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考えるための道具箱

Thinking tool box

◎んなことはTwitterで書くべきではないか。

2009-11-03 13:59:03 | ◎想
『恐怖新聞』の少年チャンピオンコミックスの5~6巻あたり。鬼形礼は、比較的大きな規模の除霊に挑戦するが、例によってポルターガイストのフェイクにより失敗する。なかなかハードな除霊だったようで、鬼形は「もう金輪際、除霊なんかしないです」と、あきらめの境地に達する。しかし、この除霊、じつはかなりいいところまでいっていて、もし鬼形があと一歩がまんしていれば成功した可能性が高かった。そのことはすでに恐怖新聞により予言されていたにもかかわらず、この一回に限って、彼は気絶という体たらくで重要な紙面を見逃していた、という話。

いま、まさにそんな感じ。ああ、よくわかんない譬えですね。なんとなく、なんとなくですよー。いや、除霊的なるものに失敗したというわけではなく、もう少し踏み込めば、そこになにか煌めくようなものがあるような気がするけれど、いろいろあって突っ込んでいけない状況。そこまでやれば新しい機会を手に入れられることはわかってんだけど、きっと今は追いかけられないだろうなあ、という忸怩たる思い。で、せっかくの恐怖新聞のスクープを徒労にしてしまう。

その壁ないしは膜のようなものは、けっして高いわけでも厚いわけでもなく、どちらかといえば「やりさえすれば」越え、抜けられるようなものなんだろう。しかし、道を阻むザコキャラが意外と手ごわい。眠気、ビール、退屈、妄想、掃除、ウイスキー、買い物、踊り、ビートルズ、ハイボール、クライマックスシリーズ、ヘアスタイリング、焼酎、闘い、バッティング、乳酸菌飲料、アイフォーン……。しかし、1日が48時間があれば解決するのか?といわれれば、そうでもないような気もする。

来年度は、ハイ・アチーブな居酒屋店長なんかがプロデュースする人生ノートブックのようなものを愛用するべきなのだろうか。いやいや、これはちょっと違うなあ。だいたい、こんなようなエクセレントな習慣が続かないからダメダメの丸出だめ夫になっているわけだし。

しかし、まあ仕事、というか世の中というのはだいたいこんなもんですな。わはは。ということで、恐怖新聞ってのは、どこに電話すれば購読できるんでしょうか。

◎やる気をだせ!

2009-10-03 22:13:10 | ◎想
日なが、美人時計を眺めていると、われを忘れて1日があっという間に終わってしまいますね!そんなこんなの毎日で、ああそういえば、ブログなんていうものをやっていたなあと思い出し、久しぶりにのぞいてみると、まあ予想はしていたものの、いっさい更新されていませんでした。あたりまえですね。

ふん、ふふーん、よし、なんかすごいの書いてやろうと思うも、ブログのタブの横に美人時計のタブがあると、ついついそっちをクリックしちゃって、いっこうに筆がすすみません。

こんなことでいいのでしょうか。

話は変わりますが、最近は、心に念じていることが実際にかなうことが多くなってきました。顕著なのは古本ですね。ああ、あの本、古本屋にでてないかなあなんて思いながら、のれんをくぐると、「ぜひ買いたい。古本なら」なんて思っている本がたいてい見つかるようになりました。最近でいうと、宮本輝の『骸骨ビルの庭』とか、ポランニーの『暗黙知の次元』とか、菊地成孔の『スペインの宇宙食』とか、『ハイスクール・ブッキシュライフ』とか『モロッコ流謫』とか、とかとか。半年以上も毎日まいにち一途に心に念じた甲斐があるっていうもんですよ。そんなに本買ってるのにほとんど読まないで、美人時計ばかり見ててどうすんだという声もそろそろ聞こえてそうですが。

ところで、総務省のだしている情報センサスによると、この10年間で、日本人が受け取る情報量(選択可能情報量)は、なんでも532倍になっているそうです。きっと、誰かが邪悪な念をもって、情報を垂れ流しにしているのでしょう。いわれてみれば、わたしも、昔は本なんて年に100冊そこそこしか買っていなかったのですが、最近は毎年50000冊ぐらいは買っていますね。読めない本が天文学的な速度でたまっていく背後には、こんな陰謀が蠢いていたわけです。

