がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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初の進貢使・泰期像

2009年10月20日 | ・琉球史散策/グスク時代

残波岬の灯台のすぐそばに、銅像が立てられました。

泰期(たいき)像です。

進貢使として琉球で初めて中国へ渡った人です。

進貢とは、偉大なる帝国である中国に服従を誓うことで、
その使いとして派遣されるのが進貢使です。

服従を誓う、と書くとなにやら心穏やかな感じがしませんが、
当時の中国(もちろん当時は“中国”という名称ではないですが)
琉球のほかにも進貢国が多々あり、
それらは主従関係のようなものでした。

進貢国であるゆえに、中国との貿易が許され
文化的にも経済的にもプラスになっていったのです。

こちらがその進貢するための船を描いた

「進貢船の図」です。

最も、泰期の時代の琉球は、
まだ三山統一(琉球版天下統一)前の、“琉球王国”ができる前の話しですが。

この銅像の下にあった解説文です。

(前略)
読谷山(現読谷村)宇座の泰期は、1372年、察土王の御名代として、
中国への初の進貢使となった人です。
よって泰期は、中国の歴史に初めて名を留めた琉球の人物となり、。
「明史」に3回、「明実録」に5回も登場します。
中国へ進貢すると、莫大なみかえり品が贈られますので、
「おもろさうし」では唐商い(とう商い、中国との交易)としたのです。
泰期こそは、中国の文物を琉球に正式ルートで導入した先駆者だったのです。

 

 

指をさし、向こうに見えるのは中国大陸。

たとえ残波の海が荒れていようとも、

いざゆかん。

果報をもたらす夢の大陸へ。

 

 

なんだか、桂浜の龍馬像も思い出される銅像です。
(でも泰期像、思ってたよりも小さかったー。…いや、龍馬像がでかすぎるのか?


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オレンジ色の世界

2009年10月20日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

今日もシゴトが終わって…ほっと一息。

明日からまたお天気は下り坂というし、
よし、夕日を見に行こう!

というわけで車を西へ、ぶぃ~~ん

向かったのは読谷村の残波岬(ざんぱみさき)。

すぐそこの残波ロイヤルホテルには何度かランチバイキングを食べにきてたけど、
岬まで来たのはかなり久しぶり。

東シナ海向けの海は…

とにかく荒い。
(台風20号の影響もあるのかしら)

ざぱーーん

どぱーーーん

海しぶきが横殴りの雨のように降って来ます

風もかなり荒れてて さむーーーいっ!

1番上の写真のように、夕日はある一定のところまでは
キレイに見えたのですが、
生憎、薄雲に邪魔されて海に溶けゆく様は見れませんでした

残波岬の灯台です。

まだ登ったことがないので今回は登ってみよう!

って思ってたのに…ちょうど昨日から修復作業があるとのことで立ち入り禁止に

夕暮れの空は刻一刻と色合いを変えていきます。

薄雲にすっかり姿を隠したはずの太陽の光が
瞬く間にあたり一面をオレンジ色に染めて行きます。

オレンジ色の世界。

オレンジ色の海。

暮れていくごとに

色は濃く

深く。

そしてまた 明日へ。

 

 


今回の写真は全てケータイ撮影。
レタッチなしです。
あ~、でもデジイチで撮りたかったなぁ~

鮮やかな夕焼け空だったけど、
心なしかかすんで見えるなぁ~と思ってたら
本日沖縄県でも黄砂観測、だそうです。

ああ、どうりで…。


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