状 水上源一 (注:刑務所へは十四時五十分引致した とあり) (丁数二二九)
つぎの58から70までは、法務省の開示に関する省内検討に基づき、公開はされていない。その顛末は承知しているものの、いつが時が来れば書いてみたい。
なお、国立公文書館での公開基準は、法務省とは異なるため、どのような扱いになるか、ご検討中と思われる。
58.前罪科身上書送付の件 (丁数二三〇)
59.身上調書 (宇治野時参) (丁数二三一)
60.身上明細書写(黒澤鶴一) (丁数二三二)
61.身上調査票(黒澤鶴一) (丁数二三五)
62.<証拠物件追走ニ関スル通牒> 予備役歩兵曹長 宮田晃 (注:二十九歳) (丁数二三六)
63.遭難者(皆川巡査)所持拳銃調査回答(注:警視庁から横須賀、ブローニング)(丁数二三七)
64、<素行調書>作成ノ件 (丁数二四〇)
65.<素行調書>(綿引正三) (丁数二四一)
66.<前科取調書> (黒澤鶴一) (丁数二四二)
67.<前科取調書>送致ノ件 (宮田晃) (丁数二四三)
68.<前科取調書>(中島清治) (丁数二四四)
69.<前科取調書>送致ノ件 (注:人名未記載) (丁数二四八)
70.<前科取調書> (水上源一) (丁数二四九)
うー、ありますね。これで、約半分。でも、一目散に写していたころの自分は、本当に若かったんだなあと思います。
これをみていると、刑事事件とは、検挙から判決にいたるまで、我々には気の遠くなるような手続き、証拠調べが行われるのがよくわかります。
皆さま、どうか良いお年をお迎えくださいませ。と書いていましたら、年が変わりました。
新年になりました。2017年!!平成29年!!昭和11年即ち1936年の事件から81年目になりました。皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。 (今泉章利)
《今泉章利の書いたブログの著作権は関連法により今泉章利に属します。事前の許可なき引用、転載は一切お断りいたします。どうかご理解ください。》
PS:なお、東京地検の裁判記録の閲覧は、刑事訴訟法47条の但し書きに基づいて行われています。と、東京地検から説明があったのを、思い出しました。
水上源一さんのこと(その4)
今年も大晦日を迎えました。あと一時間ほどで、2017年、平成29年を迎えます。
水上源一さんのこと(その4)今年は、いろいろなことがありました。4月に、二年続いたある組織の役員の職が解かれましたが、その疲れの反動でしょうか、心因性のめまい、不整脈、息切れ、、が続きました。5分くらいのものから、5時間ぐらいのものまで、 一日のうちに何回も現れます。11月にようやくよくなりましたが、9月は、最悪でした。ただ、数値にはでてこないものの苦しさは深刻で、このまま逝くのかなあとよく思っておりました。医者からなんともないですよ、といわれるのは本当につらく、恨めしい思いでした。
さて、水上源一さんの一人娘の水上宣子さんは、お父様に目元、顔だちがそっくりです。お目にかかることのできなかったお母様のはつね様は実業家と聞いておりましたが、宣子さまは、よく通る声とはっきりとした考えを持ち、行動もお早いので、お二人の血を受け継いでおられるのがよくわかります。元麻布の賢崇寺に、お母様の建てられた「水上源一の墓」を欠かさずお参りしておられる様子は、胸を打ちます。
前回から延々と資料の目次を書いていてうんざりかもしれませんが、事件の裁判記録とはどんなもので、私がとりあえず扱った手法はいかなるものであったのかを、参考に書いているもので、少々長いですが、水上源一の裁判記録にたいする私の方法論なので、もう少しお付き合いください。
なお、気分転換に、今日の写真は、わたくしの生まれ育った故郷、鎌倉の材木座から見た富士山です。私の撮ったお気に入りの写真です。
31.被告人訊問調書 陸軍歩兵軍曹 宇治野時参 (注:26歳、歩一の六) (丁数一一〇)
32.被告人訊問調書 陸軍歩兵一等兵 黒澤鶴一 (注:26歳、歩一) (丁数一二四)
33.被告人訊問調書 中島清治 (注:29歳、支那事変 昭和6-9年従軍) (丁数一三四)
