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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

政治と外発的動機 『運命の法則』天外伺朗(著)

2005年11月01日 | Book
   
天外伺朗さんは「損得一定の法則」ということを述べていて(『運命の法則』)、昨日の記事でも取り上げたように、普通の人はエゴが肥大して「いい気」になっているとそれを戒めるような出来事が起こるそうです。

これはわたし自身のこれまでの人生を振り返ってもその通りだと思います(同じことをタデウス・ゴラスさんは「あえて目を背けていることがあると、それを直視させるような出来事が起きます。紅茶を無視しているとコーヒーを見ざるをえないことがおきます」と表現しています(『なまけ者のさとり方』))。

でも同時に、天外さんは、そうした「損得一定の法則」を刎ね飛ばすように連戦連勝で勝ち続ける人が実際にはいることも指摘されています。


現在の総理やその周辺のひとたちは、周りの反対する人たちを完全に追い落として政権を作り上げています。

それは政治という世界が弱肉強食である以上仕方がないし、その世界で生まれもって強いパワーを持っている人は、現在の総理のように、「勝ってしまう」のだと思います。

そのため総理が「冷酷」「非情」に見えてしまうのも、仕方がないです。だって周りも自分を追い落とそうとしているのだから、自分のパワーを使わざるをえません。

根本的な問題の一つは、政治という舞台が、弱肉強食の原理で働かざるをえないことのように思います。

この世界にいる以上、生まれもって強いパワーをもつ人が「勝つ」ことを受け入れざるをえないのではと思います。どれだけ正しい理想をもっていようと、現在の日本人のレベルでは、政治は弱肉強食なのだから、勝てない人はor勝てない時は勝てないのです。

民主党の一部には誠実な政治家はいるかもしれません。しかし、もし彼らが誠実だとしても、弱肉強食の原理で政治が動くかぎりは、政権交替ということを無闇に追い求めてもムダだし、自分の墓穴をほってしまう危険性も高いのでしょう。「強い者が勝ってしまう」ことを受け入れて、その範囲で自分でできることを探すのが賢明なのかもしれません。

田中角栄が堅固なものにした利権政治の体制はそれなりに安定した政治地図を作っていたけれど(もちろん巨大な弊害を伴いながら)、それが崩れポピュリズムで政治が動く以上、よりダイレクトに強い者が弱い者を追い落とすようになっています。

それは、経済の世界で大企業を頂点とした業界地図が作られていた戦後の経済の構図が崩れ、M&Aなどの弱肉強食の原理がよりダイレクトに反映されるようになったことと親和しているのだと思います(もっとも戦後においても中小企業の世界ではその原理がずっと働いていたのですが)。


チクセントミハイ、マズローといった心理学者は、人間の行動を大きく二つに分けて、「内発的動機」と「外発的動機」という行動原理を指摘しています。「外発的動機」とは富・権力・他者への優越感(劣等感)というものへの欲求をさし、「内発的動機」とはそのひと個人の中から自然に湧き起こってくる興味を指します。

「政治」の世界は、「本来」であれば「内発的動機」で動くことが可能な世界です。よりよき世界をデザインするという欲求・社会的善への欲求をもつ人は世の中にはたくさんいるからです。

しかし現在のわたしたちは、「政治」をそういう「内発的動機」で動く政治として確保できるほど成熟していないのだと思います。むしろ政治の世界にいる人たちに羨望・崇拝の念をもつため、政治家自身もそういう人々の崇拝・尊敬を追い求め、また人民と世界をコントロールできることに快感を見出してしまいます。9.11選挙はその典型例となったのだと思います。

政治が「外発的動機」で動く時代はしばらく続くのだと思います。その限りでは、「強い」人が勝ち続けます。

そうした世界で「弱い」人が、ニーチェ的な自己攻撃に足を掬われずに、生きていくにはどうすればいいのか、それを個々人が体得することが大切なように思います。


涼風