今期テレビドラマでは、すっかりシリーズ化された作品となった『Dr.コトー診療所』の視聴率が好調で、毎回コンスタントに20%を越えています。視聴率とドラマの善し悪しは単純には結びつきませんが、視聴者がすっかりこのドラマになじんだ様子が伺えます。
この作品が開始された頃は、毎回のように怪我人や急病人が出て、それを主人公の医師が奇跡的に救うという作りでした。その意味では、ハラハラドキドキを売り物にしていたようなところがありました。しかし、今はそういうシーンは少なくなって、南の小島の人々の暮らしや人間関係に重点を置いて描いているように思います。最初にハラハラドキドキで視聴者を引き付け、ドラマを見てもらうようになったら安定的な「癒し」のドラマに移行するという変化をつけたところに、視聴率的な成功があったように思います。
ところで、今シリーズでは、これまでレギュラーで重要な役を担っていた柴咲コウが(出演はしているものの)東京に出てしまうという設定になり(柴咲のスケジュールの都合?)、その代わりに新米看護士のミナ(蒼井優)が主人公を支える重要な看護士役に加わりました。ただ、そのミナを通じて何を描きたいのか、今ひとつドラマの作り方がはっきりしないと感じていました。
すると、11月2日読売新聞テレビ版に蒼井優さんの記事が載っており、そこに次のような文章があるのを読んで思い当たる点がありました。
演じるミナは当初キャピキャピした性格の設定だったが、「私の中ではコトーにそういうイメージはなかった」ため、監督と話して設定を変更してもらった。(「 」内は蒼井優のことば)
私はこれを読んで最初にかなり驚きました。蒼井さんのような若い女優さんの意見で、人物設定までが大きく変更されてしまうなんて……。一部のせりふを変えるくらいならともかく人物設定自体が変わってしまうというのは、よほど柔軟な製作現場なのか、あるいは蒼井さんが(若いとは言え)よほど発言力の強い女優さんなのか、というふうに驚きました。
ただ、その変更は、必ずしもドラマとしてうまく機能していないように思います。先に感じていたように、新しいミナという看護士を通じてドラマで何を描きたいのか、いまひとつ明確になっていない気がします。簡単に言えば、ミナで「泣かせたい」のか「笑わせたい」のか。泣かせるにしてはミナのドジぶりがちょっと間抜けに見えるし、笑わせるにしては中途半端で笑えないし、というのが私の印象です。最初の「キャピキャピ」の設定を変えてほどほどの「いい子ちゃん」に人物設定を変えたために、そのあたりがはっきりしなくなってしまったと私は思います。
多くの人の思いを融合させることは良いことかもしれませんが、それによって出来あがるものがより良くなるとは限らない…そういう難しさを感じさせる事例でした。