フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 




    


 4月期のテレビドラマもぼちぼち始まりますが、まだ放送された作品は少ない状況です。そこで、一足先に放送された深夜ドラマを取り上げてみたいと思います。それは『昼のセント酒』(テレビ東京系、土曜深夜)です。


 テレビ東京系では、『孤独のグルメ』というシリーズ化されたヒット作品があります。同じ久住昌之の原作マンガをもとにしたテレビドラマ作品が、この『昼のセント酒』です。その概要を公式ホームページから引用してみましょう。

 内海孝之(戸次重幸)は42歳。勤務先は日の出広告(株)の企画営業部2課。1年前に内勤の業務部から企画営業部に移動したが、口下手で不器用、要領が悪く、押しも弱い。そんな性格がわざわいして、営業成績はいつも最下位。課長の堂園翔子(八木亜希子)からは、いつも叱責されている。そんな内海の唯一の楽しみは、営業をさぼって平日の昼から銭湯に入り、その後、渇いたのどにビールを流し込むこと。勤務時間中という後ろめたい気持ちもありながら、、銭湯を見つけると、その誘惑に抗えない。今日も会社に「急用が入ったので…」と言い訳の電話をすると、意気揚々と銭湯の門をくぐる。入浴料を払い、スーツを脱ぎ、浴場に入ると内海にとって最高の瞬間が待っている・・・。

 前にこのブログに書いたことがあるように(東京には温泉銭湯がある)、私は温泉や大浴場好き。最高のぜいたくは温泉旅行。それが無理なら、次のぜいたくは、出張に出かけたときに大浴場のあるビジネスホテルに泊まること。それも無理なら、せめてもの楽しみは、自宅のの近くの温泉銭湯に出かけることです。ですから、『昼のセント酒』の世界には、おおいに共感するものがあります。

      (原作本)

 それはそうと、テレビドラマを歴史的に考察しているテレビドラマ研究者の私としては、この『昼のセント酒』の世界観に共感すると同時に、歴史的にもなかなか興味深いものを感じます。

 というのは、同じ久住昌之原作のテレビ東京系ドラマと言っても、そこには大きな違いがあるからです。人気シリーズになった『孤独のグルメ』の主人公・井の頭五郎は、一種の自営業者ですから、どのように働くかは自分自身で決められます。しかも、毎回の放送では、仕事のために出かけた街で、何らかの仕事を終えてから、空腹を満たすためにレストランや食堂に入り、1人で思う存分に食事を楽しみます。

 それに対して、『昼のセント酒』の内海孝之は営業職のサラリーマン。その彼が、勤務時間内に銭湯に入り、しかも居酒屋でビールを飲んでいるというのは、かなりの問題行動です。もし会社にわかって厳しく追及されれば、これは会社から懲戒処分を受けても仕方ない行動です。そのような行動をとる人物を描き、そこにアウトロー的な魅力を描くのではなく、むしろ庶民的な癒しを描き出そうとするところに、私は興味をひかれます。


 たとえば、1960~70年代のスポーツ根性ドラマの最盛期にこの番組を置いたら、努力をすべての価値観の根底におく風潮の中で、このような番組は駆除されていったことでしょう。また、1980年代後半のバブル絶頂期にこの番組を置いたら、その貧乏くさい楽しみのあり方に視聴者はそっぽを向いてしまったことでしょう。

 内海孝之のような、会社の仕事をさぼって数百円でできるささやかな楽しみにふける人物を描くこと。それが喜ばれるような時代のあり方について、それを考えるのもテレビドラマ研究者の仕事です。この点について、しばらくこの『昼のセント酒』を見ながら、もう少し続けて考えていきたいと思っています。

※このブログはできるだけ週1回(なるべく土日)の更新を心がけています。



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