テルミンの彼方へ
宇宙とシェアする楽の音
 



エクス市、マルセイユ総領事館、観光局、テルミンを貸してくださった生方さん、コーディネートと当日の通訳までお願いしてしまった脇本さん、その他エクサンプロバンスの方々、多くの方にお世話になりました。

ありがとうございました。

快く能楽堂を使わせてくださった熊本の狩野家にもお礼申し上げます。
エクスプロバンスの青い空と能楽堂、素敵なシチュエーションで演奏させて頂けて、お客様も沢山いらして頂けて、幸せです。















演奏動画 「無限に広がる大宇宙~新相馬節 」
https://youtu.be/55MlHUqbCZg


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ご報告が遅くなりました。仙台の『智惠子抄』無事に終了いたしました。

ご来場頂きました方にも、応援頂きました方にもありがとうございました。

主催の荒井真澄さんには本当にお世話になりました。ありがとうございます。『智惠子抄』の公演は、今までに、自分でも何回か企画しており、公演の度に、新たな発見があります。今回の発見は「荒涼たる帰宅」こんなに心打つ詩だと思ってなかった! 

『智惠子抄』は、光太郎先生と智惠子さんの、二人の人生の、ほんの一断面を切り取った物に過ぎません。しかも、光太郎先生は、最初から『智惠子抄』という詩集を作ろうと思って、智惠子さんに関する詩を詠んだ訳ではなく、智惠子さんが亡くなった後に、折に触れて智惠子さんを詠み込んで来たいろんな詩を集めた、いわば寄せ集めの詩集です。これが智惠子さんの全てではないので、違~う!と言いたくなる事もある。。。にも関わらず、圧倒的な存在感で、智惠子さんという女性、がそこに存在します。光太郎先生、すごいなあ、と思います。

もっと知りたい『智惠子抄』!!!

会場のJazz Me Blues noLaさんが、いい雰囲気の照明にしてくださったので、写真を選ぶのが難しくて。。。似た様な写真ですが、お気に入りのいくつかをば。。。☆











この公演は、花巻高村光太郎記念会さんと、高村光太郎連翹忌運営委員会さんから、後援を頂きました。

花巻高村光太郎記念会さんからは、お花が届きました。



高村光太郎連翹忌運営委員会の小山さんは、会場に飾る様に、と、智惠子さんの紙絵の複製や、光太郎先生の写真を持ってきてくださいました。唯一笑顔の光太郎先生の写真だそうです。



そして、小山さんが飾ってくださった貴重な資料の数々。





そもそも、真澄さんとのご縁が、高村光太郎連翹忌です。光太郎先生と智惠子さん。。。というつながりで、仙台の方と一緒に演奏会する事になるなんて^^ 素晴らしいご縁をありがとうございました☆ 

これからも、光太郎先生や智惠子さんを愛する方達との出会いがあります様に。そして、輪が広がっていきます様に。

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青山曼荼羅で、青柳物語~恋夢む 上演。

語り:水沢有美

音楽:ぷらイム

友忠:流雲有我

ありがとうございました!







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多少マニアックな舞台におつきあい頂きましてありがとうございました。とても楽しく演奏させて頂きました!

それにしてもジュウメイ先生の身体能力がすごい。動画でお見せできないのが残念です。

一番最初に読んだ文章は何ですか、という質問をいくつか頂きました。『智惠子抄』の長沼智惠子の書いた文章です。











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千鳥ヶ淵戦没者墓苑での演奏、今年は雨となりましたが、お堀の桜は満開。しっとりとしたお茶会での演奏となりました。足下の悪い中、ご来場頂きました方、ありがとうございました。

お隣の靖国神社には、姓名の分かる方の御霊をお祀りしてありますが、こちら戦没者墓苑には、お名前の分からない方のご遺骨をお祀りしてあります、いわば、無名戦士の墓とも言うべき施設です。

