がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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史跡巡りにオススメの本

2009年10月18日 | ・和心な本、琉球な本

私のグスク巡りのお供はこの本。

「沖縄 琉球王国ぶらぶらぁ散歩」(新潮社)

2009年出版

まず、写真がきれい(これ大きい!)

エピソードも豊富で勉強になる。

一覧地図もあって分かりやすい。

そのままガイドブックになります。

 ↑の表紙は勝連城跡。
このアングルで見るとすごいな
まさに要塞。

それから、家に帰ってからはコチラの本。

「グスクロード 沖縄の城ものがたり」(むぎ社)

1988年出版なんでだいぶ古い。
(もう絶版してるかも)

実はずーーーーっと前から家にあって、最近発掘しました(笑)

背表紙のところとか、すっかり色褪せてて
でも中身はキレイなまま(笑)

こちらは「ものがたり」とタイトルにあるように、
挿絵入りの物語やエピソードが主。

だけど、グスクにまつわる様々な写真や絵、発掘資料も豊富なので
そのまま資料集になります。

 

沖縄の城ものがたりはもう手に入らないかもしれませんが、
ぶらぶらぁ散歩はオススメです。

沖縄でグスクや史跡を巡ってみようかという方は
ガイドブックに是非どうぞ

ちなみに、“ぶらぶらぁ”散歩、
過去記事にも書きましたが
沖縄は語尾を伸ばす癖があります。


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「国宝・沖縄 琉球王国の美」展

2009年10月18日 | ・琉球/沖縄、徒然日記


↑画像をクリックすると拡大します。


展覧会のご案内です。

「国宝・沖縄 琉球王国の美」展

…がっ!場所は兵庫県立歴史博物館

行きたいよ~
行けないよ~


↑画像をクリックすると拡大します

琉球王家・尚家の文化遺産の紅型で
私の1番好きな「白麻地牡丹尾長鳥水に菖蒲紅型」がある~

「おもろそうし」も展示されるみたいで
なんかすごいラインナップ

兵庫県民の皆さん、近隣県のみなさん、
沖縄は遠い離れ島ですが、
今なら兵庫県で琉球王国の文化に触れることができますよっ

 

10月10日~12月6日まで。
兵庫県立歴史博物館にて

 

このちらしは、(沖縄)県立博物館・美術館にありました。
おーっ!新企画!?
って喜んだのに…

ダマサレタ…


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豆絞り~ズ手ぬぐい②

2009年10月18日 | ・手ぬぐいコレクション

1週間ぶりの手ぬぐい紹介記事です

この記事をもちまして、
手ぬぐいコレクションのカテゴリが200記事達成となりました~

ということは、単純に考えて、
手持ちの手ぬぐいが200枚を越えた、ということになります

200というキリのいい記事で紹介する手ぬぐいとなれば…
やっぱり「豆絞り」ですね。

King of tenugui !

 

