テルミンの彼方へ
宇宙とシェアする楽の音
 





マイノリティ・レポートと言う映画を見た。映画の中の未来都市。パソコンのインターフェースも進化している。立ったまま、何もない空間を手で撫でると、そこに仮想スクリーンが登場する。登場人物は、その仮想スクリーン上、ただの空間をipadの画面を操作する様に指でタッチし、スライドしたり、つまんだりして入力する。

非常に未来的なのだけれども、何もない場所に突っ立って、手を振り回して操作する姿が、なんとも様にならない。たとえば、座って操作したら、まだよさそうな気がする。何もない所に立っている姿がすでに、なんとも拠り所のない、存在に見える。人間って、二本足歩行になってから大分経つ筈なのだけれども、もしかしたら、後ろ足で立つ事にまだ慣れていないのかな と思われる様な。

こういう場面は、他のシチュエーションで見る事がある。たとえば、歌い手で、立って歌う姿が様にならない人がいる。座って歌う姿は絵になっているのに、立って歌う姿は絵にならない。

話は全然変わるけれども テルミンの場合。 演奏する時、視線を下に落としている人が多い。よく、前を見て演奏できないのか?と聞かれる。大抵、それは難しいです、と答えるのだけれども、実はやろうとしてみると、これは慣れの問題であって、出来ない話ではない。たとえば、歌う時の様に客席に視線をやってテルミンを弾く。やってみて思ったのだけれども、この姿が、やはり、なんとも様にならない。座って弾いても、その状況は変わらないと思うので、マイノリティレポートの映画で感じた印象の話と違う分野の話かもしれないのだけれども。

これも また違う分野の話かもしれないのだけれども そこはかとなく似た印象を覚えるのは 人間 歩く時 前からや 横から見られている時は さほど気にならないのだけれども 後ろから見られている時は なかなか無心では歩けないのだそうだ。

いずれも 何か よりどころの無い奇妙さ。。。を 感じる シチュエーション。 何かが足りない という気がする 場面。

し。。。しっぽかっ!?(違うと思います)


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