毎年、春のお茶会の時には演奏させて頂いておりますが、桜もお天気も、春の気まぐれ、毎年毎年、一日と同じ日はありません。

こちらの墓苑は、戦争で亡くなられた方の慰霊の施設という事になりますが、一番の慰霊は、もう二度と同じ過ちを繰り返さない、という事です。行く道々、車の中で、テレビ番組とか見ていると、ついつい、番組の作りようによっては、見た後の気持ちが「やっぱり、日本も、ちゃんと、自分の身は自分で守れる様な軍備を整えておかないと、国として恥ずかしいじゃない!?」という気分に持っていかれそうになるのが怖い。戦争だけは二度と駄目だ、という気持ちは、折に触れ、機会あれば、いつでも、常に常に、言い聞かせ続けなければならない事なのだろう、と思います。



今年は、この墓苑が出来るにはあたっては、大きな力のあった美山さんの遺品が展示され、美山さんのご次男、ご長女の方がいらしていました。美山さんは、祖父の親友にあたり、母からは、いつも話を聞かされていたので、ご挨拶できて良かったです☆



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4/2は、高村光太郎の命日。毎年4/2には、日比谷の松本楼で、光太郎さんを偲ぶ会が開催されています。
仙台の荒井真澄さんと、『智惠子抄』、『智惠子抄その後』からいくつか聞いて頂きました。



この日は、全国から、光太郎先生、智恵子さんを愛する人々が集まります。毎年いろんな方が集まり、新しいメンバーも増えていきます。運営委員会の小山さんのパワーには頭が下がります。



光太郎先生の写真の前には、先生がお好きだったビール。そして、参加者の方々が持ち寄ってくださった貴重な資料。光太郎先生、お空の上から見ていてくださってるでしょうか。



北川先生のご挨拶。先生、お元気です! 今の日本の空気を心配してらっしゃいました。わたしも、そう思います。言っても、それが何の役に立つだろうか、と思いながら、でも、言い続ける事。黙ってしまわないこと。大事だなあ、と改めて思いました。



渡辺えりさん。『精霊の守人』に出演してらっしゃるので、お会いできて、すごく嬉しい^^ 何しろ、この日のわたしは、『精霊の守人』仕様☆ 『精霊の守人』では、話全然盛り上がらなかったですけど。 



ともかく、皆様、語る語る。大いに語る。語りたい事が沢山あります。会場には、『智惠子抄』を作品にして上演したパフォーマーの方もいらして、そういう方々は、智恵子ファンだから、わたしも、思う存分智恵子愛を語り合えて嬉しい。



こちらは、女学生の時に、教科書に載っていた光太郎先生の詩の意味を、先生にお手紙出して尋ねたそうです。なんか、すごくお友達になれそうな気がする!



モモさんや、大島裕子先生、坂本さんにも久しぶりにお目にかかれて嬉しい。これは、お隣のテーブルの集合写真です。最初は知らない人ばかりだった連翹忌が、顔見知りが増えてきて、どんどん広がる光太郎と智恵子の輪。

テルミンは舞台に置いたままだったので、興味を持った方々のおもちゃになる^^



オペラ歌手の本宮さん。テルミン奏者よりテルミン奏者っぽい!

毎年、連翹忌では、資料をどっさり頂いて帰ってきます。



これは、碌山美術館の館報ですが、小山先生が、乙女の像について講演された時の記録が載っていて、これがわかりやすい。乙女の像と言わず、光太郎の人生が、そうか、こうやって整理整頓すると、すごくわかりやすい。という感じにまとまっていて、光太郎入門篇としてもオススメです。

最後に、青年よ大志を抱け、みたいなスリーショット!



