◎末松太平事務所(二・二六事件異聞)◎ 

末松太平(1905~1993)。
陸軍士官学校(39期)卒。陸軍大尉。二・二六事件に連座。禁錮4年&免官。

今泉のブログ(たった一人の法要)に対するコメントへの御礼(2件)

2017年03月10日 | 今泉章利
(1)伊牟田さまのコメント
参加させて戴きありがとうございました (伊牟田伸一です。)2017-03-05 20:56:07 
先日は法要に参加させて戴きありがとうございました。
とても貴重な体験でした。 226事件は決して風化させてはいけないと改めて思いました。 今は仕事が忙しく時間が作れませんがいつかご尊父のお話を伺う事が出来れば嬉しいです。

今泉御礼:お目に書かれて光栄でした。ゆっくりお話したいですね。伊牟田さまのお気持ち、どうか大切にされてくださいませ。どんなことでも、ご自分の納得いく形で向かい合ってください。
歴史家の、あるいはルポライターの歴史でなく、
お墓から見えてくる体温を感じるような、お線香の香りがするような、「我々の先輩の方たちの出来事」を、実際に感じてください。いつの日か、伊牟田さまが語り部になるのです。
頂きました文章拝読いたしました。これを一里塚に精進されますことをお祈りいたします。
仕事はお忙しいでしょう。みんなお金も限られています。だから、メールや、どこへかけても課金の安い「カケホーダイ」のような今の道具を使ってください。
ご努力を期待します。一緒に頑張りましょう。岐阜から来られた加藤様にもよろしくお伝えくださいませ。

(2)AZU様のコメント
Unknown (Azu)2017-03-05 22:09:24今泉様
82回忌法要を恙無く終えられた由、よろしゅうございました。その数日後、お父様の23回忌のために再び賢崇寺様を訪ねられたのですね。
小雨にけむるお墓のお写真にも、あたたかなお気持ちが表れているように思われます。
たった一人の御法要、、お父様始め、お母様、お祖父様もきっと御一緒にいらして、さぞやお喜びのことと存じます。
故人への供養は偲ぶこと、と聞いたことがございます。静かな御本堂で、お父様とゆっくり向き合うことが叶い、良き御法要でございましたね。
昭和10年10月に少尉となられ、翌11年2月26日に事件とは、僅か5ヶ月後のことでしたか。部下の方にメンタムを塗っておられたお父様。大切な部下の方々の為に、意を決せられたのですね。
まさに、今泉様にしか、お出来にならぬこと。お父様を通して、事件の真の意味を、これからもお書きいただければと願っております。
その為にもどうか、くれぐれも、ご自愛くださいますよう、心よりお祈り申しております


今泉御礼:AZUさま 身に余るお言葉ありがとうございました。私は、軍隊のことはよくわかりませんが、少なくとも私は父や同期生の方から聞いたことは書けます。
日本の軍隊は暴力集団ではありません。決められた規律のもとに、国のために身命を賭して軍務に励む、大組織でありました。しかし、日本の軍隊で一番大切なものは、天の陛下を中心とする「一君万民」の考え方でした。
これがあったからこそ、旧日本の軍隊は「皇軍」でありました。国を思う気持ちは同じです。父のようなノンポリに、公判で、ある法務官が「お前も(事件の)同志だろう」といわれました。法務官は、
「お前も極刑に値する一味だろう」という意味です。父はこの時、「同志とおっしゃるなら、そこにいらっしゃる判士(士官学校出身)もみな同志だと思います。天皇陛下のため、みんな同じ志を持っている」と言い返したで、有罪になったと思う」と昭和56年2月號の「歴史と人物」82ページに書いてあります。

