考えるための道具箱

Thinking tool box

◎コンテンツ・マーケティングについて考えてみた。(2)

2011-08-27 13:38:45 | ◎業
博報堂の『「自分ごと」だと人は動く』の「広告は「関係価値」を創る」というコラムには、以下のような記述がある。

「商品やサービスの価格や仕様、効果効能などのようなカタログスペック的な情報を、さも格好よく「言い換える」ことが広告の役割だ、と思われているとしたら、それは大きな誤解です。
(……)広告が果たす役割は「カタログやスペックだけではいい表せない意味」をシンプルにロジカルに抽出することです。つまり「この商品・サービスが生活者にとってどのような魅力的な意味をもつのか」を説明すること。商品・サービスと生活者の間に築かれる新しい「関係」をきちんと定義してみることになります。」

なんともきわめてまっとうな「広告」の定義だ。こんなファインなデファインが、彼らの言うところの「クリエイティブ」を通した瞬間に、ときにオマエモナーといさめたくなるようにアウトプットされる、そのからくりを知りたいもんだ。

いや、じつはわかっていて、ようは、[1]なんだかんだいっても一発マスやタレントに結びつけないとみんなが困る [2]商品情報・見込客情報を丹念に拾っていくなんて労働集約的な作業は超めんどくせー ってことなんだと思う。

しかしよく考えてみよう。[1]にしても[2]しても、そんなのエージェンシーの社内事情であって、逆の立場、つまりクライアントにとってみれば、看過できない最優先課題のはずだ。彼らは、[1]マスを使わずに効果的な情報発信はできないものかと日夜頭を抱えているし、[2]商品情報や見込客情報という生命線の組み合わせつまり「関係」について始終考えることが仕事だ。ここをスポイルして、「売る」ためのクリエイティブは実現しない。

このあたりが、コンテツ・マーケティングの精神世界だな。精神世界のことばかり言っててもしようがないけれど、いちおう言っとく。やっぱり、スモール・エージェンシーの仕事なんだよな。

もちろん、一発マスとタレントが必要で、商品情報と見込客情報の関係を雑駁に考えていい商品・戦略・施策もあるわけだから、そこにはコンテツ・マーケティングはあまり必要ないっす。いやホントは、そんな商品も戦略も施策もないんだけどね。いや?あるか?これは、いまの強靭すぎる流通(小売)とメーカーとそこで売られる商品種類によって整理できるね。

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