淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「そして、あらゆる青春の破片は、またあのときの高円寺へと還ってゆくー」346

2024年06月24日 | Weblog
 学生時代、高円寺の街には何故か数多くの友人たちが住んでいた。
 偶然なんだとは思うけれど、高円寺、そして新高円寺周辺に、同じ青森から上京してきた高校時代の同級生や友人たちのアパートが集中していて、友人から同郷の友人を紹介されると、またその輪が広がって、高円寺周辺は差し詰め「青森から上京した若者たちの共同コミューン」のようだった。
 だから、板橋の大山に居る以外、ほとんど高円寺周辺の友人宅を転々としていた気がする。夜、友人たちとお酒を飲みに出掛けたり家飲みしたり麻雀をしたりするので、自分のアパートまで電車で帰るのが面倒になって、そのまま高円寺の友人アパートに泊まってしまうのだ。


 数年前、大病を患って亡くなってしまった高校時代のクラスメートのアパートによく泊まったものだった。
 一緒に高円寺の高架橋の下にたくさんあった飲み屋をはしごして歩いた。
 そうだ、思えばあの頃はお酒がそれなりに強かったんだ!
 1人でウイスキーボトル一本空けたことだってあったんだ!
 へべれけに酔っぱらったけど・・・。
 若くて体力も半端なかったのだろう。徹夜してそのままアルバイトに行ったことが何度もあった。
 そうかあ・・・アルコールに結構強かったのかぁ。



 今でも鮮明に覚えてることがある。
 20歳になったその日の夜(だったか次の日だったか)、その亡くなってしまった同郷の友と一緒に高円寺のガード下でたらふくお酒を飲み、べろべろになって、どちらともなく「ヨーイドン!」と叫びながら全力疾走しながら競争したことを。
 飲んで走ったことから具合が悪くなって、お互いそのままカード下の脇に倒れ込み、大声で笑いあったっけ。
 「もう二十歳だぜ・・・」と、どちらかがぽつんと呟き、「若くねーんだなあ、ちくしょうめ・・・」と、またどっちかが呟いた。
 その言葉を今でもちゃんと覚えてる。そいつから、ショーペンハウアーの哲学を教えてもらった。クラシック音楽をいつも聴いていた。
 二十歳なんて、今思えばまだまだヒヨコのヒヨコじゃないかよ!
 人生ってやつは、本来そこから始まるんじゃないのかよ!
 今思えば、そういうことに尽きるのに・・・。


 今日(6月24日月曜日)でD大とのコラボは終わり、泊まっていた「東村山」を後に青森の街へと帰るべく、午後、国分寺駅から中央快速に乗り込んだ。
 吉祥寺を過ぎ、阿佐ヶ谷を過ぎた辺り、屋上に「爛漫」の巨大広告塔を載せたマンションが高架橋から見えてきた。懐かしいマンションだった。まだ昔とおんなじ風景だった。
 当時、毎日のように通っていた高円寺高架下のロック・バー(お昼は珈琲を出していた)「キーボード」ももうなくなってしまった。髭のマスターは北海道に帰ったと聞いたけれど、今どこで何をしてるんだろう?
 この店でひたすら聴き狂った、イーグルスやジャクソン・ブラウンやブルース・スプリングスティーンやザ・バンドが無性に聴きたくなる。
 死ぬまで青春なんて言葉、んなもん、綺麗ごとにしか過ぎない。すべては過ぎ去り、すべては終わってゆく。
 サヨナラだけが人生だ。
 死んだらそこで、何もかもが終わりを告げるんだ。それだけのことだ。



 9回裏逆転代打満塁サヨナラ・ホームランなんて、人生ただの幻想である。







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