淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「無念と望郷の上野駅」344

2024年06月22日 | Weblog
 今日は6月22日土曜日。
 昨日の土砂降りとは打って変わって気温は朝からぐんぐんと急上昇。確かに暑いんだけど、それほどの辛さは感じない。
 仕事で月曜日まで東京に滞在することになる。それでも今日と明日は土日ということで、講義で使おうと都内の主要地域を取材で歩き回ることにした。
 上野に行く。
 まずは観たい観たいと思ってた「東京都美術館」の「デ・キリコ展」に足を運んだ。デ・キリコは、「形而上絵画」の巨匠で、好きな画家の1人だ。日本では10年ぶりの大規模な個展となるようで、東京の次は神戸で開催されるらしい。
 休日なので入場規制が行われているかもと危惧したけれど、それほどの大混雑という感じじゃなかった。
 「イタリア広場」、「形而上的室内」、「マヌカン」、「晩年」などのテーマに分かれ、初期から晩年までの彼の作品が展示されていて、圧巻だった。
 キリコはいい。

 

 「東京都美術館」を出ると、夏の明るい陽射しが降り注いでいた。
 隣の「上野動物園」入り口は長蛇の列。近くでは「台湾フェスティバル」も開催されていて、ここもまた大賑わいだ。
 上野・・・。すっかり昔の上野の雰囲気は様変わりしていて、少しお洒落な都会になった気がする。
 そういえば東京で暮らしていたころ、夜になって板橋・大山のアパートの部屋に独りぼっちぽつんといると、あんなにも嫌悪していた故郷の街が急に恋しくなってきて、祖母の作ったご飯とおかずも無性に食べたくなり、サンダル履きのまま何も持たず、大山駅から池袋行きの東上線に乗り込み、そこから山手線で上野駅まで行って、そのまま夜11時20分発(だったと思う)の上野発青森行き急行「十和田5号」に乗り込んで、故郷青森へと帰ったことを思い出す。
 上野駅、13番ホームだった。



 夜の11時過ぎに上野駅を出発する青森駅行きの夜行列車は、いつも閑散としていて、寝台列車ではないので、4人掛けの固い座席を独り占めし、足を伸ばしてそのまま眠った。
 夜明けを迎えたのは盛岡あたりだったろうか。そこから八戸駅を通過して浅虫温泉まで来ると、もう午前10時過ぎになる。
 そこから少しずつ青森市内の懐かしい風景が車窓から見えてくる。青森駅へと滑り込むその少し前、高架橋から中心市街地を見渡すと、自宅が一瞬だけ見え隠れした。
 こうして、突然帰ろうと決めた、約12時間の長い旅が終わる・・・。


 そんないきなり「故郷帰り」をいったい何度実行したことだろう。
 何の計画も持たず、突然、思い立って「上野駅」から乗り込む上野発青森行き急行「十和田5号」。
 大嫌いだった故郷から離れたら離れたでその地が無性に恋しくなり、夜行列車に飛び乗って帰り着く北の街・・・。
 上野は夢と望郷の駅だった。
 

 そしてまた、初夏に塗れる上野の駅に、こうして独り立つ歳を重ねた男がいる。それなりに長い人生だった。
 でももう、夢などない。
 望郷の念に駆られたあの頃の、ちからも信念も、ここにはもう一切合切何もない・・・。





この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「夢と挫折の板橋区」343 | トップ | 「愉楽と廃頽の新宿歌舞伎町... »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事