goo blog サービス終了のお知らせ 

ウィリアムのいたずらの、まちあるき、たべあるき

ウィリアムのいたずらが、街歩き、食べ物、音楽等の個人的見解を主に書くブログです(たま~にコンピューター関係も)

大学でコンピューター工学を習ってもシステムが出来ない理由、逆に習わなくても出来る理由

2007-07-28 16:10:55 | Weblog

 大学で、情報処理学科で勉強しても、現場ですぐに役立たない、一方、情報処理学科でないひとが、コンピューターの会社に入って、それも情報処理学科の人と一緒に研修をうけて、SEとしてやっている。おかしいじゃないかという意見をきいた。

 おかしくないとおもう。

 情報処理学科で習うのは、コンピューターサイエンスであって、
 会社で、システム開発でSEが行う作業は、「業務のモデル化」であって、それは、情報処理学科とも、いや、理系とも関係ない、というか、もっというと、文系に近い。

 コンピューター工学は、コンピューターの(要素)技術をならう。
 CGとか、ネットワークとか・・・

 でも、システムを開発するとき、それらの要素技術を使ってもいいけど、使わなくてもいい(ローテクで固めてもシステムである。例:Excelのシートを組み合わせたシステム。Accessのサンプルプログラムみたいなシステム)とにかく、何かを使って、入力から出力をだすまでの、1つのモデル、世界観を作り上げる作業である。




 モデルに関しては、一般的な業務では、業務モデルで、これは、ウィリアムのいたずらが、オブジェクト指向で開発の最初から最後までの手順例でやっているような、業務の内容を言葉であらわし、そのことばを解析して、モデルを作り上げていく方法、これは、国語の世界。

 あと、仕訳を中心に解析していく、経理のモデルがある。

 理系的な分野では、数理モデルがある。

 ゲームの世界の世界観の作り方は、また違うだろう。

 このうち、情報処理学科でやるのは、数理モデルだが、業務で使うのは、一番初めの国語チックなモデルと、経理モデルがほとんどである。

 なので、そのモデルの作り方は、文系作業なので、理系の情報処理学科の人間も学ばないといけない。情報処理学科をでると、そのときのモデルに使える技術の幅が広がるというだけであり、モデルそのものをつくる勉強はしない・・・




 というか、このモデルそのものをつくる、世界観を作る作業は、文系理系関係なく、素養みたいなものがあると思う。この力のないやつがシステムを作ると、ちんどん屋みたいな、はでなシステムをつくって、外側のUIからきめて、結局、モデルの矛盾が結合テストで表面化して、破綻する。それは、情報処理学科をでてるかどうかには、何一つ関係ない。

 だから、情報処理学科を重視するような国や会社の政策は、当然、システム開発のどこかで破綻するリスクをもっている(ま、いい人に当たれば問題ないんだけどね・・・)。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失われた20年-ソフト業界は変わったのか? その3:第三次オンが終わったころ(3)。

2007-07-28 13:13:48 | 土日シリーズ

 20年位前、1980年代終わりごろから、最近まで、ソフト業界とかその周辺の変遷について、特にソフト開発の立場を中心に見て行く、新しい土日シリーズ「失われた20年-ソフト業界は変わったのか?」その第三回目。
 今、第三次オンが終わったころ(1980年代後半)について書いていて、今回は、そのころのソフト面について書きたいと思います。


 当時は、汎用機、オフコン、ワークステーション、パソコンがあったとかいたけど、それぞれのソフトに関して、以下ちょっと思い出したことを書いてみようと思います。





■汎用機ー独自OSに、いろんなソフト

 汎用機は、独自OSに、いろんな基本ソフト、アプリがのっているという状態でした。
 日本の汎用機も、たとえば、富士通だと、FSP,MSPのように、独自OSがあり、その上にのっているという感じです、
 なので、ソフトは、それぞれのメーカーが提供します。
 ソートマージのようなものや、帳票作成ソフト、
 言語としては、COBOL,FORTRAN,PL/Iなど(情報処理試験も、この3つ+アセンブラだった気が・・)

 通信は、IBMはSNA,富士通はAIMという体系がありました(今もあるか ^^;)




■オフコン-も、独自OSにいろんなソフト

 オフコンも同じく、独自OSに、いろんな基本ソフト、アプリがのっているという状態でした。
 で、お金を掛けると、いろんなものがのってきて、使いやすいけど、お金がないと、なにものってこなくて、使えねー(>_<!)という感じだったかな・・

 言語はCOBOLが主だと思います。

 オフコンの通信も、汎用機の体系に組み込まれる(同じものを使う)という感じです。




■ワークステーション、UNIXベース

 ワークステーションは、UNIXベースです。ということで、UNIXには、いろんなソフトがていきょうされているので、それが入っています。
 なお、EDIANとか、それこそ、ワークステーション向けのアプリケーションも出るのは出たのですが、1つごとのアプリケーションの値段が(買う人が少ないので)高く、アプリは、目的がある人が買うという状態でした(今もワークステーションは、そうかな?)

 言語はFortran,や(これは時代が下るかもしれないけど)C、でした。




■パソコン

 パソコンは、NECが、中心でした。
 NECのパソコンは、N88-BASICがまず立ち上がります。そして、ディスクにフロッピーを入れておくとそのOS(MS-DOSやDR-DOS)が、立ち上がります。

 ということで、言語的には、N88-BASICにはいってるBASIC,また、MS-DOS上で動く、FORTRAN,COBOLなど(PL/Iもあったかな・・)あと、MASM(アセンブラ)をやる人もいたけど。。

 ソフトは、JFTRANという、汎用用のフロッピー(IBMフォーマット)を、パソコン用のフォーマット(DOSフォーマット)に変えるようなユーティリティ、上記の言語のほかに、松(新松)、一太郎のワープロソフト、ロータス123の、表計算、桐のデータベース、The Card(だったとおもうけど)などのカード型データベースソフト、直子の代筆のようなユーティリティ?、あ、そうそう、ベビーメーカー(じゃなかったっけ?)という妖しいソフト(いや、コピーしてくれるんですけどね。。)などなど、いろいろでていた。

 もちろん、パソコンソフトも・・




というわけで、次回は、いよいよ、当時の開発方法論に、入りたいと思います。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする