これまた久しぶりの映画館、「シネマ・ディクト」。
最近、「シネマ・ディクト」で上映されている作品のどれもこれもがそそられる映画のオン・パレードで、観に行こう観に行こうといつも予定を立ててはいたのだけれど、中々時間があわず、かなりの作品を見逃してしまっていた。
今回観ようと思っていた映画は、第94回アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した、「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介による作品だということで、上映が始まった先々週からずっと日程と睨めっこしていたのである。
それが上映最終週になって、ギリギリ観ることが出来た。
この映画だけは何としても観たかった!
映画館に入ったら、いつもの受付の女性から開口一番、「あらら」と言われてしまう。すいません、毎週通って来たいんだけど・・・。
定番の、一番後ろのスクリーンから見て左側の2席に座っていたら、なんと館主のTさんがわざわざ挨拶しに来てくれた。いやいや、もっともっと観に来れるよう、これからも精進いたします・・・。
映画「悪は存在しない」に関しては、まったく予備知識をせず観ることに決めていた。もちろん、これまでも映画を観る前提のスタンとしては、なるべく事前に関連する情報だったり、物語の内容や評論の類いを読み込まないように心掛けてはきたつもりだけれど、この「悪は存在しない」については、どんなストーリーでどんな内容の作品なのか、全然知らずに臨むことにしたのだ。
ただ、映画評論家の蓮實重彦氏が書いたあるエッセイの中で、「悪は存在しない」を絶賛していて、若干冒頭のシーンに触れていたのだが、その部分だけははからずも読んではいた。
豊かな自然が残る長野の山村。
そこで暮らすある中年男性と娘の2人は、自然のなかで慎ましくも豊かな毎日を過ごしていた。男性は山で木を切ってそれを燃料とし、雪解け水が流れる小川から毎日水を汲み取る日々を続け、小学生の娘は離れた分校へと毎日歩いて通っている。
ところがある日、村に新たなグランピング施設を作る計画が持ち上がる。それは経営難に陥った東京の弱小芸能事務所が、政府からのコロナ禍関連の補助金を得ることで成立するような計画だった。
そして、芸能事務所の職員2人によるグランピング施設計画の「説明会」が開かれるのだが、その内容は、豊かな水源に汚水を排水することになる杜撰な計画で、その事実を知った住民たちは大きく動揺する・・・。
ここまでの一連の流れを、映画は静かなせせらぎのように、ゆっくり、そして絶妙な間を取りながら語ってゆく。
思わず観ながら唸ってしまった。それほど劇的な物語を提示しているわけじゃないのに、なんなんだ? この圧倒的で畳み込むようなサスペンスは!
とにかく語りが素晴らしい。何気ない言葉の羅列が続くのに、どこまでも濃厚な遣り取りで、それでいて透明感に満ち溢れている。
ラストの数分間がまた凄い。
こう来たか!
恐るべし、濱口竜介監督!
映画「ドライブ・マイ・カー」は、蓮實重彦氏と同様、それほど素晴らしい作品だとは思えなかったけれど、この映画「悪は存在しない」は本当に素晴らしい映画に仕上がっていると思う。
タイトルの意味も、衝撃的なラストを目撃することでよく分かる。