ありがとうございました☆

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今年も星岡で演奏させて頂きました。

昨年の急ごしらえだった時とは違い、杵淵さんとも、しっかり合わせをしての演奏。気持ちよく演奏させていただきました。

ありがとうございました。

動画はこちら。
2017星岡 テルミン×ディジュリドゥ ~グレゴリアンチャント~新相馬節~茉莉花
https://youtu.be/tuHTDkXgCNQ

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おかげさまで、無事にイヴェンと終了しました。
お世話になりました方、ありがとうございました。

マリさんも、敏さんも、さすが!の実力を見せていただいた感じで、ご一緒できて嬉しかったです☆



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平塚海寶寺でのお十夜法要で、演奏させて頂きました。
舞台からは、沢山のお客様の頭の上に、まん丸なお月様が見えて、これは、演者が見ている景色が一番いい景色だなあ、と思いました。
父や祖父のお墓もこのお寺にあり、ちょっと話すと、父をご存じの方もいらしたりして、そんな温かい空気の中、演奏させて頂きました。



和尚様からのお礼メールには「月影のいたらぬ里はなけれどもながむる人の心にぞすむ」という浄土宗の宗歌が引用してあり、ほんと、かくありたいものだなあ、と思います。



また、今回は、お十夜法要によせて、という事で、橘川琢先生に、ハープとテルミンの為の新しい曲「秋に」を書いて頂いて初演させて頂きました。
もともと他の楽器用に書かれた曲をハープとテルミンで演奏する、というのとは違い、ハープやテルミンが気持ちよく演奏できる構成になっており、お客様にも評判よかったので、またどこかで演奏したいです。
ありがとうございました!

この寺の「お十夜法要」は有名で、鎌倉光明寺、八王子大善寺と合わせ「相模三十夜」といわれているのだそうです。
いつも、お墓参りに行っても、全然、そんな事、知らなかった。



という訳で、歴史好きの姉が、インターネットで調べてきました。

「広い境内には、多宝塔、阿弥陀三尊塔、経典供養塔等々、立派な石塔が沢山建っていますが、無縁塔内の三猿庚申塔は相模地方にしかない独特の石塔で、大変貴重なものです。

墓地の中に「鬼仏」という狂歌碑が建っております。
「長生きも わるくはなひが 古めかし ちと珍敷 死もよかろう 九十四老鬼仏」
と刻まれ、裏には「弘化二年(1845)巳年三月吉日」の銘があります。

鬼仏上人は狂歌の様に一風変わった人で、九州の禅寺で絵を学び、須賀の雲晴庵に住み頼まれて祈祷や占いをしたり、絵を描き、狂歌を作るなどの生活をしたと言われています。」

なるほど、あちこちに三猿の塔がみつかります。



鬼仏上人の狂歌の碑が見つからず、お手伝いにいらしていたお寺の檀家さん達に伺ってもわからず、思わぬお寺探検隊になってしまいました。
みなでぞろぞろと。。。こんな所に!という場所に見つかりました。



今から150年前の歌碑です。
お寺の中にこんな物があるなんて知らなかった。
何となく、思いがけない親孝行になってしまった気がします☆

あとは、お稚児さんの舞、かわいかった!

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智恵子生誕130年のレモン忌、行って参りました。

安達太良のSAにて。



もうすぐ二本松、というのに、名前に釣られて入ってみましたら、安達太良山が綺麗に見えました。ほんとの空の里。智恵子の呟きが、こんな所にも。嬉しい様な切ない様な。



二本松駅前にて。智恵子像、という事です。

駅前で、東京からの友人、仙台からいらした真澄さんと合流して、まず、智恵子生家へ。



360度カメラで撮った写真を、普通に画像として見ると、ここはどこ?みたいな景色。



ぷらイム写真。真澄さんに撮っていただきました。光がよい感じ! 開口部が広いし、生活雑貨も置いてあり、沢山の人であふれ、光や風を感じる当時の生活の様子が偲ばれます。

翌日に備え、二本松市のコンサートホールで、音出しサウンドチェック等。



前日に音響のチェックが出来たのは、すごく助かりました。とても響きの良いホールで、ギターとテルミンと歌、という小編成には規模もぴったり。いつかここで智恵子抄公演やりたいなあ、と思いました。真澄さんに発声のお勉強まで授けて頂きました。

