goo blog サービス終了のお知らせ 

テルミンの彼方へ

宇宙とシェアする楽の音

JFC independant

2008-11-03 | ライブ・コンサートメモ
2008年10月26日
東京オペラシティリサイタルホール

多彩な現代音楽のエキシビジョン

日本作曲家協議会会員作品演奏会
第13回JFCアンデパンダン

Eプログラム

『ナイト・パッセージ』
  作曲&ピアノ:森山智宏
  ヴァイオリン:江副麻琴
  チェロ:中 実穂

『オペラ「親鸞、幻の如くなる一期」より』
  第Ⅱ幕・第1場「後鳥羽上皇と伊賀局の場面」
  ピアノ:森裕子
  バス:花月 真
  メゾソプラノ:河野めぐみ

『「森のくまさん」の主題による24の変奏曲』
  曲&マリンバ・パーカション:吉岡孝悦
  曲&ピアノ:中川俊郎

  ダブル・スケール・ジャンプ・メロドラマ風・ワルツ・ぜんまい人形
  完全4度・現代的・全音音階的・運命・トルコマーチⅠ・トルコマーチⅡ
  演歌風・つまずき・ジョーズ・トワイライトゾーン・貼るの最低ーン
  ディミニッシュ・ヤッホッホ・カーニバル・展覧会のえ!?
  ドロドロとキラキラ・古典的アダージョ・ミュージカル/エンディング

『まっくら音楽会』

2008-09-04 | ライブ・コンサートメモ
まっくら音楽会

8月29日@学士会館
http://www.dialoginthedark.com/

 綱川 泰典 フルート
 大石 亜矢子 ソプラノ歌手、ピアノ弾き語り
 穴澤 雄介 ヴァイオリン
 松村 道生 打楽器

学士会館だと 完全に真っ暗 という環境作れないから アイマスクかなぁ アイマスクだと やだなぁ と思っていたら 会場 きっちり遮光して 真っ暗な部屋を会場にしてありました。

*ちなみに 真っ暗な部屋 と アイマスクで目の前真っ暗 と 受ける感覚が違うんですが(わたしは) 皆様 そうなんでしょうか? 真っ暗な部屋にいる時は 実際に 目で見て なんにも見えない~ というのとは別に なんとなく 皮膚で 真っ暗を感じているんだけれども アイマスクで なんにも見えない~ という時は 体が 暗闇を感じてない。

実際 真っ暗な部屋だと ついつい ひそひそ声で話したくなるけれども アイマスクで見えないだけだと 別段 ひそひそ話にはならない。

でも 五感的には 目の前なんにも見えない という状況は同じ訳で 真っ暗な部屋なのか アイマスクで作った暗闇なのか もしかしたら 頭の中で 勝手に違う皮膚感覚を作り出しているだけなのかしら。

全盲の方が感じている暗闇 というのは どっちの感覚に近いんだろう。 全盲の方は 真っ暗な部屋の中でも ひそひそ声には。。。ならない。。。んじゃないか という気がする。。

余談ここまで。

で 真っ暗にして 演奏会。 こういうの 以前に ホーミーと馬頭琴で経験していて あれは よかった。 暗闇に響く 不気味な(?)音。 ついつい わくわくと 聴き入ってしまいました。 ところが 今回は いけない。 うっかりしてましたが わたし 暗くなると 眠くなるんです。 しかも 音楽が フルート ピアノ バイオリン って。。。もう 演奏会の間 頭がゆらんゆらん 隣の人に しょっ中ぶつかってた気がする。

*また 余談ですけれども 視覚障害のない人って 暗くなると眠くなる という人 ちょこちょこいらっしゃるんじゃないかと思うんですが 全盲の人は 暗くなると眠くなる なんていう感覚 ないですよね~? それに近い感覚って あるんでしょうか。 静かになると 眠くなる とか。。。 わたし もし 目が見えなくなったら 一日中 寝てるやもしれぬ。。。

で 演奏会が終わってから いくつか トークが入るんですが 真っ暗闇になって 最初は なんとなく心細くて不安だったけど 音楽を聴いている内に 段々 明るい時には気がつかなかった様な 太鼓の音の振動とか に 注意が向く様になった うんぬんかんぬん という体験談が それこそ こういうイヴェントに対して あらまほしき体験談が いくつか。

これが わたしの場合 まずい。 暗闇が恐い という感覚が無いらしい。 暗闇になって 恐かった 暗闇になると 人間誰しも ショックを受け 不安を感じます うんぬんかんぬん という説明が よくあったりするんですけれども 本当に みんな 暗闇がこわい。。。んでしょうか? わたしは 転んだら危ない しか 無い。 おばけも 見えないし。 本当に 大半の人は 暗闇が恐いんでしょうか? みんなが 怖がってるから なんとなく 付き合いで 恐い様な気になってるだけじゃなくて??

