九条の会・尾張旭は8月23日(日)に第6回「戦争体験を聞く会」を行い、長崎で被爆した名古屋市緑区の仲 直敏さんから被爆直後の生々しい話を聞きました。
仲さんはご自分で描かれた11枚の紙芝居の絵をスクリーンに映しながら、「原爆の熱線で焼かれた人が助けてほしいとすがってくるのを払いのけ、沢山の生きている人を蹴飛ばしながら走った。生きるためには仕方がなかった。」と涙ながらに話されました。
そして「10年ほどすると白血病や甲状腺ガンになる人が沢山出た。
子どもが生まれると『眼はついているか』『指はちゃんと5本ついているか』と心配になるお父さん、お母さんが沢山いた。
友達が次々に死んでいった。『今度はオレの番か』と何度も思った。
被爆一世は死んでも、二世、三世の問題は残る。」「戦後何年経ってもこの話はできなかった。しかし語り継がねばと最近は話をするようにしている。
この4月にアメリカのオバマ大統領が『核廃絶を』と言いました。我が意を得たりと手を叩きました。これを現実にするもの、それは地球に住む私たちです。」と結ばれました。
この「戦争体験を聞く会」には112名の方が参加しましたが、子どもさんを連れたお母さんをはじめ今までになく大勢の若い人の参加がありました。参加した一人の中学生(13歳)は「一番心に残ったのは傷ついた人を踏んで逃げたということです。
仲さんが数十年経ってもこのことを話せなかったということがよくわかりました。原爆は落ちた瞬間も恐ろしいけど、何十年も経った後も沢山の人が後遺症で苦しんでいるということも知りました。」という感想を会報に寄せてくれました。
この他会報の9月号には会員の方の戦争体験、引き揚げ体験、核不拡散条約再検討会議に向けて、など「戦争体験を聞く会」に参加しての投稿がいっぱい載っています。
仲さんはご自分で描かれた11枚の紙芝居の絵をスクリーンに映しながら、「原爆の熱線で焼かれた人が助けてほしいとすがってくるのを払いのけ、沢山の生きている人を蹴飛ばしながら走った。生きるためには仕方がなかった。」と涙ながらに話されました。
そして「10年ほどすると白血病や甲状腺ガンになる人が沢山出た。
子どもが生まれると『眼はついているか』『指はちゃんと5本ついているか』と心配になるお父さん、お母さんが沢山いた。
友達が次々に死んでいった。『今度はオレの番か』と何度も思った。
被爆一世は死んでも、二世、三世の問題は残る。」「戦後何年経ってもこの話はできなかった。しかし語り継がねばと最近は話をするようにしている。
この4月にアメリカのオバマ大統領が『核廃絶を』と言いました。我が意を得たりと手を叩きました。これを現実にするもの、それは地球に住む私たちです。」と結ばれました。
この「戦争体験を聞く会」には112名の方が参加しましたが、子どもさんを連れたお母さんをはじめ今までになく大勢の若い人の参加がありました。参加した一人の中学生(13歳)は「一番心に残ったのは傷ついた人を踏んで逃げたということです。
仲さんが数十年経ってもこのことを話せなかったということがよくわかりました。原爆は落ちた瞬間も恐ろしいけど、何十年も経った後も沢山の人が後遺症で苦しんでいるということも知りました。」という感想を会報に寄せてくれました。
この他会報の9月号には会員の方の戦争体験、引き揚げ体験、核不拡散条約再検討会議に向けて、など「戦争体験を聞く会」に参加しての投稿がいっぱい載っています。