小説「百十踏揚」(与並岳生著/新星出版)
テンペストと同様にワタシが超☆オススメする琉球小説です。
テンペストはエンターテーメント小説で幕末の琉球。
百十踏揚は歴史小説で室町時代の琉球。
その「百十踏揚」に御茶当真五郎(うちゃたい まごろう)という人物が登場します。
探索方、影の忍として金丸につかえ、
金丸の手足となって暗躍します。
小説では、真五郎さえいなければ…!!
という場面がたくさんあります。
(護佐丸もきっと死ななかったし、百十踏揚と鬼大城の勝連脱出も失敗しただろうし、勝連も首里軍に負けなかったはず)
それくらい、重要な場面で影の働きをして話を展開していきます。
えー…、でもこの真五郎って……
フィクションでしょ?
…って思ってたら……!!!!
昨日も書いた、自治体や個人が自費出版で出している読谷村の民話集に
「御茶当真五郎」の名前が……!!!
なにーーーーーっっっ!!!!?
「読谷村民話資料集1 伊良皆の民話」
(読谷村教育委員会 歴史民族資料館編 1979年発行)
“御茶当真五良とアマンジャナー”
※アマンジャナー=阿麻和利のこと
前半部分を要約すると、
真五郎は百姓だが、容姿端麗で頭もよかった。
ある日、尚泰久が首里城でお茶沸かしの役を募集しており、
真五郎は志願して選ばれた。
真五郎は王の体調や様子を伺って
お茶の入れ方を変えるなどをしており、非常に王に気に入られた。
しかし、真五郎は遊郭に行っては遊びまくり、
自分は士族だなどと言って女をだまし
しまいには「だまし屋」と言われた。
その悪評を聞いた尚泰久王は、
「今日はためしに私をだましてみよ」
と真五郎に言った。
「しかし、人をだます棒がないとだませません」
「なら、その、人をだます棒をお前は持っているのか」
「持っていないので、王様の大刀を貸してください。
そうすれば、人をだます棒を切って来ます」
尚泰久は快諾し、
真五郎は王の大刀を持ってそのままとんずらした、という話(笑)
しかし、面白いのは次です。
真五郎はその後、勝連に向かい阿麻和利と会います。
(赤=真五郎、 青=阿麻和利)
「君は、百姓から按司になってよかったね、カナー」
(※カナー=阿麻和利の童名)
「どうして君は、外門も錠を入れてあるし、
内門にも錠を入れてあるのに、どこから入ってきたのか」
「君達が錠を入れてあったところで、
私はどんな錠でも外して入る知恵があるんだから」
「君はたいした奴だなあ」
……ゆるい!
なんだこのゆるすぎる会話は(笑)
読んでて爆笑してしまった(笑)
(古老の語り口をそのまま訳したものなので、こうなるんですね)
まあ、その後で会話が続いて
結論は、真五郎が護佐丸の脅威を説き、入れ知恵をし、
阿麻和利はその警告に従って護佐丸を討つ…
という、あとは正史にある、あの展開になっていきます。
この辺を読んでると、小説「百十踏揚」にあるような、
忍びのような人物、も感じられますね。
西原町内間の人物らしいので、
その地域の民話を調べるともっと色々な説があるんでしょうね。
(西原町内間といえば、金丸の地でもありますね)
ちなみに、「百十踏揚」では…
山々を獣のように駆け抜け、
闇を風のように走り、
鷹のような敏捷さと、
一里先の人を見極め、遠くの話し声も聞き分ける。
耳も鋭かったが、読唇術も心得ていたのだ。
弓・刀・槍・棒……と、武芸百般に通じていると噂されていた。
寡黙で、いつも風か影のように、音もなく動く。
「百十踏揚 121-」より (与並岳生著/新星出版)
と書かれています。
真五郎が小説のような影の働きをしたかどうかは
さすがにフィクションでしょうが、
でもちゃんと伝承のある人物だったんですね。
しかし、1番驚いたのは、
真五郎が「容姿端麗」って書いてあること!!!
絶対、
こんなだと思ってたのに!!!!!
(三白眼のガリ。)
↑これ、本当の落書き。朝薫の下書きの裏でした(笑)
くそう。
容姿端麗とか、なんか許せん。
写真は、勝連グスク。
小説「百十踏揚」では勝連グスクのこの場所と真五郎が、
勝連敗北へいざないます
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