◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

20.事件関係者の息子が実際に接した「二・二六事件の人たち」(20170316) 末松太平さまのこと(その3)

2017年03月15日 | 今泉章利
20.事件関係者の息子が実際に接した「二・二六事件の人たち」(20170316)
末松太平さまのこと(その3)

私が登戸の末松さまをお邪魔した1991年(平成3年)は、澤地久枝の雪は汚れていたが、あまりにも、でたらめで、おまけに、其の指南をしたのが、高橋正衛ということがはっきりしたころで、末松さまのお怒りは尋常のものではありませんでした。
お話したように、中央大学からみすず書房に入っていた高橋正衛氏は、中公新書のなかで、何の根拠もなく、青年将校を突き動かしたもののの一つに「真崎の野心」ありと想像し、もっともらしい「真崎陰謀」を想像で書き40版(50万部)も売り続け、日本中が、その「真崎黒幕説」に踊らされていた時期でした。

以下は、末松さまが21011年7月13日に書かれた、筆者あてのお手紙です。

「七月は悲しい三日と十二日       昨日は命日でした。
相澤中佐の唯一人の男の子正彦君から昨日のことの電話がありました。
高橋正衛が臆面もなく法要に現れたとの事でした。二月二十六日にも現れたと聞き、こんど法要に現れたら「お前さんなんかの来るところじゃないよ」と云ってやれと、正彦君には云ってあったのに、何も云ってやらなかったようです。
貴兄が「史」を直接入手されるようになってご尊父の方には拙文の手当てを除きました。コピーでも送るようにして下さると有難く思います。
ご尊父のところに「邦刀遺文」という本が届けられていると思います。邦刀というのは對馬勝雄中尉のことで對馬中尉伝記と云うわけです。若し届けられていたら機を見て御一閲ありたし。
拙文「津軽義民伝」で紹介してある本がやっと完成したわけです。
この前進呈した「時計は止まった針は落ちる」はゲーテの「ファウスト」のクライマックスにある、ことばです。この説明はまだしてありませんが、岩波文庫の森林太郎訳の他二、三程ファウストは刊行されていますから、お読みになり自得されれば十分ではあります。
お中元のお礼を云うつもりで筆を執り、それが後になりました。有難う御座いました。
こんど病院に健診にゆくのは、九月十二日です。これ以外は家にいますから、何時なりとお遊びにお出で下さい。
7.13 末松
今泉様

1936年7月3日は相澤中佐処刑の日、9日後の7月12日は15士の処刑の日でした。夫々の処刑は、宇田川町の衛戍刑務所内で行われました。末松さまによれば、信念をもって事に当たるのが武士の精神で、相澤さんの声はひときわ大きかった。堂々たる声で「天皇陛下万歳」を叫ばれたといわれておられました。空砲のパンパンという音の中に、ピューンという実弾の音が聞こえたといわれました。 なお、処刑の前には、看守がこっそり処刑が行われる旨教えてくれたそうです。
父も獄舎におりましたが、私に相澤さんのときの大音声の話をするときは、目が吊り上がって「それは大きなお声だった」と言っていました。


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