がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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大城賢勇(鬼大城)の墓へ

2009年12月12日 | ・琉球史散策/第一尚氏

↑光の関係で中央が白っぽくなってます。変なのが写ってる…!なんて騙されちゃダメですよ(笑)


前回、勘違いから鬼大城のお墓にたどり着けなかったワタシ。

更に奥にある、ということでリベンジです。

まず、知花城跡の入口です。
左側に見える階段は御嶽の入口。

右側の舗装された通路を進みます。

途中、左側に階段などあるのですが、
それはスルー。

(前回登りました。展望台みたいなところに通じています)

まっすぐ行くとこの表示。

この、若干斜めに傾いた階段を登っていきます。
(前回は倒れた木が通せんぼしてましたが、撤去されてました)

落ち葉をふみしめて奥へ、奥へ。

途中、このような岐路が。

迷って、左の石段を行って見ましたが、
すぐに道無き藪になってしまい、引き返し。

一体どこにつなげるための階段なのか…。

右側の、奥に続く通路を行きます。

この、点々と続く縁石は、
ここがかつて道だったことの証なのか。

山の緑はいよいよ濃く。

蚊を払いながら進む。

ぐるりと城跡入口の裏手に来ている感じ。

かなり不安になる道のり。

本当にこの奥まで行って大丈夫なのか?

本当にこの奥にあるのか?

覆い茂った椰子の葉をくぐる。

いよいよ、

この道はさすがにないだろう もう先に進めない!

と思ったところを、様子見のつもりでおそるおそる降りてみたら…
(写真は降りたところを降りかえって撮影)

視界が開けました。

……あった!

案内板に石碑。

お墓には「鬼大城之墓」の文字。

ちなみに鬼大城のお墓の手前隣の、このお墓は誰のものかは「?」
りんごのお供え物がありました。

振り返ると、来た道はこう。
(写真左手奥上からやってきました)

とんでもないところにあるもんだな!

 

……と、思ったら、

その先に、ちゃんと整備されたブロック階段が!!

なにーっ!?

降りてみると、知花城跡裏門ともいえる場所に出ました。

えーーっ!

ここからなら、あんなに苦労して山道を行く必要なかったのにー!

安全に、しかもすぐにたどり着けたのに。

案内板があったら助かったのになー。

 

というわけで、大城賢勇(鬼大城)のお墓に行くための
近道をご紹介です!

329号線を北上、知花交差点を過ぎると道路表示に「知花城跡」とあります。

その案内にしたがって左折。

小道をそのままちょっといくと、道沿い左に↑のような案内が出ています。
この矢印に従って左折すると……

写真上の知花城跡の入口(正面入口?)に行っちゃうので×

その標識の、いっこ手前。

この、カドにおウチのある小道を左折しましょう。
(↑写真右手奥に見える光が、知花グシク入口の標識がある小道です)

右手には知花城跡の小山がこんもりと見えています。

小道に入ったらこの小山の裏手にぐるっと回り込むつもりで
進んでください。

山のふもとにつくと、
その入口に「鬼大城の墓」の標識と、ブロック階段があります。

階段を登るとすぐです。

駐車スペースも有り、です。

 

 

goo地図
(ドラッグ&拡大縮小できます)

コメント (8)
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百十踏揚行脚~知花城跡~

2009年12月12日 | ・『百十踏揚』を読ム

「使者の方は、なんと?」

踏揚は不安げな面持ち見上げた。



「うむ。やはり降伏せよとのことであった。まず、越来城の明け渡し……」

「で、いずこへ?」

「知花城だそうな」

「天下一の武将」

として、武勲赫々たる鬼大城を、端城へ移れというのは、いかにも露骨なことである。

どんなにか屈辱感と怒りに心を煮え立たせていることだろう。



「ま、知花は、私が育ったところでもあるから、シマ(故郷)へ帰るようなものだがな……」

鬼大城は自嘲ぎみに言ったが、
その表情には、さすがに苦々しさがにじみ出ている。


「百十踏揚 672-」(与並岳生著/新星出版)より

 

後嶽を背にした険阻な知花「石城」は、それなりに攻め難い地形であり、
鬼大城は、ここで最後の抵抗を試みたのであろう。

しかし、今はもう、上から石を落とす兵もいないし、
矢を射下ろす者もいなかった。

圧倒的な「王軍」は、火攻めをかけて、
洞窟に立て籠もった鬼大城を燻り殺したのだと、伝承されている。

洞窟内で、煙に巻かれた鬼大城の最期は、さぞや無念の極みであったろう。

鬼大城ほどの武将である。

今はこれまで……と、敵の手にかかる前に、あるいは煙に巻かれて窒息する前に、
潔く自刎して果てたのではあるまいか。

 

