神田昌典さんの『人生の旋律 ~ 死の直前、老賢人は何を教えたのか?』を読みました。
アマゾンの書評では散々に言われていますが、わたしには神田さんのモチーフは分かるような気がします。大切なのは、この本は偉人伝として読んでいはけないということです。
この本の主人公・近藤トウタは、大正から軍国主義の時代を経て戦後の日本を生き抜いた人です。著者はこの人の人生から、ちょうど軍国主義前の日本はバブル期のように経済が好調で西洋趣味が国民の間に浸透し海外渡航する日本人が珍しくなかったことを指摘します。
私たちはメディアによる「歴史的ニュース映像」から昭和初期以前の日本には現在と比較して貧しいイメージを植えつけられていますが、それは軍国主義下の日本のイメージをそのまま時代を下って拡張したものであることをこの本から知ります。
それは同時に、日本の軍国主義が、当時の人々の頭を洗脳し、現在の私たちまでにも影響を及ぼしていることを意味します。その時代から日本はいきなり質素倹約・勤労と皇国への奉仕がイデオロギーとして浸透していき、その前まで時代を謳歌していた経済発展とバブルに踊る人々は、急激な世間の価値観の転倒の中で、国家から迫害されていきます。
こうした価値観の転倒がいかにその時代を生きる人々を翻弄し悲劇をもたらすか、そのことについて歴史的に見直そうとしたのがこの『人生の旋律』です。近藤という人がすごい人からどうかということは二の次と言ってもよく、彼はその価値観の転倒の犠牲者の一人であるということです(著書では、アメリカ留学をした近藤さんが軍国主義下の日本では受けた様々な悲惨ともいえる出来事と、にもかかわらず生き抜いた彼のストーリーが詳しく描かれています)。
また近藤という人自身について見ても、偉人でもなんでもなく、自己のエゴに突き動かされて行動し、しかし必然的にそのエゴが壁にぶち当たり、人生を見つめなおし、最後には安定した平和を見出したふつうの人です。ただそのエゴが強烈だった分、行動が極端で、その反動による体験も尋常ではなかったということであり、彼自身の内面の変遷の道筋は多くの人が体験しているものだと思います。またそれゆえに、つまり近藤さんのその普通さのゆえに、読者である私たちは彼から生き方を学ぶことができるのだと言えます。
『人生の旋律』は、私たちが当たり前だと思っていることが時代によって思い込まされた価値観に過ぎないこと、その価値観が変化する時代には私たちは気づかずに誰かを被害者にしているかもしれないこと、そのことを教えてくれる本です。
またこの本を今この時代に出版した神田さんには、強烈な時代批判・国家批判・社会批判の意図があることも分かります。
この本から読み取ったほうがいいのはそのことではないかとわたしは思いました。
涼風