父の公判は20回目5月26日のことでした。父は私に、「このことを話したとき、法務官以外の判士や裁判長(士官学校出身)はみんな涙をぬぐっていた」といっていました。青年将校たちの心情が、士官学校出身の判士、裁判長にはよくわかっていたのでしょう。同じ軍服を着ているのでわかりにくいですが、陸軍法務官は、所謂「法律屋」で、軍隊をよく知らない人たちです。此の裁判では、何とか有罪にしようとする、主に私立大学出身の「法律軍人」」でありましたから、軍隊に流れている何よりも大切な、そして日本の軍の根幹をなした[天皇陛下のための軍人]という意識が希薄で、いつか話しますが「悪い命令だったらお前は従うのか」というバカな質問を出してきます。当時日本の陸軍においては、中隊長の命令は天皇陛下の命令で、絶対であり、部下は中隊長に従い、逆に中隊長は、部下の責任はすべて自分がとる」という考えでありました。しかし乍ら、そのような発言が、「法律軍人」である法務官の口から、裁判の席で突然なんの法的根拠も示されず、これまで行われてきた伝統的事実も無視され、思い付きのように、法務官から出されました。日本の軍隊の統制は、これから崩れてゆきます。日本の軍隊の自殺はここから起こっていった、と、言っている人もいます。私もそう思います。

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二・二六事件 全殉難諸霊 八十二回忌法要 と いくつかのご報告

2017年03月10日 | 今泉章利



二・二六事件 全殉難諸霊 八十二回忌法要

早いもので3月も10日になってしまいました。
今年は、末松さんがお見えになり、また、久しぶりに森田(折目)朋美さんが明るい笑顔でお見えになり、とても心がみたされるような法要でした。
安田さんも大変お喜びでした。泉下の皆さまも、特に池田俊彦さまなどは、にっこりと微笑まれたような気がいたします。

法要後、仏心会より、東京地検にあった「裁判資料(公判資料)」が国立公文書館に移管され、今年中の公開に向けて準備中であることが報告されました。
また、二・二六事件裁判資料を法学者の立場から研究された故松本一郎先生(元裁判官、独協大教授、熊本幼年学校卒)が、事件の方たちのお気持ちに感銘され、ご自分のお墓を賢崇寺に立てられたお話もされました。

このブログでお目にかかった伊牟田さまや、新しく安藤大尉のことを研究された佐川仁一さまともご挨拶を致しました。また、慰霊像の奉仕を申し出てくださった方もおられました。心から感謝しております。

これからも、様々な視点で、様々な方たちが事件を研究してくださることが大切と思いました。私自身も元気なうちになるべく多くを、書き残しておきたいと思っています。

 


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水上さん関連覚え書き

2017年03月10日 | 今泉章利
水上さん関連覚え書き

まだ、書きたいことがいくつもありますが、先に進めないので、とりあえず、順不動ですが、覚えを書いておきたいと思います。

なお、26日に、私がこのブログに書かせていただいた記事を印刷製本し、井上宣子様にお送りしましたところ、宣子様より、ご丁重なるお礼の言葉を頂いたほか、この記事を読んで、母から聞いたいろいろなことを思い出したので、
別途お話をしたいとの有難いご連絡がありました。


書けなかった覚えとは次のようなものです。


(1)河野大尉の遺書

(2)皆川巡査のお墓詣り、ご遺族のお苦しみ

(3)襲撃された家屋の様子(東京地検の資料から私がスケッチしたもの)

(4)襲撃撤退時の最後の発砲と牧野侯爵の救出   (誰も訂正しなかった高橋正衛氏「二・二六事件」の明らかな誤謬記事)

(5)伊藤屋旅館と光風荘  牧野峯子氏と天野屋旅館 

(6)牧野伸顕侯爵の避難していたところ

(7)水上さんの「救国学生同盟」と「捨て石救国論」

(8)山内一郎氏と歩一栗原中尉

(9)埼玉挺身隊事件と水上源一

(10)遺された遺族

(11)当時の社会の姿 富める者と貧しきもの

(12)日本の政治 普通選挙の実施の現実

(13)日本を取り巻く世界の状況 軍事、帝国主義、清国崩壊の中国

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