考えるための道具箱

Thinking tool box

◎『ポスト消費社会のゆくえ』。

2008-05-28 00:57:38 | ◎読
堤清二/辻井喬と上野千鶴子の対談集『ポスト消費社会のゆくえ』(文春新書)が興味深く読めるポイントは2つある。
いまや好々爺となった(フリをしているだけかもしれない)堤清二が、西武百貨店とセゾングループの失敗の原因を一手に引き受け、自身の経営者としての才覚のなさを、かなりシビアに断罪し、あたかも、仕事があんまり好きじゃなくてダメダメ・リーダーだったんですよねえ、なんだか部下とか腹心に話を正しく伝えるのが下手だったんですよねえ、とでも言いたいかのように暢気にうつけ者風に過去を粛清しつつも、しかし経営者としての鋭い見識眼や(早すぎたきらいもある)先見の明は隠しきれず、読む私たちに背筋の凍る思いをさせる。これがポイントのひとつめだ。
百貨店という業態を見る分析眼は鋭いが、やはりどこかで、「これはおれのほんとうの姿ではない」と思っていたのか、文化的遊びに惑い、近江商人にもかかわらず、分析を実行にうつせなかったという風にみえる。

<辻井 はい。この渋谷に賭けた十年間の仕事は、私自身にとっても貴重な体験で、街を変えた、人の動きを変えた、そして社会のお役に立った、という実感がありましたので、まあ、辛いこと、厭なことの多かったビジネスマン時代のなかではいい時代だったと思っています。>

という具合に、厭で厭でしようがなかったわけだ。堤が言う、その厭なことは、90年代に次々に露呈していき、「第三章 1990s~」では、上野もその責任についてぐいぐい突っ込むが、西武セゾングループの(あたかも無策から生まれたかにみえる)すべての失敗があきらかになっていく。西洋環境開発グループの不良債権リゾート(サホロ、タラサ志摩)と不良債権ホテル(ホテル西洋銀座、インターコンチ)、東京シティファイナンス、つかしん、ファミリーマートの売却……そして、これらの壮大な失敗の根本原因は、最終的には、堤清二のパーソナリティにあるのではないかという仮説に帰着する。

そこで堤は、三浦展の「(堤さんの)破滅への願望が、こういう事態を招いたというか、意図的に巻き起こしたというか」という指摘になかば同意しつつ、

<辻井 ……それで、八〇年代に入って、マーケットと自分の感覚との乖離が進んだことを意識するようになってから、自分はキャラクターとして経営に向いていないな、と思うようになりました。それに「お前はもともと経営者(注:父親)に反旗を翻した男じゃないか」という考えが、そこで合流するわけです。……その後、西洋環境開発と東京シティファイナンスの問題が出てきて、……自分の経営者としての責任のあり方は果たして正しかったのか、という自分に対する疑念が次第に大きくなってきました。>

といった具合に、もうズタズタである。こういった疑念に苛まれながら、それでも経営責任を全うしたのはさすがに堤家の末裔ではあるが(正確には全うしきれてはいないが)、やはり心ここにあらずの状態であったということは否めない(この正直さが経営者としての魅力という考え方もあるが)。

しかし、一方で、理念レベルでは、彼の経営や小売業のあるべき方法論は鋭い。たとえば、

<辻井 ……「経営者にとっては、常に自己が否定されるような環境をつくることが、企業の自己革新力を維持する上で必要不可欠な作業になってきている」と「自己否定の論理」を社員に述べているんです。>