途中、翌日の講師の大島裕子先生もいらして「おそそんば山」の話。今、智恵子生家から登っていった裏山の上に「樹下の二人」の碑が建っていますが、大島先生のご本の中に、この詩の舞台となったのは「おそそんば山」ではないか(あるいは、ロケーションの一つではないか)という説が書いてあり、どうやって「おそそんば山」に行くのか伺ったのですが、それなりの格好をしていかないと難しい場所らしい。いつか登ってみたい!!

夜は二本松の方々と、相生、というお店で会食。会話も楽しく、お料理もお酒も美味しく頂きました☆ 智恵子さん、愛されてるなあ、と思います。これも360度カメラで☆



あけて翌日。参加者の皆様は歴史資料館の開場式に参加されますが、ぷらイムは演奏の準備があるので、コンサートホールへ。



お客様が歴史資料館から移動してらして、オープニングで演奏させて頂きましたのは、清道洋一先生に作って頂いた劇伴音楽『智恵子抄』より「レモン哀歌」「亡き人に」、それから、田中修一先生に作って頂いた『三つの情景』より「情景3~人類の泉」 智恵子生誕130年という節目に、智恵子さんの故郷二本松で演奏させて頂けて、とても嬉しいです。



それから本題の講演『智恵子抄の世界~智恵子生誕130年に伝えたいこと」講師は大島裕子先生。2年前に智恵子抄公演をして、いろんな本を調べた時、大島先生の名前が入っている本は、一次資料の記載が多く、何より書いてある事が正確で、智恵子抄の周辺を読み解いていくにあたって、一番頼りになる資料だった本ばかりです。オープニングで演奏した「人類の泉」「亡き人に」(懇親会で演奏する予定の「樹下の二人」)この辺の話がてんこ盛りで、あっという間に終わってしまいました。お目にかかるのは2回目(前日も入れれば3回目!)になるのですが、とてもチャーミングな可愛らしい方で、大島先生からは、もっと色んなお話し伺いたいです!



その後、会場を、ラポートあだちに移動して、レモン忌、懇親会。





懇親会での演奏では、仙台の荒井真澄さんに混ざって頂いて、「浜辺の歌~智恵子抄」など。真澄さんとは前日にざっと合わせただけで、ほぼぶっつけ本番。また機会をみつけて、この演目やりたいです☆



光太郎先生ともご縁のある女川の復興を描いた『サンマとカタール』の主題歌「光」も演奏させていただきました。女川の話は、上手に説明できた気がしない。。と気にしていたら、お客様に仙台出身の方がいらして、東北のいろんなお話しを聞かせてくださいました。津波の被害にあった沿岸部、やはり、まだまだ大変だなあ、という思いが募ります。

いろんな方が次から次からスピーチなさるんですが、わたしも、次から次から人とお話ばかりしていて、スピーチをあまり聞く余裕がなく、申し訳なかったと思います。来年はちゃんと席について聞きたい^^ というか、来年は、アタタラ山に登りたい! 今年は、足がまだ負傷中なので、断念しました。来年こそは、アタタラ山を目指したい!



最後、参加者の皆様と一緒に、コロンビアローズさんの「智恵子抄」ぷらさん、ギターを弾きながらの、歌の先導、うまい^^

懇親会の後は、智恵子生家へ。この日、特別に、普段は入れない智恵子生家の2階が開放されている、というお話しで、小山さん、真澄さん達とも一緒に、狭い階段から、2階にあげて頂きました。ここに智恵子さんが光太郎先生と一緒に座ったのかしら、と思うと、感動! ずっと外から眺めるだけだった部屋の中。天井は、板の貼ってある部屋は意外と低く、4畳半、と言っても、狭いお部屋です。光太郎先生がいらした時には使った、という九畳の方は細長い変則的な作りのお部屋。古いお家で、上にのると沈む場所もあり、期間を限って開放しないと危険なんだなあ、と思います。1階が吹き抜けになっていて、2階からのぞける形になっているのも楽しい。

