金子達仁・戸塚啓・木崎伸也著『敗因と』 (光文社、1500円)を読みました。
サッカーファンなら著者の名前からわかると思いますが、2006年ドイツワールドカップにおける日本の敗因を考察したスポーツ・ノンフィクションです。この本の善し悪しにはいろいろ意見があると思いますが、私はワールドカップから半年もすぎてから「今さら」という時期に出版されたこの本を評価したいと思います。
ワールドカップ便乗企画であれば、もっと早くワールドカップの余韻が残っているうちに出版された方が売れ行きも期待できたでしょう。しかし、読めばわかるとおり、関係者への取材もそうとうにおこなわれており、この本の出版にはこの半年の月日がどうしても必要だったように思います。
以前にも書いたことがありますが(→「日本代表再出発試合を観戦して」)、私はものごとの徹底した分析と反省なしに進歩・前進はないと思っています。その意味から、ドイツワールドカップの後すぐに、人々とマスコミの関心が新生オシムジャパンにばかり向いていったことに危惧を感じます。本書にも出てきますが、日本サッカー協会がドイツワールドカップを総括したレポートが出たのはかなり後で、しかもその内容はかなり物足りないものでした。本書はそんなワールドカップ総括の不十分さを補ってくれる重要な問題提起の本になっていると思います。
余談ですが、「過ぎたことは掘り返さない」という風潮は日本人的と言うべきなのでしょうか。たとえば、銀行や企業(場合によっては政党までも)が破綻したときに、欧米であれば徹底的な糾弾と場合によっては刑事罰を受ける状況でも、日本では現在のトップが謝って終わりということが多いように感じます。
もっと身近な話ですが、私は以前に校正なしの誤植だらけの論文をそのまま刊行されてしまったことがあります。いつまで経っても校正(推敲のことです)原稿が送られてこないと思っていたら、そのままいきなり雑誌になって私の論文が刊行されてしまいました。まだパソコン原稿ではなく活字を一字一字拾うような印刷の時代だったので、原稿から多くの字が抜け落ちていたり、活字が上下ひっくり返っていたりするまま刊行されてしまい、仰天したことがあります。
当然私は不満でしたが、トップに「すまなかった」と謝られただけで、再印刷などの対処はありませんで。私も原因をはっきりさせてほしいと言ったのですが、「みんな一生懸命やった。誰のせいでもないんだ。」という答えしか返ってきませんでした。
私は、こういうときに原因・責任をはっきりさせることが再発を防止することにつながるし、迷惑をかけた人に対しても最低限の礼儀だと考えます。しかし、責任を明確にしたり追及したりすることよりもトップが頭を下げて謝罪するという方法は、きわめて日本的な対処のしかただと感じました。
本に話を戻すならば、本書には「敗戦をそのまま通り過ぎてはいけない」という姿勢が一貫しています。スポーツ・ノンフィクションにありがちな、出来事を一定の筋書きに回収しようとする箇所も見えなくはありませんが、「敗戦をそのまま通り過ぎない」というその一点において、本書は十分に読む価値のある本だと感じました。特に私が対ブラジル戦を観戦して感じた「日本チームの一体感の無さ」(→「ジーコジャパンが燃え尽きた夜」)が複数の視点から検証・考察されており、なぜどのように「一体感の無さ」が作られてしまったのかを考える重要な視点を提供してくれていると感じました。