といった構えや、当時西武百貨店の責任者として迎えられていた、「西武百貨店白書」の和田繁明の「ファミリーマートを売ることにした」という報告に対し、

<辻井 ……「ああ、そうか。僕ならば、西武百貨店を売ってでもコンビニは残すんだが……」という私の感想を述べましたけれど。>

といった、慧眼とこだわりのない心は、じつは経営について一心に考えていたとしかいいようがない。

ここに見られるのは、言うまでもなく、堤清二/辻井喬という二つの顔の存在であり、二人の人間をつくってしまったそのことじたいが破滅的なパーソナリティといえるのかもしれない。
しかし、じつは、その二つの顔をもつことが、逆にいまこれからの日本の市民として生き抜くためのスタンスではないか、と思えるのが、この本の2つ目のポイントであり、このことは、最終章の「2008」において語られる。堤ほど大きなビジネスに巻き込まれてしまうと二つの人格(人格とは微妙に違うが、いまだ定義できないので仮に人格とする)を持つことは、その持ち方によっては、必ずしも有用には作用しないが、市井のビジネスマンにおいては、この厳しい時代を乗り切っていくための重要なヒントになるかもしれないと思える。

「2008」の章では、二人の人格をもつことの魅力やメリットが直接的に語られているわけではない。しかし、堤としての/辻井としてのさまざまな嗜好事例から、超自我との対話や批評・和解のプロセスにおける自己の相対化、自己否定・自己革新の繰り返しは、閉塞をとどまらせるための有効な「思考」レッスンとなるし、緩い境界線でつながる二つの世界をもつことが、双方の仕事と生活の「技術」を弁証法的に向上させる、ということがよくわかる。

端的にいえば、それほど長くない人生において、一人の生き方では、もったいない。対話ができて、技術交換のできる二人の役目を自分のなかでつくってしまえば、人生をより豊かに過ごせるのではないか、ということである。

じつは、この2つの人格(くりかえすが、正確には人格ではない)の必要性と有効性については、梅田望夫と齋藤孝の対談『私塾のすすめ』の中の梅田の発言に着想を得て以来、ずっと考えている。

<梅田「僕が「好きなことを貫く」ということを、最近、確信犯的に言っている理由というのは、「好きなことを貫くと幸せになれる」というような牧歌的な話じゃなくて、そういう競争環境の中で、自分の志向性というものに意識的にならないと、サバイバルできないのではないかという危機感があって、それを伝えたいと思うからです」>

梅田も話しているが、いまわたしたちがかかえている仕事の量は、たとえば90年代の初めの頃とでは比べものにならないほど増えている。そして、それをこなさなければならない速度も、尋常ではない。だから、仕事とプライベートの時間的な境界は、どんどん非対称になっていく。こういった問題を解決するときに、ワーク・ライフ・バランスなんかがひきあいにだされがちだが、あまりにも建前すぎて話しならない。なにより、発展的でないし、一歩使い方を間違えれば、これは欺瞞に満ちた施策になる。しかし、どちらかに偏ってしまい、趣味は仕事です、仕事が趣味です、なんて言ってしまうのはあまりにも悲しい、というか、そう思っている以上は仕事にとらわれているわけで、よほどハイアチーブな人種でない限りいつかは破綻する。では、どうすれば「好きなことを貫けるのか」。

この先の答を出すためのヒントとして、二人の自分というものがあるのではないか、というところまではおぼろげながら見えていて、もし「知」とか「知への好奇心」といったものが、二人を繋ぐ鎹となるのであれば……

といったところで、わかりにくい話はやめて(※)、堤/辻井の話に戻すと、二つの回路で物事を考えたり、二つの嗜好性で外界の引力に身を委ねることは、それが最終的に虻蜂とらずとなったとしても、面白い生き方にはなる。堤/辻井の場合は、それはある程度のエスタブリッシュメントに支えられてのことだが、小市民的に実践できることもあるかもしれない。辻井がもう少し、面白く小説や詩を書いてくれれば、このことに確証がもてるのだが。

いずれにしても『ポスト消費社会のゆくえ』は、ことのほか面白く読めたが、これはやはり堤清二/辻井喬の自伝であり、もとより自伝は面白いのだが、とりわけそれが同時代的であったためなおさらということだろう。八〇年代について、なにかと遺恨と悔恨のある人なら同じ思いで読めると思う。


※この話は、もう少し熟成が必要だ。というか、登攀口を変更する必要があるかもしれない。また、『私塾のすすめ』についても、既知の話が多いとはいえ、いくつかの議論すべきテーマが語られているので、別の機会に順を追って考えてみたい。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