家の中にあげて頂くと、外から入ってくる光の景色がよく分かり、外を車が通ると、欄間の模様から入ってくる小鳥が、部屋の中を飛ぶんだ、とか、菊のすかし彫りが笑っている顔の様に見えたり。。。





たまたま市の教育委員会の服部さんがいらしていたので、色々なお話しも伺わせていただきました。今年は、小学生を招いてのイヴェントも智恵子生家で開催されたそうです。うらやましい!! 『智恵子抄』という文学作品になると、中学生、高校生くらいの子が、興味を持ってくれるときっといいんだろうなあ、と思います。二本松の子ども達が『智恵子抄』を独自の作品に作る事もあるのかしら。



普段は遠目に見るだけの展示物のレコードに興味津々の小山さん。

智恵子生家の隣の記念館では、普段見られない紙絵の実物が沢山展示されています。2年前に、二本松市の教育委員会に紙絵の使用について相談に行った時、二本松市所蔵の紙絵です、と見せて頂いた紙絵も展示されていました。あまり複雑な事はしていなくて、初期の作品かな?と、その時は画像で拝見したので、あまりピンと来なかった紙絵が、実物の紙絵になると、もう、かわいいっ!!! 是非、マスキングテープ作って欲しい!(そういう方向!?)



この、ただ丸く切って貼っただけ、みたいな作品が、すごくかわいい。切っている姿、貼ってできばえを眺めている姿、光太郎先生に見せよう、としまい込む姿まで想像できてしまいます。何の紙なのか、お菓子の包み紙、という感じで、一日出せばその分褪色していく紙絵。貴重な展示を拝見させて頂きました。



外には、金木犀がいいにおい。土曜、日曜、と、晴れて、綺麗な青空が見えたのも嬉しかったです。



コンサートホールの上に見えていた秋の雲。



今回は車だったので、いつも、欲しいなあ、と思いながら買えなかった和紙を、戸田屋さんで沢山頂きました。これで台本作ろう。

その晩も二本松に泊まり、翌日、やっと歴史資料館へ。こちらも、すごい充実の内容! 会場の中、智恵子愛にあふれています。智恵子さんが描いた挿絵と、紙絵とを、並べて展示説明してあるのを見ると、おお、なるほど、と思います。白玉版の『智恵子抄』も、ずっと気になっていて、今回、初めて拝見しました。こんな表紙の本だったんだ。

紙絵の実物も数点展示されています。細い線で丁寧に切られた紙絵。これを、カッターではなくハサミで切った、という所に驚きます。シンメトリーと名付けられた作品は、つまり、4枚の紙を重ねて、この細い線をハサミで切る、という訳で、2枚重ねて切っただけでもハサミで切ったのではどんどん紙がずれていくのに、どうやって、4枚重ねてハサミで切ったのかしら、と思ってしまいます。

今年、安曇野で、花巻で、二本松では2ヶ所で、と、あちこちで紙絵の実物を拝見できて幸せです。どの美術館で拝見した紙絵も、何故か、見る度に、新鮮な驚きに包まれます。物に宿る力ってすごいなあ、と思います。印刷物で、あ、綺麗だな、あ、かわいいな、と思うのとは別の感動を頂きます。



二本松でお土産に頂いてきたグロキシニア。頂いた時は、花が二つ咲いていたのに、持って帰ってくる間に1本折れてしまった。あらら、と思っていたら、その後どんどん咲きます。今度、栄養剤を買ってこよう。智惠子さんが光太郎先生の所に最初に持って行ったグロキシニアの花の色は何色だったかしら。



