今日、62回目の終戦の日を迎えました。
そこで思うことをとても書き尽くすことはできません。ただ、毎年思うことは、この日の迎え方が国によって、地域によって、民族によって、大きく異なっているということです。
私は日本に育ったので、ある頃までは日本のようなこの日の迎え方を当然のことと思っていました。というより、当然とか当然でないとか、考えることすら無かったのです。それが、30代の半ばで初めて海外に暮らすという経験をし、それがちょうど戦後50年の節目の年だったこともあって、この8月15日の迎え方がいかに異なっているかを痛感したのでした。このことについては、前に書いたことがあるので、そちらを見ていただけたら幸いです。(→「VEデイとVJデイのこと」)
また、この機会に、4年以上も前に書いた文章も公開することにしました。これは、「9・11」があった年に書いた文章で、毎年作成しているゼミの報告集の巻頭に掲載した文章の一部です。終戦の日にあたり、自分が何ができるのかを再度考える意味で、公開しようと思います。(→「個性ということ」)