ちょっと前から 面白がってでかけている暗闇イヴェント わたしの受け取ってるものが これで いいのか~ どうなのか~ 若干の不安を感じつつ~ 遊園地の様で 楽しい。

ちょっと面白かったのが バイオリンの演奏者のお話。 明るい場面だと バイオリンの弓が止まった時 あるいは 演奏者の顔が変わった時 が 演奏が終わりの合図になり 拍手が来る。 でも 暗闇の演奏会では バイオリンの弓が止まっても まだ 拍手は来ない。 余韻の音まで 全てなくなった時 それが 演奏が終了したタイミングで 拍手が来る という様なお話をなさってました。


あ。それと またまた 一つ 疑問が。。。

演奏会の間 何か ぼんやりと光る点があるんです。 何かなぁ と ずっと気になっていて 明るくなる時に それ 何かしら と見ていたら 天井から 何か機械がぶらさがっている。「これは何ですか?」と聞きましたら 一応 万が一 何か災害時には パッと会場が明るくなれる様に セットしてある 照明 なんだそうです。 照明 とは言っても 暗闇イヴェント中は 明かりはついてない。 その機械のどこから 光が漏れてたのかしら。

ともかく 主催者の方と そんなお話をしてましたら 「それは 極上の闇を提供できず 済みませんでした。」と 謝られて 恐縮しました。 いや もともと 暗闇 とは言っても ベタッと黒い訳ではなくて なんとなく ちらちら? というか 暗闇が でこぼこしてる というか 黒一色ではなくて なんか 模様が見えてません? 夜 目をつむって寝ている時も 目の前には 無数の小さな光点が そこにだんだら模様になっている。

と思ったんだけれども 墨を流した様な とか 漆黒の闇 とか言う表現があるところを見ると そんな ちらちらはなく ベタッ黒い闇 というのが あるんでしょうか?

みんな どういう闇を見ているんだろう???  

夜 寝る時に 目をつむった時 目の前に見えているのは べたっとした黒? それとも 小さな光点がちらちらしているだんだら模様?

イヴェントの趣旨に合っているのかどうかは不明なんですが 行けば 必ず 普段なら考えない様な事をいろいろ考えます 暗闇イヴェント。 それだけ 非日常な空間である事は確からしい。

チルチル座第1回2008夏の小さな学芸会ツアー

2008-08-24 | ライブ・コンサートメモ
ポスター

8/23 TOKYO 荻窪ベルベットサン
http://www.velvetsun.jp/top.html

成瀬晃一(From母檸檬)
北村早樹子×波多野敦子
きのこーず(Fromデリシャスウィートス)
チルチル座

2番目の出演者の 北村早樹子×波多野敦子 というのが気になります。 vocal&ピアノ それと ヴァイオリン という組み合わせです。 歌は。。。あまり 上手いとは言えない。。。というか むしろ下手だ。。。 第一 それは 歌う時の発声じゃないでしょう という歌い方です。 フォルテで歌う場面では だだっこが 大きな声でわめいている様な。。。それが 何故か 気になる というのは 心ひかれる というのは 必ずしも 上手である必要な無いんだなぁ というのは プロの歌手でも よく見ている状況ではありますが。

ヴァイオリンは いろんな弾き方をしていて面白いです。わたしも テルミン 当たり前の弾き方をしているだけでなく もっと考えてみてもいいんじゃないかなぁ と思った。

方法マシン主催公演『サーチエンジン』

2008-07-19 | ライブ・コンサートメモ
機械を自称する人間の集団である方法マシンが 世界的ピアニスト大井浩明氏を名誉マシンにむかえ ピアノコンサートをプロデュース!!