34.被告人訊問調書 黒田昶 予備歩兵上等兵 (注:27歳) (丁数一五六)
35.被告人訊問調書 水上源一 第一補充兵役陸軍電信兵(注:29歳)(2月28日)(丁数一六三)
36.被告人訊問調書 綿引正三 (注:兵役なし、 23歳) (丁数一七一)
31-36の標目の書き方については必ずしもその通りではないかもしれない。いつか確認したい。
37.聴取書 植松正司(自動車運転手) (注:25歳) (丁数一七七)
38.拘引状(宇治野、黒澤、中島、黒田、水上、綿引)(注:2月26日) (丁数一八三)39.證拠物目録(十一年式軽機 二、二六年式拳銃 二、モーゼル 一、三八 二)(丁数一八九)
40.被告人訊問調書送付通牒 (注:三島→一師軍法)(河野壽(四〇期、30歳)(丁数一九〇)
41.被告人訊問調書 河野壽 (丁数一九一)
42.押収調書 (丁数二〇七)
43.押収目録 (丁数二〇八)
44.押収目録<宮田晃> 予備役陸軍歩兵曹長、日本特殊鋼社員 (丁数二〇九)
45.勾留状 宮田晃 3月2日 一師軍法 (丁数二一一)
目がちらついてきました。、、だれかアシストがほしいですね。
46.押収調書<宇治野時参> 3月3日一師軍法 (丁数二一二)
47.勾留状 宇治野時参 (丁数二一四)
48.押収調書 中島清治 3月3日 (丁数二一五)
49.勾留状 中島清治 (丁数二一七)
50.押収調書 黒田昶 3月3日 (丁数二一八)
51.勾留状 黒田昶 (丁数二二〇)
52.押収調書 黒澤鶴一 3月3日 (注:歩兵一等兵とあり、要確認) (丁数二二一)
53.勾留状 黒澤鶴一 (丁数二二三)
54.押収調書 綿引正三 3月3日 (丁数二二四)
55.勾留状 綿引正三 (丁数二二六)
56.押収調書 水上源一 3月3日(注:ここでは弁理士とのみあり) (丁数二二七)
57.勾留状 水上源一 (注:刑務所へは十四時五十分引致した とあり) (丁数二二九)
つぎの58から70までは、法務省の開示に関する省内検討に基づき、公開はされていない。その顛末は承知しているものの、いつが時が来れば書いてみたい。
なお、国立公文書館での公開基準は、法務省とは異なるため、どのような扱いになるか、ご検討中と思われる。
58.前罪科身上書送付の件 (丁数二三〇)
59.身上調書 (宇治野時参) (丁数二三一)
60.身上明細書写(黒澤鶴一) (丁数二三二)
61.身上調査票(黒澤鶴一) (丁数二三五)
62.<証拠物件追走ニ関スル通牒> 予備役歩兵曹長 宮田晃 (注:二十九歳) (丁数二三六)
63.遭難者(皆川巡査)所持拳銃調査回答(注:警視庁から横須賀、ブローニング)(丁数二三七)
64、<素行調書>作成ノ件 (丁数二四〇)
65.<素行調書>(綿引正三) (丁数二四一)
66.<前科取調書> (黒澤鶴一) (丁数二四二)
67.<前科取調書>送致ノ件 (宮田晃) (丁数二四三)
68.<前科取調書>(中島清治) (丁数二四四)
69.<前科取調書>送致ノ件 (注:人名未記載) (丁数二四八)
70.<前科取調書> (水上源一) (丁数二四九)
うー、ありますね。これで、約半分。でも、一目散に写していたころの自分は、本当に若かったんだなあと思います。
これをみていると、刑事事件とは、検挙から判決にいたるまで、我々には気の遠くなるような手続き、証拠調べが行われるのがよくわかります。
皆さま、どうか良いお年をお迎えくださいませ。と書いていましたら、年が変わりました。
新年になりました。2017年!!平成29年!!昭和11年即ち1936年の事件から81年目になりました。皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。 (今泉章利)
《今泉章利の書いたブログの著作権は関連法により今泉章利に属します。事前の許可なき引用、転載は一切お断りいたします。どうかご理解ください。》
PS:なお、東京地検の裁判記録の閲覧は、刑事訴訟法47条の但し書きに基づいて行われています。と、東京地検から説明があったのを、思い出しました。