考えるための道具箱

Thinking tool box

◎『ジグソーパズル専門店(仮)』

2008-02-03 02:31:18 | ◎創
「こんな情けない話は、小学生のとき以来だ!」

憤怒した38才の志木宗吾は、品川駅のプラットフォームの喫煙コーナーのちょうど横あたりにある最新式のユニバーサルなデザインを施した自動販売機の商品取り出し口に向って、思い切り踵を落とした。なにかプラスチックの軸のようなものが折れる音。ところが事態はいっこうに変わらない。「いまどき、金を入れて商品が出てこない自動販売機なんて!」と、もうひと蹴りのための助走に入ったところ、そんな重大な局面などいっさいかまわず、食品卸会社勤続約22年の係長代理ふうの男が近寄ってきて、当該の自動販売機で、あったか系の飲料を求め、百二十円をほぼすべて十円玉で挿入した。志木宗吾は、「二の舞だ」と、ほくそ笑みながらそのおっさんに声をかけたが、事態は一変して、聞きなれた「ガン」という音ともに、『ジョージア カフェラッテ』が排出された。

聞きなれた音は、同時に志木宗吾の心象風景をあらわす音でもある。やはり、あったか系を選ぶべきだったのか……。本来の志木宗吾であれば、まず、ここで追加で小銭をいれて、別種の飲料で再トライする程度の知恵は持ち合わせている。詰まっている飲料に上から新たな荷重をかけて押し出すという算段だ。しかし、今回に限っては、追加で選びたい飲料がなかった。そもそもこの自動販売機には、格別に飲みたいと思える飲料はなく、でも新幹線のなかは乾燥するだろうから、しいて言えばという選択で「緑茶」を選んだくらいのもので、飲みたくないもので、すでに百二十円を失ったうえ、さらに「緑茶」以上に飲みたくない飲料に百二十円を投資するのは、まるでもう今日はダメなんじゃないかとうっすら気づいているパチスロにメダルを投入する感覚にも似て、志木宗吾のベットを躊躇させた。誰かれかまわず関係者を捕まえて、販売機の前面をあけてもらうとういう選択肢も、三分後に到着するとアナウンスされているのぞみ号の前ではまったく無力だ。なにもかもをあきらめた志木宗吾は「この百二十円を外国為替に投機したら勝てたかもしれないじゃないか、平成も二十年にもなろうとも言うのに、こんな情けない話は、昭和以来だ!」と、さっそく『ジョージア カフェラッテ』をぐいぐい飲みだしたおっさんに呪詛を浴びせながら、指定券に書かれた12号車20番D席の乗降口に向った。

12号車の後車側の乗降口では、合理的な整列乗車のためにひかれた青いラインに沿って、すでに賢そうなビジネスマンらしき二人が並んでいた。三番手についた志木宗吾のうしろにもほどなく拓殖大商学部三回生ふうの男子と、ディアゴスティーニ・ジャパンで「書店営業二年、一所懸命やってきました」ふうの女子が続いた。列車到着のアナウンスが、先の百二十円への逆上をかき消さんばかりに、いよいよ盛り上がり、のぞみ153号のヘッドライトが線路を照らしはじめた矢先、前に並ぶ賢そうなビジネスマンと志木宗吾の間から合理的な青いラインを踏み越えんばかりににじり寄ってくる灰色の影が見止められた。その影の主もどうやらビジネスマンらしいが、おそらく四十近いにもかかわらず髪がほのかに金色に輝いているところを見る限り、また「Mizuno」の灰色のフィールドコートを着ているあたり、「人は見た目が9割」的に言えば、仕事より少年野球のコーチが大事、と言わんばかりの男で、大方の予想どおり青いラインをなきものにしようとしているようだ。志木宗吾がさりげなく前につめれば、金髪コーチも敵愾心あらわに前につめる。志木宗吾がさりげなく視線を青いラインに落としてみても、金髪コーチは注意を喚起しない。そんな散漫な注意力で、よくも野球少年の指導が務まっているものだと思うが、きっと明日の練習の後のコーチ同志の飲み会のことで頭がいっぱいなのだろう。商店街のスナックのねーちゃん(32)とのデュエットのことなんかを考えているのかもしれない。列車が到着しドアーが開くと、案の定、コーチは、志木宗吾の前に具体的に露骨に割り込んできた。志木宗吾は比較的大きめのキャスター付スーツケースを携行しており、それを巧みに使うことで、コーチの蛮行をブロックすることもできたのだが、百二十円の件で気落ちしていたこともあり今回は思い限った。だいたい、こんなことは新幹線を利用するたびの茶飯事なので、いちいち激昂していたらきりがない。以前は、ラインではなく有刺鉄線にすればいいのにと過激に考えたこともあったが、そういった工事が運賃に跳ね返るんだったら本末転倒だと思い、JR東海への「拝啓 これだけ新幹線が発達しているにもかかわらず、まだホームでの整列の方法がわかっていない人が多すぎる。それはもはや人の問題ではなく、青いラインの問題である……」と書き出された提案の手紙をポストにいれる寸前に思いとどまった。

そんなことを思い出しながら、志木宗吾は、寛大な気持ちで、なぜなら俺は最後尾の席で最大限リクライニングできる裕福な立場にあるものだから、指定席にもかかわらず焦って横はいりする君のあまり意味のない暴挙を「許す!」よと、コーチを招きいれた。王様は臣民に寛容であれ、なんて口ずさみながら。情けは人のためならず、なんて口ずさみながら。そして、もうこれ以上の不遇はないだろうと安心しながら。
すべてを忘れようと20番のD席についたのもつかのま、コーチは19番のD、つまり志木宗吾の前に着席し、そればかりではなく困ったことに王様なみのリクライニング権を行使しはじめた。いくら志木宗吾が最大限リクライニングしたところで、コーチの席からからひどい圧迫を受けては、まったくリクライニングしている気分になれない。さすがにこれには参った。なにか垂訓をと、体を起こそうとしたそのとき、志木宗吾のものではない、苦言が聞こえた。

「ちょっとは遠慮してくださいよ。もー」

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