 日時:2008年7月18日(金)18:30開場/19:00開演
 会場: 山手ゲーテ座
 出演:大井浩明(名誉マシン)、方法マシン

 企画・主催:方法マシン
 制作:今井貴紗子
 制作協力:ナヤ・コレクティブ
 協力:山手ゲーテ座

ゲーテ座

「方法マシンは機械を自称する人間の集団である。」

なんだそうです。 大抵の人は 人間らしい表現 というものを目指すんじゃないか と思うのに 機械を目指している というのは 変な集団だなぁ と思ったけれども そういえば 自分自身 テルミンを弾きながら 限りなく ただ テルミンを弾く という作業に没頭している事がある。 子どもの頃 何も考えずに ひたすら折り紙を折った時の様な そんな時間。

で この日の公演『サーチエンジン』では まず インターネットで ピアノの楽譜を検索し それをプリントし ピアニスト(大井浩明さん この日の名誉マシン)が 演奏するんだ という。 一体 これの どこが面白いんだろうか? と 首を傾げながら行ったら すごい面白かったっ!

場所は横浜岩崎ミュージアム地下のゲーテ座。

舞台の上 中央にはプリンターが1台。 上手に パソコン。 舞台上にはスクリーンが設置されていて そこには パソコンの画面が映し出されています。 今まで見たこともない様な 大きな グーグルの検索画面。 そして 舞台から張り出す形に台が組んであって そこに グランドピアノが置かれています。

「この公演は休憩時間がありません。」というアナウンスの後 出演者が登場して 配置につく。 暗転。 

突然 パソコンの所にスポットライトが当たる。 安野さんが パソコンを操作する。 検索キーワードを入れ(なんと入れたのかしら。わたしの視力だと見えない。。) マウスが 画面の上を カチッとクリックし 上からPDFとしてネットにアップロードされている楽譜を拾い出す。 その操作は 舞台上のスクリーンに映し出されているので 観客は じっとそれを見ている。 楽譜が表示されると 暗転。 同時に 舞台中央のプリンターが ライトの中に浮かび上がる。 カタカタカタカタカタ 出力する。 出力が終わると それを 方法マシンのメンバーが取り出し ピアノの横でサポートにつくべきメンバーに手渡す。 再び暗転。 と同時に 今度はピアノが スポットライトの中に浮かび上がる。 楽譜がピアノにセットされ 安野さんが 淡々とした声で 曲名 作曲者名を読み上げ ピアノの演奏が始まる。 演奏終わり また 暗転。 次にスポットライトが当たったのは なんと 大きなシュレッダー。 楽譜は その場で シュレッダーにかけられて 一曲の上演が終わる。

これを 延々と繰り返していくんです。 登場人物は まるで儀式の様に 自分の役割を遂行し ピアニストは まるで オートマタの様に 目の前に出された楽譜を演奏する。 見ている内に 段々 舞台の中で生きているものは 舞台中央でカタカタと楽譜を出力しているプリンターだけ みたいな気分になってくる。

カタカタカタカタカタ

ずっと このまま行くんだろうか? と思っていたら 途中から 流れ作業のダンドリが変わった。 舞台全体にある程度の明るさを保ったまま 検索 プリントアウト 演奏 シュレッダーが 同時進行で行われる。 そこでは 儀式的要素は大分影をひそめるんだけれども ただ一人 行動範囲の広い役割である プリンターから楽譜を抜き取ってピアニストに渡す役割の人 の動きが 儀式的要素を残しているので 全体的に 未来都市でロボットが黙々と働いている様な様相を呈してくる。

そこから先は わんこ蕎麦の様に(!) 次から次へと目の前に出される楽譜を弾き続けるピアニストに 目は釘付けでした。 次に 何の楽譜が出てくるかわからない 古典の名曲もあれば 誰かが作ってネットにあげているオリジナルの楽譜もある。 スクリャービンの後には 乙女の祈り トルコ行進曲 シューマン モーツァルト バッハ ベートーヴェン 無意味に壮大なハッピーバースデー 聖歌もあれば ジングルベルもある。 子どもが弾く様なピアノの運指練習曲まで出てくる。 大体が ピアノを弾く人は えらい初鍵の効く人が たまにいるなぁ とは 思っていたけれども これは また すごい。誰でも知ってる曲なんて 間違える訳にはいかないし 誰かが作ったオリジナルソング なんてのは この後の展開がどうなるか全くわからず弾いているのに どれも ちゃんと聞かせる演奏になってます。 エリーゼのために は オルゴールみたいだし 音数の多い 訳わからない曲は なんだか 格闘技みたい。 こういうのは 流石に 演奏後の拍手が多かった。 結局 2時間弾きっぱなし。 

