考えるための道具箱

Thinking tool box

こんなふうに考えてみた。

2006-07-22 18:39:49 | ◎業
「わたしたちの仕事というのは(もちろん近視眼的には「儲ける」とか「クライアントに喜ばれる」とか、なによりその先の「生活者のためになる」といった目的をもつものだが、「仕事人・企画者としての個人」という視点で考えたとき)、自分の「後から」同じような案件について策定することになる「いまだ存在しない企画者」のために里程標を打つことである。

極論すれば、その企画案件の完成形や検討プロセスを識ったことによって、はげしく知的興奮をかきたてられ、同様の企画案件について「ぜひこのような課題に取り組みたい。そして、それとは異なる別の答えを出してみたい」と思うような若い世代を創り出すことである。

仕事の本質は、「(弁証を繰り返し、その時点においての合意のなかで)すでに完了した企画の善し悪しに基づいて査定されること」ではなく「いまだ存在せざるものを創造すること」なのである。(つまり、なにがしかのかたちで、次のステージにおいて、発展・解体されうる成果、または足がかり残しておくことを意識しなければならない。)

そういうマインドセットを決めれば、どういうふうに企画案件に取り組めばよいのかということはおのずからわかってくる。

自分が何をしようとしているのか、どうしてその方法論・思考法の選択には必然性があるのか、それを関与者のできる限り多くが納得がゆくように説明するところからまず話は始まらなければならない。
これが最初の「挨拶」である。

それに続いて、当該案件についてのこれまで積み上げられてきたプランとアイデアについての「表敬」が行われる。
当然のことながら、仕事というのは「成功と失敗ノウハウの次世代への継承」「ファクトの再解釈」というダイナミックな歴程そのものだからである。

自分が知的なリソースの贈り手でありうるのは、自分もまた先行する企画者たちとファクトから豊かな贈りものを受けとったからである。
先行のプランとアイデア、そしてファクトに何も負っていないまったくインディペンデントな企画などというものは存在しない。
だから、先行世代からの学恩に対して十分にディセントであること。
先行の企画がどれほど「時代遅れ」に見えようとも「短見」に映ろうとも、そのプランとアイデアがあったからこそ、どういう知見が「時代遅れ」であり「短見」であるかが後続世代に明らかにされたのである。

自分のいまの仕事はいつだってある「続きもの」のなかの一こまである。
誰かが私をインスパイアしたのである。

このふたつの挨拶ができたら「企画者」合格である。
私はそう考えている。
その人の企画者としての器量がどの程度のものかは、「最初の挨拶」を聴いただけでわかる。
自分がどういう知的伝統の「コンテクスト」の中に位置づけられているのか。
それを適切に言うことのできるクールで中立的な知性。
そのコンテクストの中に置かれてあることを「幸運」として受け止めていること。
先行世代への感謝の気持ちと、後続世代への配慮があること。
それが整っている企画者なら、どんな主題についてもクオリティの高い仕事をしてくれるに違いない。
知と愛。
企画者・仕事人に求められているのはそれだけである。」

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というわけで、あまりにコミュニケーション効率の美しい内田樹の文章をテンプレートとして活用させていただきました。もちろんこの文章内容については、Bさんが言うように、そこで内田樹が主要ターゲットとしている、いわゆる研究者のような人にとっては欺瞞に満ちあふれたものであり、それこそ噴飯ものなのかもしれず、それについては、よくわからないなりに同意できるけれど、ことビジネスの世界に回路をおきかえてみると、きわめて納得のいく戒めとして浮上してくる。

これは、広く考えたときビジネス・パーソンもいちおうは探求者のひとりではあるのだが、このことがほとんどの場合、意識・認識されず、それゆえに研究者であれば当然のマインドセットが会得できないために、多くの勘違いと一方で落胆を生んでいるからである。そういった人たちが(わたしも含めて)、さほどきんきんにならずとも本質的に仕事を永く楽しみ続けるための大切なアイデアがそこにはある。もし、このことを初級者的であれ理解できれば「ああ、そういう考え方で仕事をすれば、多少は面白くなりそうだなあ。いまのグダグタも報われそうだなあ」という糧になる予感を与えことができる。

たとえば、その場限りの成果だけ求める、というのはそれこそ若いうちはがんばってもらっていよいことなのだが、長い仕事人生のなかで、いつまでも短期的なミッション遂行だけを繰り返し求め続けると息切れしてしまう。短期的な成果を犠牲にしても(EX.儲けが薄くても)、次に浮上できる何かを埋め込んでおく(EX.ネットワークになる才能を起用する)、ないしは自分のワークプロセスを概念化・体系化していくため(EX.ビジネスモデル化、社内教育素材化)、拙速な効率より完成度を目指す、といったことはじゅうぶんに必要だ。このことが自分が永く働くであろう職場を世代を超えて活性化することにつながる。

また、先行する商品企画や事業戦略、さらにはコミュニケーション・ツールの失敗をけっして印象批評してはいけないし、自分ひとりの知識とアイデアだけでそれを超える(超えた)、という気概は残念ながら思い上がりに過ぎない。とうぜんゼロから考えられる(考えた)ことなんてありえない。すべてのアイデアとプランには原型があり、考えたアイデアはどれだけ自分オリジナルだ、と息巻いても、そんなことはちっぽけな幻想にすぎない。逆に言えば、アイデアに行き詰ったときは真摯に先人の知恵の扉を開くことが解決への最短コースであり、そのために、限りなく過去のケースを学び続けねばならないということだ。この謙虚な姿勢の積み重ねこそが、総体として「使える人だ」、という評価を生むことになる。

このような解釈は、もはやほとんど翻案ではあるけれど、話のフレーム・ワークとしては、きわめてわかりやすい。ぜひ、当社の中堅コースのみなさんも、自分なりに考えてみてください。自分なりに解釈しなおすことが重要です。「知と愛」なんて、ちょっと恥ずかしいぜ、とかね。

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