今日もまた、朝10:00からずっと美人時計をチェックしていました。8月ぐらいからずっとこんな感じで、いくらなんでもそれじゃ不味いだろ、ということで3時間ほどティップネスにいって、できもしないアドバンスMAXで目をまわしてきました。そしていままた美人時計に見惚れているところです。かくなるうえは、ややこしいサービスが1月まで延長したアイフォーンでもかって、いつでもどこでも、美人時計観れるようにしたろか。

美人時計やめますか?人間やめますか?って感じですね。やれやれ。


◎粗雑な感想。

2009-07-16 21:29:38 | ◎想
先週末は、仕事をしているとき以外は、だいたい野球を観ていた。伝統カードの3試合を中断することも割愛することもなく、ほぼ寝ることもなく。とてもエキサイティングだったと思うんだけど、みんな観た?

「メガシャキ」を毎日飲み続けるとどうなるか実験中。たしかに、いっさいの眠気は撲滅され、集中力すら高まっているような気がする。それが証拠に、おそらく効果がきれると思われる6~7時間後、なんの前触れもなく、前後不覚の睡魔が訪れる。まさに、気がついたら寝てた、という感じだ。舌に訊く限りでは、ドリンク剤よりも悪くはなさそうなのだが、これはいくぶん味覚に誤魔化されている、といわれてもしかたがないだろう。

あがいて、もがいてつかんだ手のひらを開いとき、もし「言葉」が引っかかっていたなら、なにかを始めることができるかもしれない。では、引っかからなければ?

『整理HACKS!』と松下幸之助の『リーダーになる人に知っておいてほしいこと』なんかを、なんの迷いもなく買うところをみると、そうとうダメな感じなのがよくわかる。しかし、松下幸之助とドラッカーが本質的にしみるようになってきたのもまた事実。

川上未映子、渾身の長編『ヘヴン』は、いじめがテーマなので冒頭を読む限りではいやなあ感じ。そのいやあな感じが書けるところは、1年間悩み、800枚を400枚に減らしただけのことはある。でも、これって川上未映子なのか、川上未映子である必要があるのか。とか、いっぽうで、いやいやこういうのが、川上のマントルなんだよ核なんだよ、マグマが溢れとるんだよ、とか考えたりしている。いずれにしても、いやあな感じの小説なので、読むのに時間がかかりそうではある。このあたりは『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を数回にわけて数日間かけてようやく見終えた感覚と似ている。ああ、いやだいやだ。

もちろん『ヘヴン』に時間がかかりそうなのは、『ドーン』のおかげでもある。こちらは平野啓一郎らしい小説。とくに、日本人夫婦の会話。そこだけ読んでももう平野とわかる。夫婦なのにこの不安定感はなんだろうと思う。『決壊』では、不穏の演出?と思っていたけれど、そうでもないようだ。それなら、もうちょっとなんとかならんかな、そのよそよそしさ。まあ、もっとも、こっちの夫婦も不穏のようだけれど。

言葉にすれば内在化する、ということに、もう少し自覚が必要じゃないだろうか。もちろん、ネガティブ/ポジティブの両面で。言ってしまったことが取り消せないというのはかなり畏れるべきことだし、言ってしまったことで場が一気に好転するのも、これまた畏れるべきことだと思う。

状況適応できるということは、状況に惑わされないということ。気持ちが状況におしつぶされてしまった…、とはカイジの箴言。

perfumeの『⊿』は、けっして悪いものではない。ただ、娘に呆れられながら聴くほどの価値があるかどうかはよくわからない。そんなとき、他の年配のみなさまのようにYMOを免罪符にするのは上手い手だと思う。まったくの妄信だけど。

いよいよ、器の限界。思い切って、本を捨てよう。そして、しばらくは新しいものを買わないようにしよう。ついでに煙草もやめよう。うそ。

パインアメには、アンズアメやイヨカンアメなんてのもあるけれど、まあパインアメ以外は、パインアメほどじゃない。手抜きすぎ。

企業の目的は、それぞれの企業の外にある。わかる?