「百十踏揚 723-」(与並岳生著/新星出版)より

 

はい。

「テンペスト」(池上永一著)行脚シリーズに続いて、
「百十踏揚」(与並岳生著)行脚シリーズスタートです(笑)

太字が引用部分で、台詞には人物別に色をつけています♪

でも、テンペストと違って、
「百十踏揚」はまだ1回しか読んでないから
(今、2回目読み始めてて途中で止まってます
テンペスト行脚ほどはアレコレとすぐには書けないかも…なんですが。

テンペストは幕末の頃の琉球が舞台ですが、
百十踏揚は室町時代の頃の話なので時代が違うのです。

琉球では「古琉球」といわれる時代で
「第一尚氏」王統末期の話です。

さて、知花城跡です。

以前、記事にしたことがあったのですが、
どうやら「大城賢勇(鬼大城)」の墓はもっと奥にあるらしい…!

ということが発覚。

今日、リベンジしてきた次第です。

 

続く

コメント (2)
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今年の漢字一文字

2009年12月12日 | ・徒然日記

以前撮った北谷町サンセットビーチからの夕日。

 

今年の漢字一文字、

「新」

でしたね。

 

漢字もその理由も私が予想してたのとピッタリでした

久々にポジティブなイメージの漢字になりました。

 

個人的に、この1年間を振り返って漢字一文字を当てるとしたら何かな?

「琉」

かな。

次点は「写」かな

理由は……そのまんますぎてバレバレですね(笑)

「琉」って漢字、
「琉球」関連でしか使われない漢字なんですよね。

写真も、琉球のアレコレを撮ることが多かった、ということで
「写」よりも、「琉」に決めたいと思います。

 

みなさんも個人的にこの1年間を振りかえって
漢字一文字を考えてみるのも楽しいですよ


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家紋手ぬぐい

2009年12月12日 | ・手ぬぐいコレクション

soiの家紋手ぬぐい。

鎌倉の「拭う」で購入。

注染。

日本の紋、家紋が好きです。

その魅力にハマってかれこれ8・9年…くらいなるかな?

大学の時、デザインの授業でピクトグラムの課題があったときに
参考資料を探して図書室で出会ったのがきっかけ。

家紋をひたすら模写したものです。

その後も何かと気になって、紋や家紋関係の本や雑貨も数多く。

ワタシの研究材料の1つとなっております。

本土に行ったらやはり家紋に目がいくことが多いです。
先記事の京都写真なんかでもやっぱり…)

琉球は家紋文化は本土ほどはないのです。

王族と、一部の士族たちにあるだけで。
家紋が記されているお墓を見るのも稀です。

しかも、本土には見られない独特なデザインも見られます。

(例えば、コチラのサイトをご覧下さい)

紋の魅力はデザインは言うまでもなく、
その名前もステキなものがたくさんあります

和菓子にも通じる日本のステキな美意識だと思います。


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年賀状思案

2009年12月12日 | ・徒然日記

年賀状に関するコラムや記事をだいぶ見かけるようになりました。

挨拶文のマナーだったり、
家族写真年賀状の是非についてだったり、
喪中の相手に対してもものだったり、
年賀状というツールそのものについてだったり。

メールの普及により年賀状数がかなり減りつつあるのは周知の事実。

年賀状そのものも、時代と共に変わりつつあるんだなぁ、
としみじみ思ったり。

ワタシは近況報告のきっかけとして、
年賀状は必要だと思っている派です。

メールじゃ…やっぱり味気ないし、
いつかは埋もれて消えて行くし。
(いちいち保護ロックかけるほどマメじゃないし)

住所が変わっていたり、
中には苗字も変わっていたりするし…!

普段はご無沙汰している相手でも
大切にしたい人にはしっかりと送りたいものです。

それさえもなくなったら、いよいよ縁が切れてしまいますしね。

もちろん、何百枚とか、無理はしない。
ここ数年は7・80枚…かな。

(シゴト関係のとか、義理で送るのはその年限り)

 

さて、そろそろ本腰入れて準備しはじめなきゃ

まだデザイン決めてなーい 
いつもはイラスト系だけど今年はやっぱり写真かな。


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