淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「愛と追憶の東京駅」342

2024年06月20日 | Weblog
 午前10時台の東北新幹線に乗り込んで「東京駅」。
 都内にあるD大学の社会学部のゼミで講義を行うための東京入りだ。
 駅を降りたけど、それほどの暑さは感じない。朝、青森を出たときの気温のほうが高かった気がする。それほど今日(6月20日木曜日)の青森市内は晴れ渡っていて暑かった。
 少し時間があって小腹も空いていたので、「新丸ビル」に立ち寄って軽めの遅い昼食を摂る。


 東京駅・・・。
 この東京駅周辺にもまた、たくさんの懐かしい思い出が詰まっている。
 学生時代、皇居のお堀端にある高級ホテル「パレスホテル」でずっとアルバイトをしていた時期があった。
 「リネン」担当で小部屋が用意され、そこでホテルの宴会で使うサイズごとに分けられたテーブル・クロスを管理するというアルバイトだった。
 時給もかなり高く、大学生のアルバイトが大勢いた。社員用の食堂がまた素晴らしく、高級ホテルということもあるのかもしれないけれど、月に一度は必ず豪華なステーキなんかが振舞われた。
 ホテルの窓から、美しい皇居が見えた。
 お堀の周りに生い茂った樹木は春夏秋冬その色を変え、夜になると日比谷方面のビルの灯りがとても綺麗だった。
 いつか必ず、いつか必ず、このホテルに泊まってやるぞ。そんなことを考えながら仕事をしていたことを今では懐かしく想う・・・。


 東京駅周辺にはまだまだたくさんの思い出がある。
 駅からタクシーで何度も何度も官庁詣でを行ったし、青森ねぶたを「東京ドーム」に出陣させる大きなイベントに参加するため、当時の組織の仲間たちと「東京ドームホテル」に連泊して作業したことがあった。
 真冬だった。
 仲間の中に何人かランニングをしている男女がいて、ドームでの仕事が始まる、夜明け前の午前4時にホテルのロビーで待ち合わせ、みんなで水道橋から東京駅方面へと走り、そのまま皇居を1周したのだ。
 真っ暗な皇居の周りをみんなでランニングしていたら、少しずつ東の空が赤みを差し始め、やがて限りなく透明なブルーにすべてが塗りこめられてゆく。
 本当に美しかった・・・。



 それから今の組織に移って、東京キャンパスを立ち上げる際、「神保町」に準備室を設けてそこでの仕事に従事していたときは、青森・東京間をいつも往復していて、東京駅で降りると電車に乗らず皇居を通り、歩いて「神保町」まで行っていた。そんな時期もあった・・・。
 こうしてまた、色んな思い出の詰まった東京駅に今日も降り立ち、暫しの間、立ち尽くしたままで感傷に耽っている自分がいる。

 こんな風にすべては過ぎ去り、あとに残るのは、微かで儚いセンチメンタルな、そんな想い出だけなのに・・・。





 

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