機械になりたい んなら じゃ これは 自動演奏楽器でいいじゃないか という事になりそうだけれども オートマタでは この臨場感はない。 人間が このぎりぎりの所で 初めての曲を弾いている というスリル。 瞬間の真剣勝負 という緊張感。 これがあって 2時間も 延々と聞いてしまう。 最初から機械 であるものが演奏を請け負ってもダメなんだと思う。 機械になろうとしている人間。 機械になろうとしているだけれども 観客に伝わってくるのは 機械には出せない人間の味。

なので これが 方法マシンの趣旨に添った聴き方なのかどうか ちょっと微妙な気もするんだんけれども でも 与えられた曲を ただただ弾き続ける というシチュエーションでなければ また 違う緊張感になってしまうと思うので いいのかな。

もしかしたら 機械になろうとして機械にはなりきれない人間の悲哀と 人間になりたいんだけれども人間にはなれない機械の悲哀 というのは どこか似ているものがあるのかもしれない とも思った。

江村夏樹コンサート「現在進行形」@渋谷公園通りクラシックス

2008-07-16 | ライブ・コンサートメモ
『4つの間奏曲(2003)』ピアノ:江村夏樹
『時差の遊び(1998)』笙:中村華子・高原聡子・三浦礼美 指揮:江村夏樹
『モノクロマティック』(10曲から抜粋:1996) 録音作品
『およそ(2002)』アルトサックス:松本健一
『なんかのためにではなくて(2006)』録音作品
『山口誓子の俳句による朗読法(2008)』女声:柴田暦 ピアノ:江村夏樹
『書き直しのない曲(2008)』ピアノ:江村夏樹

主催:太鼓堂

ふぇいたーんさんライブ

2008-07-13 | ライブ・コンサートメモ
時:7月12日(土)19:30~
所:東京・江古田「フライングティーポット」

電気くたじゃ(松島玉三郎)・米本実(よねもとみのる)・安部OHJI
フェイターン(テルミン)+かんのとしこ(アコーディオン)

まず松島さん。 松島さんのライブ って 考えてみたら 初めてでした。 以前は おぎ原さんのサポート(?)みたいな感じで パーカッション担当だったし。

DJショーなんだか 音楽なんだか よくわからないけど 面白かった。 新機軸なもの って 見てて 楽しい。

あと面白かったのが 米本実(よねもとみのる)さん。 録音されたカセットテープを引き出して その上を 再生ヘッドをつけたペンで こすってるんです。 宇宙人の会話みたいです。

お待ちかねのふぇいたーんさん この方も わたし 大好きなテルミニストです。 テルミニスト というより ふぇいたーんさん 本業は歌姫。。。みたいな気もしますけど。

この日は 座って演奏してました。 座ってても 存在感あります ふぇいたーんさん。

以前聞いた事のあるのは まこふぇいで(キーボードのしろまこさんとのユニット) 今回は アコーディオンのかんのとしこさんと一緒の演奏でした。 お二人のキャラの掛け合いが すごく面白い マトリョーシカユニットです。

ふぇいたーんさんのテルミンを聞くと ああ テルミンって こんな表現方法もあるんだなぁ と いつも思います。 わたし せっかくのテルミンなのに 普通の音楽しかやってないなぁ と と思ったところで 普通の音楽しか出来ないんですけれども。  

舘野泉左手のピアニズム

2008-05-26 | ライブ・コンサートメモ
2008年5月25日(日)
入間市市民会館

吉松隆
 タピオラ幻想 Op.92 (舘野 泉に捧ぐ)
  光のヴィネット(肖像)~森のジーグ(舞曲)~水のパヴァーヌ(舞踏)~鳥たちのコンマ(符号)~風のトッカータ(舞曲)

間宮芳生
 風のしるしーオッフェルトリウム(舘野 泉に捧ぐ)
  1.プレスト(さわがしく)ーアレグロ・ノン・トロッポ(透明に)
  2.モデラート(山にいて夜毎鳴く鳥の声・・・)ーアンダンテ・アンティクァト
  3.「三つの聖詞より」 第一曲 アレグレット・トランクィロ
  4.「三つの聖詞より」 第二曲 アダージョ
  5.小さなシャコンヌ

コーディ・ライト:祈り(三手連弾 共演:平原あゆみ)
スクリャービン:左手のための2つの小品 前奏曲と夜想曲 Op.9
バッハ(ブラームス編曲):シャコンヌ ニ短調 BWV1004