「智惠子の半生」(発表時のタイトルは「彼女の半生」)が掲載された、昭和14年婦人公論の表紙の絵、凜々しい雰囲気が、原節子さんを彷彿させます。パラパラめくってみると、「智恵子の半生」こんな時代背景に発表された文章だったんだなあ、と思います。マヨネーズの宣伝で「節米にポテトサラダを召し上がれ」とあったり。。。。


智恵子生家で撮った写真、3Dカメラの写真が、何となく不思議な雰囲気に撮れていたので何枚か。。












※コンサートホールでの演奏から「レモン哀歌」~「亡き人に」ユーチューブにアップしました。
https://youtu.be/A9qkbiCFP88


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渡辺あしなさんの個展での演奏、無事に終わりました。ご来場頂きました方、ありがとうございました。

演奏会のテーマは種の気配。古代植物の音楽「エスパーコーラス」(この音楽をゴジラの卵に聴かせると、卵が孵化して成長します)、あしなさんの絵から生まれた「気配」という曲、ふるさと逗子の曲「真白き富士の根」、「揚げひばりの気配」(説明が漏れましたが、「揚げひばり」をモチーフに、当日は、揚げひばりの気配、という気持ちで演奏させて頂きました)、やはりあしなさんの絵から生まれた「妖怪集合~妖怪祭」、わたし達は皆、大きな宇宙の中でひとつにつながっている、という曲「満天の星」それから、橘川琢先生の「風舞」(これは建長寺創建760年に寄せて書いて頂いた曲です)も、テルミンと太鼓で再演させて頂きました。

杵淵さんが使ってらした楽器は、ディジュリドゥ2種、イギル、ホーミイ、それから、種らしいものは、セミーヤ(セミージャとも)これはスペイン語で種、という意味です。それからレインスティック、こちらは、乾燥させたサボテンの中に種を入れて雨の様な音を出す楽器です。あとは、ディジュリドゥ、ハンドパン、口琴、Koshiチャイム(太鼓は何と言う太鼓だったかしら。バウラン?)

あしなさんとは、不思議なご縁で、これまでもいろんな場面で出会っています。今回、あしなさんからの提案で、画廊で演奏させて頂き、普通の演奏会では出来ない様なタイプの曲も演奏させて頂けたのは、すごく嬉しく。ありがとうございました。

元々はテルミンだけの予定だったのですが、あしなさんの絵をご覧になった杵淵さんと、この絵は、きっとディジュリドゥが似合いますよね、という話から、あしなさんは、昔、ディジュリドゥが吹きたくて、お父様にディジュリドゥを作って頂いて喜んで吹いていた、みたいな話が出てきて、杵淵さんの楽器も参加して頂く事になり、合わせをしていたら、どんどん楽器が増えていって、ますます楽しい思う存分演奏会、になってしまいました。

あしなさんも、人を呼ぶ人、だなあ、と思ってましたら、お客様も、みなさま、あ、なるほど(ってちょっと説明が難しいのですが)と言いたくなる様な方で、真ん中に、あしなさんという存在があって、どんどんプロジェクトが動いていくんだなあ、という気がしました。そんなお客様の気配に助けられての演奏会。あしなさんのご主人にもすっかりお世話になりました。ありがとうございました。

舞台写真は、あしなさんの所からの頂き物です。

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24日、土曜日、マリさんをお迎えしてのぷらイムの演奏会、無事に終了いたしました! マリさんに「何か一緒にやりたいです!!」とお願いしてから半年。マリさんの語りの力に引っ張られて、作品がどんどん大作になっていき、この作品で、マリさんとご一緒させて頂いた事に感謝します。ありがとうございます。
一緒に盛り上げてくれたぷらさんも、手伝ってくれためえこちゃんや、山田さんも。それから、お客様も☆ ありがとうございました!



