岩倉九条の会が創立4周年を迎え、12月6日に「平和憲法を守ろう市民のつどい」を開催しました。
第3児童館の会場いっぱいの80人が参加しました。
中高校生グループのエレクトーン演奏も
オープニングは中高校生の音楽グループ「自遊倶楽譜」のエレクトーの演奏で、沖縄の悲しみを思って高校3年生が作曲した「地獄を見た天国の島」や楽しい「コーヒールンバ」などが演奏されました。岩倉九条の会は積極的に若い人との交流を図っています。
ガダルカナル生き残りの人の話を聞く
続いて特別企画の「私の戦争体験」でガダルカナル生き残りの元兵士伊藤博之さん(90歳)の話を聞きました。伊藤さんは1934年(昭和14年)20歳で名古屋の歩兵6連隊に召集され、以後広東など中国大陸を転戦。
ジャワ島など南方の島々を経て、すでにアメリカ軍が上陸していたガダルカナル島に渡りました。ここでアメリカ軍の飛行場攻略のため二度にわたって総攻撃を行いましたが、圧倒的な物量の差に歯が立たなかったと言います。
食糧、弾薬の補給もなく(当時はガダルカナル島のことをガ島ともいいましたが、“餓島”=飢餓の島でした)、絶え間ない集中砲火を浴びて多数の犠牲者を出しながらジャングルの中で過ごしました。
43年1月に、それこそ骨と皮だけになってやっとガ島から“転進”(当時の大本営発表では退却のことをこう言いました)しました。
伊藤さんは敗戦の翌年46年5月に名古屋港に帰りましたが、焦土となった名古屋の町を見て、「身を守るため武装していた兵士でさえ苦しかった戦争で、非戦闘員である国民は我々以上の辛苦であったと思わずにいられなかった」と語りました。
「平和憲法を守り、核兵器も戦争もない世界を」のアピール
続いて総会に移り、09年の経過報告と10年の活動方針が提案されましたが、その中で、九条の会も増え、運動は発展しているが、小沢民主党幹事長が主導する国会改革で内閣法制局長官の国会答弁禁止の動きに触れ、その狙いは政府が憲法解釈を勝手に変え、自衛隊の海外での武力行使を「合憲化」することにあると指摘され、「9条を守る一点で手をつなぐ」運動の原点に立ち返ってがんばろうというアピールを採択し、来年は会員1000名を超えるようにしようと決議しました。
第3児童館の会場いっぱいの80人が参加しました。
中高校生グループのエレクトーン演奏も
オープニングは中高校生の音楽グループ「自遊倶楽譜」のエレクトーの演奏で、沖縄の悲しみを思って高校3年生が作曲した「地獄を見た天国の島」や楽しい「コーヒールンバ」などが演奏されました。岩倉九条の会は積極的に若い人との交流を図っています。
ガダルカナル生き残りの人の話を聞く
続いて特別企画の「私の戦争体験」でガダルカナル生き残りの元兵士伊藤博之さん(90歳)の話を聞きました。伊藤さんは1934年(昭和14年)20歳で名古屋の歩兵6連隊に召集され、以後広東など中国大陸を転戦。
ジャワ島など南方の島々を経て、すでにアメリカ軍が上陸していたガダルカナル島に渡りました。ここでアメリカ軍の飛行場攻略のため二度にわたって総攻撃を行いましたが、圧倒的な物量の差に歯が立たなかったと言います。
食糧、弾薬の補給もなく(当時はガダルカナル島のことをガ島ともいいましたが、“餓島”=飢餓の島でした)、絶え間ない集中砲火を浴びて多数の犠牲者を出しながらジャングルの中で過ごしました。
43年1月に、それこそ骨と皮だけになってやっとガ島から“転進”(当時の大本営発表では退却のことをこう言いました)しました。
伊藤さんは敗戦の翌年46年5月に名古屋港に帰りましたが、焦土となった名古屋の町を見て、「身を守るため武装していた兵士でさえ苦しかった戦争で、非戦闘員である国民は我々以上の辛苦であったと思わずにいられなかった」と語りました。
「平和憲法を守り、核兵器も戦争もない世界を」のアピール
続いて総会に移り、09年の経過報告と10年の活動方針が提案されましたが、その中で、九条の会も増え、運動は発展しているが、小沢民主党幹事長が主導する国会改革で内閣法制局長官の国会答弁禁止の動きに触れ、その狙いは政府が憲法解釈を勝手に変え、自衛隊の海外での武力行使を「合憲化」することにあると指摘され、「9条を守る一点で手をつなぐ」運動の原点に立ち返ってがんばろうというアピールを採択し、来年は会員1000名を超えるようにしようと決議しました。