村上春樹に関する講演をしました。
講演の概要は以下の通りです。
東京私立中学高等学校協会・文系教科研究会(国語)
「 村上春樹・危機の時代と小説家の<責任> 」
日時: 2011年6月27日(月)18:00~20:00
会場: アルカディア市ヶ谷(私学会館)
今回の講演は、研究会の幹事を務める大高知児先生(中央大学附属中高等学校)からの御依頼で実現しました。御依頼の際に、「村上春樹」「震災後の時代に関連させて」という2点の御要望をいただいていました。
村上春樹は私の近年の重要な研究テーマですから、いろいろなタイトルでお話をさせていただいています。ただ、今回は上記の御要望があったので、特に村上春樹の1995年に着目し、「阪神淡路大震災」と「地下鉄サリン事件」を村上春樹がどのように受けとめたのかを考察の中心に設定してみました。その際に、村上春樹自身がインタビューなどでしばしば使っている「責任」という言葉を考察に含めることで、村上春樹が「阪神淡路大震災」や「地下鉄サリン事件」後の危機の時代に対してどのような「責任」を持つと考えているかをお話しました。
村上春樹作品は世界中で広く読まれていますし、近年は中学・高校の国語教科書にも『レキシントンの幽霊』『鏡』『青が消える』(高校)、『ふわふわ』『バースデイ・ガール』(中学)などが掲載されています。他にも読書教材になっている作品があり、学校で村上春樹作品をどう教えるか、大きな課題になってきています。
この日の私の話が、中高の先生方のお役に立てば幸いです。
この日は、忙しい学期中の平日にもかかわらず、多くの先生方に出席していただき、話をした私としてもありがたく思いました。その中には、中央大学で私が教えた卒業生、私の編著『村上春樹と一九八〇年代』か(2008年、おうふう)の執筆者、私の出身大学である東京学芸大学の後輩といった、私の知人もおおぜい来てくれていました。
講演会終了後に協会・研究会の役員の方々と食事としたので、私の知人たちとゆっくり話ができなかったのは少し残念でしたが、こうした講演会を通して懐かしい人たちに再会できたのは、私には思いがけない嬉しいことでした。
先生の講演、拝聴させていただきました。
参会者も多く、質疑応答も活発で、あらためて村上春樹が熱心に読まれているのだなあ、と実感しました。
(もちろん先生の人柄もありますが)
ソリッドな世界観を懐疑する春樹作品を教室という場
で教えるのは難しいように思いました。
また、標題を「危機の時代と小説教育の〈責任〉」と読み替えてみた時、春樹を媒介としてどのような視点が得られるのか、そんな点も興味深い課題として持ち帰ることができました。
この講演を機に小説の役割について考えてみたいと思います
ありがとうございました