ものごとをわかりやすく伝えるためには……。

野球の話がしたくてうずうずしてんだけど。誰かいませんか。

◎ミクロな話。

2009-02-25 00:03:53 | ◎想
新潮社の次ぐらいに買ってるかな、講談社の本。雑誌。最近なら書籍だと『ポトスライム…』、『マルクス その可能性の中心』、『探求Ⅰ』…『袋小路の男』『あやめ 鰈 ひかがみ』あれ?あんまり買ってないな。書き下ろし100冊ってのも、まあ平野啓一郎は買うだろうけれど、なんだか冴えないラインアップだ。
でも、マンガは、だいたい講談社だなあ。『バガボンド』、『ディアスポリス』、『ジナス』、『少女ファイト』、『新しい朝』…『レッド』もね。きっと『BILLY BAT』も買うだろ。小学館とか全然ダメだもんな、俺的には。
あと雑誌は、まあ『群像』は3ヶ月に一度ぐらいは買ってる。最近は、『COURRiER Japon』っていうのも、ようやく面白さが感じられるようになってきたので、この3ヶ月は連続で購ったりしてる。あ、『群像』の連載陣を考えれば、阿部和重とか龍の本、ひょっとしたら宮本輝の骸骨なんとか、ってのも買うかもしれんなあ。いずれにしてもこういうのが縮小されちゃうと、まあ楽しみは減る。ミクロな話だけれど。

べつに書籍自体は、この1年ぐらいで激減ってわけでもないだろうから(実際は7.9%減らしい)、やっぱり雑誌のしくみとか、エンタメ系に端を発するサイドビジネス系の不調なんだろう。映画とか。アニメとか。しかし、イヤな感じのシステム崩壊だなあ。なんだろう、雑誌は、いわゆる原点のようなものにもう戻ることはできないもんかなあ。それは言うまでもなく『暮らしの手帖』に戻るってことになるんだけれど。高給とりが多くてやっていけないんだろうなあ。『群像』はそもそも運び屋じゃないので別だけれど、『COURRiER Japon』なんかは、特集さえよければあと300円ぐらい値上げしても買うよ。このあたりは、『BRUTUS』とは違うな。あれが800円とかなら相当きつい。
しょうもないもんが小賢しく残って、筋はいいんだけど愚直で要領が悪いのがむなしく消えていく。そんな世界は、きっとダメだな。

◎commitment

2009-02-19 21:59:42 | ◎想
かかわること。そして、約束すること。
理想といわれていたものが、空疎な暴力に過ぎなかったことへの大いなる絶望。そこから続く、決意にも似た超然と孤立、無関心。
「書く」ことによるゆるやかなリハビリテーション、先の見えないプラクティスをただ紡ぐだけの毎日。
もう二度とかなうことはないと思われていた恢復は、ふたたび現れた理想、しかしもはや理想ともいえないくだらない虚構に縁取られた絶対悪を目の当たりにしたときにようやく動きだす。心を研ぎ、耳を澄ませることで初めて聴くことができる、そのささやきに、かかわること。そして約束すること。ていねいに。じっくりと。この軌跡こそが、人間の普遍そのものだ。すばらしい。
初夏の楽しみがまたひとつふえた。

●Always on the side of the egg | Haaretz
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html

● Murakami, in trademark obscurity, explains why he accepted Jerusalem award | Jerusalem Post
http://www.jpost.com/servlet/Satellite?cid=1233304788868&pagename=JPost%2FJPArticle%2FShowFull

● 村上春樹:常に卵の側に|anond.hatelabo.jp
http://anond.hatelabo.jp/20090218005155

● 村上春樹のスピーチを訳してみた(要約時点)進化版|しあわせのかたち
http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20090216/1234786976

●壁と卵|内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/2009/02/18_1832.php

●村上春樹のスピーチ|カフェ・ヒラカワ店主軽薄
http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/diary/200902180000/

●村上春樹、エルサレム賞受賞スピーチ試訳|極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/02/post-1345.html