豆絞りが好きで、オーソドックスな白地に紺の豆絞りだけでなく、
様々なカラーバリエーションの豆絞りを持っています

以前、豆絞り~ズとしてまとめて紹介しているのですが
それ以後に新たに加わった豆絞りを2枚まとめて写真にパチリ

白地にピンク

山吹色地に白抜き

共に注染です

コメント (2)
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勝連城-中城城-首里城

2009年10月18日 | ・琉球史散策/第一尚氏

勝連の阿麻和利を制するために、
首里王府の命により座喜味城から中城城へ移ってきた護佐丸。

では、その位置関係を見てみましょう★

まずは、中城城跡からの視点。

眼下は中城湾。太平洋側の海です。

視線を右にやると首里方面。

向こう側に見える陸地は知念半島です。

知念半島はセーファウタキがあるなど、
祭事場重要な場所でもあります。

そして写真には写ってませんが更に左側には
琉球最高の聖地である久高島が。

中城城跡にはこの首里や久高を拝む拝所もあります。



そして、視線を左にやると…

阿麻和利の治める勝連半島です。

うーん、でもちょっとわかりにくいですね

では勝連城跡視点から中城方面をみてみます。

勝連城跡一の郭からの景色です。

ちょうど中央あたりにある小高い丘、あのあたりが中城城です。

↑画像をクリックすると大きくなります。

地図&航空写真で見てみるとこんな感じです。

中城城が首里城と勝連城の間にあることが分かりますネ。


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中城城跡

2009年10月18日 | ・琉球史散策/第一尚氏

沖縄の史跡めぐりが1つの趣味になりつつある和々です。

たくさん周って、たくさん写真撮ってきたのに
まだ紹介していないグスクがたくさんあります…

その中の1つ、中城城跡(なかぐすくじょうし)をご紹介します

はい。

昨日読了したばかりの「百十踏揚」の影響です(笑)

↑の写真、中城城散策はここから入ることになっているので
ここが正門とおもいきや、こちらは実は裏門です。
正門エリアは1番下の写真に当たります。

中城城跡も「琉球王国のグスク及び関連遺産郡」と称される
世界遺産の1つです。

“琉球戦国時代”の琉球きっての武将、護佐丸(ごさまる)の城です。
(琉球では“按司(あじ)”、と言います)

護佐丸は読谷村にある座喜味城の城主だったのですが、
にわかに力をつけて首里王府の脅威となりつつあった、
勝連の阿麻和利を見張るために、ここ、中城に移ってきました。

首里、中城、勝連の位置関係は次の記事で見ることにして…。

さて、中城城跡。

阿麻和利を制するために作られただけあって
軍事的な構造もいくつか見られます。

これは、鉄砲穴?
(正式にはなんて言うんでしたっけ…

ここだけじゃなく、城壁にいくつか見つけられます。

種子島への鉄砲伝来の100年以上も前に、琉球にはすでに“鉄砲”が。
実際、護佐丸・阿麻和利の乱のものであろう弾痕もあるのだとか。

中城城内には鍛冶屋跡も見ることもできます。

言い伝えや正史でどうであれ、
ここ、中城城で護佐丸・阿麻和利の乱といういくさがあったのは事実です。

大きな戦場となった場です。

1458年、十五夜の宴も更けた頃、
阿麻和利を総大将とする“官軍”がここ中城城を攻めてきます。

阿麻和利軍が掲げていたのは
首里王府を示す「三つ巴」の御旗

首里王府だと知った護佐丸は、王府に対する忠心ゆえに
はむかうことはできぬ、と自害。

そのエピソードに基づいて立てられたのが
この「忠魂稗」かと。

でも、何度も書いてますが、
護佐丸・阿麻和利の乱の本当の背景は謎。

この乱で護佐丸を討った阿麻和利は、
ほどなくして今度は首里軍に滅ぼされてしまいます。

首里王府にとって脅威となっていた勝連と中城、
阿麻和利と護佐丸。

この2大脅威を取り除くための計略があったのかなかったのか。

はてさて。

私個人的にはやっぱり王府の策士、金丸の策略だと思うケド…
だって、その後今度は金丸“派”が王府にクーデターを起こして金丸が王座につくのー。
これが“第二尚氏王統”の始まり。

グスクなんて、単なる石積みだし、
首里城みたいに建物などが復元されてるわけじゃないし、
ぶっちゃけ、なにがどう、というわけではないけれど、

こうやって歴史や時代背景を知ってから訪れると、
非常に感慨深いものがあります

なので、
勝連城跡や中城城跡を訪れる際には
「百十踏揚」(与並岳生著)、

首里城を訪れる際には
「テンペスト」(池上永一著)

の一読をオススメいたします(笑)



結局それ?

写真は今年7月に撮ったものです。
この日、「さんかく山のマジルー」の野外上映会があったので
そのための会場設営中でした。

写真に写っているライトやらなにやらはそれです。

いつもはないですよー。

コメント (2)
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