舘野 泉
http://www.izumi-tateno.com/

『宙の音の葉』

2008-05-20 | ライブ・コンサートメモ
音、響き、ことばのコンサート

『宙の音の葉』第三回 このはなさくやひめ

2008年5月17日(土)

所:雪堂美術館(鎌倉市山ノ内1391-1)

出演:
 やまとかたり<古事記> 大小田さくら子
 笛 雲龍
 天然空洞木<ディジュリドゥ> KNOB

~やまとかたりは日本の和のこころに深く結びつくものがたり。虚空から舞い降りた笛の音色が重なり、ディジュリドゥの太古の響きが時間を超えて語りかけます。わたしたちはどこからきてどこへいくのか。やまとかたりのことば、音、響きから、わたしたちが見つめなおす「こころ」というものを感じていただければと思います~(企画・コーディネイト 祥見知生)

会場は北鎌倉 雪堂美術館

美術館

やぐら(昔の墳墓だそうです)と呼ばれる洞窟が ガラス越しに見える会場。
音、響き、ことばのコンサート

ディジュリドゥというのは 初めて聞きました。 オーストラリアのアボリジニの楽器だそうです。 自然に空洞になったユーカリの木

ディジュリドゥ

こんな大きな木を吹くと ぎょえ~ とか ぼお~ とか ごお~ とか なんか そんな具合のホーミイみたいな音が出ます。 まるで 地鳴りの様な。 時々倍音も聞こえてきて そうなると まさにホーミイ。

笛も いろんな笛を使われるのですが 興味深いのは 石笛。 これも 自然に空洞になった石を使うんだそうです。

太古からの地球の歴史が そのまま この石笛や ディジュリドゥに籠もっている様な そんな不思議な音楽。

そして 大小田さんのやまとかたりが 更に不思議感を増幅させています。 かたり。。。というか朗詠 みたいな感じ。 お正月の歌会始の朗詠を聞いた事のある方は あれが 物語になって延々と続く と説明するとイメージしやすい。

何か とても不思議な でも 何故か懐かしく感じる世界が そこにはできあがっていました。 音楽を聞いている 朗読を聞いている というよりは むしろ 宗教儀式に参加している様な気持ち。 そういうものが目に見えるのならば 鎌倉の地に眠る武者の亡霊が きっと 沢山 聴衆の中にいたと思う。 日本の古い物語を語り 大地の作り上げた楽器を謹んで演奏させて頂く これも ある種の鎮魂ではないか と そんな風に感じた演奏会でした。

非常にしばしば誤解されるんですが わたしには 超常的なもの 一切見えません。 幽霊も見たことがありません。 見える見える という人を否定する気はないし 見える というのは うらやましいなぁ と思うくらいであるけれども 見えないものは見えない。 多分 見えないのは 見えない方が わたしにとって都合がいいからだろう と そんな気がする。

。。。ええと なんの話でしたっけ。 

そうだ 見えないけれども テルミンを演奏する時は 宇宙が自分と一つにある事を感じるなぁ と そんな話を書こうと思ったんだけれども うまくいかないので あきらめました。

こないだ読んでいた本に

環境とわたし(環境=わたしをのぞく世界の全て)
宇宙とわたし(宇宙=わたしをふくむ世界の全て)

みたいな説明があって すごく納得してしまいました。

『Pedro Carneiro CONCERT』

2008-05-18 | ライブ・コンサートメモ
プログラム

2008年5月15日(木)
川口リリア 音楽ホール

主催:エンジョイパーカッション

出演:Pedro Carneiro
   真貝裕司
   山本真理子
   杉山智恵子(リトミック)
   平島聡(フラメンコ)

無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番イ短調BWV1003よりアンダンテ(バッハ)
無伴奏チェロ組曲第1番ト長調BWV1007よりプレリュード・サラバンド・ジーグ(バッハ)
マーチ・カデンツァ(Gert Mortensen)
木の記憶(本邦初演・藤田崇文曲)
ワン スタデイ ワン サマリー(日本初演・John Psathas)
雨の樹(武満徹)

エスパーニャ・カーニ(Pascual Marquina Narro・藤田崇文編曲)
ジターノ(Alice Gomez)
スパニッシュ・ダンス(本邦初演・藤田崇文曲)
恋は魔術師より「火祭りの踊り」(Mannuel de Falla)
チックコリアセレクションより(Chick Corea・小栗克裕編曲)