淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「夢と挫折の板橋区」343

2024年06月21日 | Weblog
 激しい雨が降っている。それに肌寒い。
 今日(6月21日金曜日)から東京は「梅雨入り」だという。スマホで青森市内の天候を見てみたら、最高気温が28度。首都圏よりも本州最北端の県庁所在地のほうが気温が高いなんて・・・。
 そんな最悪の中、傘を差して歩いてはいるものの、大粒の雨が傘からはみ出た肩や膝下に当たって、びっしょりと濡れている。駅に着いたら寒さで震えてしまった。
 電車を乗り継いで、板橋区内にあるD大学へ。
 今日は午後から、ここの社会学部のY先生のゼミで講義を行うことに。
 「青森」の風土と現況を学生たちにパワポで講義し、ついでに「音楽社会学」の視点から、CDで高橋竹山の「津軽じょんから節」を流した。黒人音楽との類似点を話すその過程で、ブルースやジャズの起源にも触れ、ビリー・ホリディの「奇妙な果実」もCDで聴かせた。



 夕方、やっと今日の授業が終わる。
 外に出たら、雨は小降りになっていた。でも風が冷たくて肌寒い。独り、雨降る板橋区内を傘を差しながら歩いてみる。
 夜になり、大学近くに取った、今日のねぐらへ何とか辿り着く。
 板橋区・・・。この板橋区もまた、数えきれないくらい数多くの想い出で詰まっている街だ。
 高校を卒業して東京で暮らし始め、借りたアパートが板橋区の大山だったからだ。ここにずっと東京での4年間、暮らし続けた。一度たりとも板橋の街を出なかった。だから、東京っていうのは、イコール板橋だった。


 大学へはほとんど行かず、昼と夜がまったく逆な生活を送っていた時期もあった。
 アパートから100歩も歩くと銭湯があって、その銭湯は夕方4時から開くので、起きると目覚めの一風呂を浴びによく通ったものだ。侘しくて哀しくて、こんな生活、いつまで続くんだろうと悶え苦しんだ。
 毎日が日曜日だった。絶えず苛々していた。夜になると、50ccのバイクで池袋にぶらりと行ったりもした。
 毎晩、夜の都内を彷徨した。



 そんな18歳から22歳まで暮らし続けた板橋の地で、まさか区内の大学に行って、若い学生たちを前に、黒人ブルースやウイーケンドや高橋竹山の音楽を語るなんてこと、マジで予想だにもしなかった。
 あのころ、未来はいつも不確かで、将来の夢だけが頭の中でグルグルと回っていた。そしてその最後に待っていたのは、ほろ苦い挫折と東京との辛い決別だけだ。
 嗚呼、板橋・・・。
 夢と挫折の板橋が、今またここに居る・・・。






 
 

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