激しい雨が降っている。それに肌寒い。
今日(6月21日金曜日)から東京は「梅雨入り」だという。スマホで青森市内の天候を見てみたら、最高気温が28度。首都圏よりも本州最北端の県庁所在地のほうが気温が高いなんて・・・。
そんな最悪の中、傘を差して歩いてはいるものの、大粒の雨が傘からはみ出た肩や膝下に当たって、びっしょりと濡れている。駅に着いたら寒さで震えてしまった。
電車を乗り継いで、板橋区内にあるD大学へ。
今日は午後から、ここの社会学部のY先生のゼミで講義を行うことに。
「青森」の風土と現況を学生たちにパワポで講義し、ついでに「音楽社会学」の視点から、CDで高橋竹山の「津軽じょんから節」を流した。黒人音楽との類似点を話すその過程で、ブルースやジャズの起源にも触れ、ビリー・ホリディの「奇妙な果実」もCDで聴かせた。
夕方、やっと今日の授業が終わる。
外に出たら、雨は小降りになっていた。でも風が冷たくて肌寒い。独り、雨降る板橋区内を傘を差しながら歩いてみる。
夜になり、大学近くに取った、今日のねぐらへ何とか辿り着く。
板橋区・・・。この板橋区もまた、数えきれないくらい数多くの想い出で詰まっている街だ。
高校を卒業して東京で暮らし始め、借りたアパートが板橋区の大山だったからだ。ここにずっと東京での4年間、暮らし続けた。一度たりとも板橋の街を出なかった。だから、東京っていうのは、イコール板橋だった。
大学へはほとんど行かず、昼と夜がまったく逆な生活を送っていた時期もあった。
アパートから100歩も歩くと銭湯があって、その銭湯は夕方4時から開くので、起きると目覚めの一風呂を浴びによく通ったものだ。侘しくて哀しくて、こんな生活、いつまで続くんだろうと悶え苦しんだ。
毎日が日曜日だった。絶えず苛々していた。夜になると、50ccのバイクで池袋にぶらりと行ったりもした。
毎晩、夜の都内を彷徨した。
そんな18歳から22歳まで暮らし続けた板橋の地で、まさか区内の大学に行って、若い学生たちを前に、黒人ブルースやウイーケンドや高橋竹山の音楽を語るなんてこと、マジで予想だにもしなかった。
あのころ、未来はいつも不確かで、将来の夢だけが頭の中でグルグルと回っていた。そしてその最後に待っていたのは、ほろ苦い挫折と東京との辛い決別だけだ。
嗚呼、板橋・・・。
夢と挫折の板橋が、今またここに居る・・・。