1部はぷらイム。ぷらイムレパートリーのアニメソングとしては定番のルパン三世、飛行機雲に引き続き、以前otoyomi公演の為に清道洋一さんに作って頂いた智恵子抄から「レモン哀歌」「亡き人に」の2曲。それから、女川の復興を描いた映画「サンマとカタール」の主題歌「光」と聞いて頂きました。

2部にはマリさんをお迎えして、イントロダクションに「星の王子さま」 後半は、アトムが、今、伝えたい言葉の贈り物、という事で、プログラムを決めさせて頂きました。「戦火の中のこども達(いわさきちひろ)」「智恵子抄」「わたしが一番綺麗だった時(茨木のり子」「死んだ男の残した物は(谷川俊太郎)」

手塚作品には色んなテーマが流れています。「環境問題」「命の尊厳」「反戦」

イヴェントの中で手塚先生の言葉を紹介させて頂きました(一部抜粋)「(戦争へ向かう、という動き)子どもたちのために、当然おとながそれを阻止しなければならないと同時に、子ども自身がそれを拒否するような人間にはぐくんでやらなければならないと思うのです。 それは結局、子どもに生きるということの喜びと、大切さ、そして生命の尊厳、これを教えるほかないと思うのです。人命だけでなく生命あるものすべてを戦争の破壊と悲惨から守るんだという信念を子どもにうえつける教育、そして子どもの文化はそのうえに成り立つものでなければならない。けっして反戦だの平和だのの政治的のみのお題目では、子どもはついてこない。率先して、生命の尊厳から教えていくという姿勢が大事なのではないでしょうか。」

これを聞いただけで、手塚先生ってすごい方だなあ、と思います。そして、その手塚先生にスカウト(?)されて、手塚先生と親しく交わりながら、アトムを作っていったマリさん。うらやましいです。

また機会がありましたら、是非、マリさんとご一緒させて頂きたいです。



(写真はとしぞをさんからの頂き物です)

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東日本大震災雇用・教育・健康支援機構さんにお世話になり、大槌の交流施設、どんりゅう庵で演奏させて頂きました。
こちらでも沢山の方にお世話になりました。ありがとうございました。

※大槌ってどこ? という方。
岩手県上閉伊郡(かみへいぐん)にあり、釜石市、遠野市、宮古市、山田町に接している、海沿いの町です。
2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震が引き起こした大津波と、それによって発生した火災により、壊滅的被害をうけました。
民宿の上に大きな客船が、まるまる乗り上げている写真、記憶にある方もいらっしゃると思います。あれは、大槌の赤浜、という場所です。

今は、瓦礫がやっと片付いて、家を建てられる様に盛り土をしている最中なんですが、工事車両以外何もない風景の中に、電柱だけが乱立していて、こころが痛む風景でした。
 

お寺も、墓地の中腹以下のお墓は流されたまま、広大な敷地の隅に、仮設の本堂がかろうじて建てられているだけです。



それでも、一部の海岸には裸足で降りられる様になっていました。
『吉里吉里人』という、井上ひさしさんの小説。
その舞台となった吉里吉里という場所があり、吉里吉里海岸は、リアス式の海の中では比較的砂浜が広く、そこも、昨年から裸足で歩ける様になりました。
陶器やガラスの破片で危なかったのを、ボランティアさんがみんな根気よく篩にかけて取り除いてくれたお陰だそうです。


ひょっこりひょうたん島のモデルとなった、という島も大槌にあります。
そこは、岸辺から見える小さな島で、堤防を渡って歩いて行けます。その堤防も津波で流されてしまったんですが、今、復旧されて、また歩いて渡れる様になっていました。
折れてしまったひょうたん島の灯台も元どおりになりました。


三陸と言えば、ウニ!


