丸くなったもんだと思うことがある。
思っていることを目上の人や周囲に言えず、躊躇い、口ごもってしまうこともよくある。ぎらぎらと尖がっていた頃の自分自身のことを思うと、自然と苦笑いさえ漏れてくる。
どうせ我を通したとて、大きな力や権威にはいつか負けてしまうんだという醒めた感情に支配され、長いものには巻かれ、妥協と諦めと怠惰の日々に沈んでいる・・・。
これはいつからなんだろう?
いつからこんなにひ弱で、牙を抜かれた小市民になっちゃったんだろう?
歳を取ったことを理由にして、今あるこの現状を是認し、保守的になり、危険な道を避け、安全な道を呆けた顔をして歩いてる、そんな気弱な己がいるのだ。
【ロックじゃねえ!】
今日6月8日土曜日「朝日新聞」の「オピニオン&フォーラム」欄に大きくこのタイトルが載っていた。
テレビ「孤独のグルメ」シリーズで主演している、俳優の松重豊氏が、【僕の生き方の基準】、【ブレぬ強い「腹」】、【ゼロで無で空だよ】という見出しとともに、記者からのインタビューに応じている記事だった。
そういえば、明日の6月9日は「69」、ロックの日である。
このインタビュー記事の発端は、1月13日付け「朝日新聞」の「声」欄に投稿された、女子大学生の「今も聞こえる ロックじゃねえ!」を読んだ俳優の松重豊氏が、読みながら号泣し、NHK「おげんさんのサブスク堂」という番組の中で朗読までしたことから大きな話題となり、今回新聞で大きく取り上げられたことによる。
1月13日付け「朝日新聞」の「声」欄に投稿された女子大学生の「今も聞こえる ロックじゃねえ!」は、要約すると、投稿者が小学生時代に担当となった先生が大のロック好きで、宿題を忘れても教室の硝子を割っても怒らなかったその先生が、嘘をついて言い訳をしたり、正直に硝子をわったことを黙っていたりすると、「ロックじゃねえ!」と怒り心頭したという過去の思い出エピソードだった。
その記事を読んだ松重豊氏が、今度は記者からのインタビューに応じた内容が、本日の「オピニオン&フォーラム」に掲載されていたのだ。
松重豊氏はいう。
「一生、ロックというかせをはめて生きてゆく」と、「人生トータルでロック的な強さを表現してゆくのだ」と・・・。
ほかにも活きのいい刺激的な言葉が次から次へと飛び交っていて、禅や般若心経にはロック・スピリットがあるとまで断言していた。
本当に素晴らしいインタビュー記事だった。
はっきりいって、「ロック」なんてワード、もはや死語に等しい。
だいたい、今の10代に対して、「ロック」という音楽ジャンルを説明したり聴かせたりしてもピンとこないかもしれない。それほど音楽のジャンルはクロスオーバーし続け、細分化しているのだ、現在では。
そこに、そんな生き方は「ロックじゃない!」って言われても、若い人間は単にシラケるだけだろう。
しかし。しかしである。
それは哲学なんだ。生き方の指針なんだ。スタイルであり、美学なんだ。
古い昭和生まれのロックに塗れて生きて来た人間にとって、やはり最後の最後まで、それって「ロックじゃねえぞ!」と自ら言い続け、生き方そのものを問い続けなかければならない。心からそう思う。
その意味では、ロックは「般若心経」であり「色即是空」であり「一切は無」である。
たとえ、滑稽で、馬鹿げた叫び声であったとしても、絶えず心の中で言い続けていたい。
それって、「ロックじゃねえ!」と。