フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 『半沢直樹』と『私の家政夫ナギサさん』が人気を集めています。たしかに面白いです。しかし、世間で評判になると、違うことを書きたくなるのが研究者です。
 『半沢直樹』はたしかに面白いですが、しばしば言われているのは「顔芸」で、これに象徴される誇張した表現があまりにも目立ちます。勧善懲悪を明確にし、悪役のわるがしこさとそれに立ち向かうヒーロー像を強調する手法は、わかりやすさ、痛快さでは群を抜いています。しかし、たとえば『ちゅらさん』や『ひよっこ』を描いた岡田惠和脚本のような世界、悪人が出てこないほのぼのとした世界を対照してみると、こうした誇張した表現には、大きな功罪があるように感じます。
 もう一点思うことですが、現代人は、仕事関係でしか息抜きができなくなっているのでしょうか。過去のテレビドラマは、何かに自分を投影していました。たとえば、必殺シリーズはサラリーマン社会の縮図ともいわれました。必殺シリーズ最大のヒーロー中村主水(藤田まこと)は、うだつの上がらないサラリーマンを象徴していました。普段は情けない男がいざというときに非情な殺人者に変身するところに、多くの視聴者を自身の姿と願望を投影していました。
 それに比べると、もはや「象徴」「投影」の度合いが格段に下がり、同じ現代の、同じサラリーマン社会でないと「娯楽」を享受することもできなくなっているとすれば、視聴者の想像力ーの問題も、考察しなければいけない課題になっているように感じます。

 さて、一方の『私の家政夫ナギサさん』。こちらは『半沢直樹』ほどの視聴率ではないものの、徐々に視聴率を上げ、作品の評判も高まってきています。
 OLの相原メイ(多部未華子)は、仕事はできるが家事はぜんぜんダメ。それで、中年男性のナギサさん(大森南朋)を家政夫として雇う…という設定。視聴者の中でも、特に働く女性の共感を集めていることが、この作品の視聴率や評価を押し上げています。
 ちなみに、私の知る働く女性は「大森南朋じゃなくて竹野内豊が家政夫だったらいいのに」と言っていました。「そりゃそうだけどなんと贅沢な」と思いますが、気持ちはよくわかります。この作品では、一番家政夫に似合わなそうな俳優として、渋い役どころの多い大森南朋がキャスティングされたんじゃないでしょうか。
 話を戻して、働く女性の共感を集めていることはよくわかるのですが、ではこれが男女逆だったらどうなのでしょうか。働きすぎの30歳前後の一人暮らしの男性がいて、その男は家事がぜんぜんできない。そこで、家政婦の女性を雇って、そのおかげで仕事に専念できるようになり、家政婦を信頼し、さらに心を通わせる…。そういうドラマだったら、視聴者にどのように受け取られるのでしょうか。なんだか、ありきたりのような気がしますし、さらには「男は仕事、女性は家事」というステレオタイプの固定観念にとらわれているという批判まで受けるかもしれません。そう考えていくと、この作品が多くの共感を集めていることは理解できるものの、「男性は仕事、女性は家事、男は家事のできる女が好き」という、従来のステレオタイプを裏返しにしたらいいのか、という疑問は拭えません。
(ちなみに『私の家政夫ナギサさん』は『逃げるは恥だが役に立つ』の裏返しという言説が流通しているようですが、私はかなり違うと思います。『逃げ恥』には契約結婚という重要なテーマがありましたし、コミュニケーションの苦手な男性とこざかしい女性という人物造形もありました。『わたナギ』とは性格がかなり異なると考えています。)

 2作品が評判になっているので、あえて研究者としての懸念を述べておきました。

※このブログはできるだけ週1回(なるべく土日)の更新を心がけています。






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