仮設で暮らす方からお土産に頂いた虎。
虎は千里行って千里戻るところから、漁師さんの町では、お守りになるそうです。

漁業で栄えた大槌は、新巻鮭発祥の地。高台には、魚の為の慰霊碑もありました。

津波で破壊された防波堤が、そのままになっています。


どんりゅう庵から歩いていける所にある旧役場。大勢の方が亡くなりました。

 

リアス式の海は、透明度が高くて、深い青が綺麗で、ひょうたん島から眺める夕陽、悲しくなる位綺麗でした。

そして、ホテルからは、また、綺麗な朝日。
毎日、こうして、太陽が昇ってくる、と思うと、自然の大きさに勇気と元気をもらいます。



早く元の場所で、みんな元の様に生活できる日が来ます様に。

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今年4月にリニューアルオープンした高村光太郎記念館で、演奏させて頂きました。
いろんな方にお世話になり、最終的には、記念館の中、光太郎先生の彫刻に見守られての演奏、と言う事になりました。
光太郎先生の息吹の満ちた、この空間での演奏! 
得がたい貴重な経験をさせて頂きました。ありがとうございました。





朗読の荒井真澄さんには、『智恵子抄その後』から抜粋で読んで頂きました。
遠距離ユニット。音源のやりとりだけで構成を作り、現場での合わせもなく、殆どぶっつけ本番。。。
な感じでしたが、会場に集まってくださった光太郎先生ファンの皆様に助けられて、二人、気持ちよく合わせる事ができました。ありがとうございます。





演奏の後では、山荘にご案内して頂きました。

今は夏ですし、二重の覆いで山荘が覆われているので、居心地良さそうな牧歌的な風景に見えますが、光太郎先生が暮らしてらした頃は、窓には障子1枚です。冬には零下10度を超え、小屋の中で寝ていても、布団の肩に吹雪が積もった、という所に、たった三畳の小屋。

ご厚意で、山荘の中まで入れて頂きました。ああ、こんな所で、63歳を過ぎた方が7年も暮らしてらしたのか。。。。と思うと胸が詰まります。

※ご存じない方へ。
戦争中、戦争詩を書いた責任を深く感じた光太郎先生は、戦犯に問われる事はなかったものの、自分で自分を許せず、この山奥に蟄居して暮らしました。


ここに座って様になるお方。


光太郎先生が、一番最初に試しに掘ってみた井戸。


光太郎先生が種から植えて大きくなった栗の木と、荒井さん。







その晩は、鉛温泉の藤三旅館さんに泊めていただきました。光太郎先生がお泊まりになった、という31号室を使わせて頂きました。
大分新しいので、中はいじっていると思いますが、でも嬉しい^^





高村山荘・高村光太郎記念館
http://www.hanamaki-takamura-kotaro.jp/

藤三旅館
http://www.namari-onsen.co.jp/


最後、高村光太郎連翹忌運営委員会さんのブログから写真を1枚拝借。

これは、やはり、光太郎愛に満ちた方の写真だと思います☆ 他にも、よい写真があるので、どうぞご覧ください。
 ↓
花巻高村光太郎記念館ロビーコンサート。
http://blogs.yahoo.co.jp/koyama2870041/13827958.html

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91Aデュオ、テルミン花の二重唱、無事に終了いたしました。

ご来場頂きました方、難しい機種での合奏、という事で、相談にのって頂きました方、みなさま、ありがとうございました。

91Aは水晶発振なので、どの個体も周波数がぴったり一致してしまい、舞台程度の距離では、どれだけ離しても、干渉は解決できないから、無理じゃないですか、と、人には言われ、実際、やった、という話を聞いた事がなく、どうしよう~、と思いつつ、楽観的な二人のテルミン奏者「何とかなるんじゃないかしら~。」とやってみたら、何とかなりまして、無事に演奏会で、合奏が実現しました。それでも、干渉回避の為に、いろいろ試行錯誤の連続。手探り状態での演奏会準備でした。

折角、清道先生に、2台テルミンの為の曲も作って頂いたので、また、再演を目指したいと思います☆

とりあえず、これが、本当に、世界で初めての試みだったのかどうか、調べたいんですが、どうしたらいいかしら。

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