●2009-02-16 私はあなたの小説を読んだ|東京永久観光
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20090216

●壁と卵|池田信夫
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/26ca7359e6d2d15ba74bcdf9989bee56

●常に卵の側に(ハアレツに寄せられたコメント)|anond.hatelabo.jp
http://anond.hatelabo.jp/20090218205723

◎眠る。食べる。飲む。

2009-01-03 02:25:07 | ◎想
いくぶん気分がすぐれなかったので、外から帰ってきて午睡をとる。16:00ぐらいから、枕元にあった『西洋哲学史』を眺めていると、やはりくたびれていたのだろう、あっという間に眠りにおちる。一時間ぐらいでいったん目覚めるがどうも回復していないようだ。奇妙な夢の続きをみながら18:00ぐらいまでもう一度眠る。たっぷりと時間をとったわりには、全体的に眠りが浅く、どうも本調子じゃない。風邪気味だったので飲んでいた薬の影響だろうか。それでも、実家で食事の約束をしていたので、むりやり体を起こす。
予定されていた夕餉は、すき焼きで、この年齢になると牛肉は、きっと消化・分解にエネルギーが必要なのだろう、その食後の疲れを考えるとどうも気分が重い。いや、上等な肉なので確かに旨いことは旨いのだが、だから調子にのってビールをがぶがぶ飲みながら次々と投入されてくる肉をかきこんでいると、やはりしんどくなってきた。やめときゃよかったと悔い、いいかげんのところで箸をおく。
しかし、食べ終わって一時間もすると、だんだん気持ちがよくなってくる。そればかりではなく、なにかが漲ってくるような兆しすら感じる。
そして、いま夜中の二時。体は完全に復調した。たっぷり眠る。たっぷり食べる。たっぷり飲む。この基本が、生きていくために大切なことだ、とあらためて悟る。

◎fountain of music、fountain of joy

2009-01-01 02:38:44 | ◎想

2008年はいわゆる大御所といわれるようなアーティストがすばらしい音楽を考えてくれました。New Year's cardに挙げた、“Modern Guilt/Beck”、 “Time The Conqueror/Jackson Browne”、“Viva La Vida or Death And All His Friends・Prospekt's March/Coldplay”は、その音楽の泉のほんの一部に過ぎません。年の後半には幸運にも、“Everything That Happens Will Happen Today/Brian Eno & David Byrne”、“The Age Of The Understatement/The Last Shadow Puppets”といった、私の新しい趣味を拓くすばらしい音楽に出会うこともできました。いまさらながら目覚めたNeil Youngを深めていくという愉しみも加わりました。もちろん、Jackson Browneの久しぶりのジャパンツアー、斉藤和義のライブハウスツアー“歌うたい15<16”も大いなる豊かさを与えてくれました。
そしてJohn Mellencampの“LIFE DEATH LOVE AND FREEDOM”。これはまったくの盲点で、あわや聞き逃してしまうところでした。混乱の2008年を締めるにふさわしい静かで強い希望がそこにはあります。

Life is always in motion
New People to count on
Here we find a purpose
To sing a brand new song
Brand new song
Sing a brand new song
(A BRAND NEW SONG)

そして2009年。おそらくその希望を受け継ぐ、私の音楽の泉の最初の一滴は、“Working On A Dream”。Bruce Springsteenが新しく始まろうとしている世界を讃えます。そう、世界は新しく始まるのです。歓びの泉を満たすために、今年もたくさん水を飲み、ゆっくり、そしてしっかり歩きたいと思います。

◎たまにはつぶやくよ。

2008-12-24 01:10:44 | ◎想
消費活動の目録を、あっちでつぶやくようになったら、こっちで書くことがなくなってきた。なんか80年代の代表的日本人のようでさびしい。情けない。
しかし、渋谷の街は、ほんとうに消費しているかどうかは別として、消費っぽいもので成り立っている。それが証拠に、東急フードショーでは、聖なる日を前に、いったいこのデパートには何匹の魂が浮遊しているのかと、恐ろしくなるような数の鶏の残骸がならんでいた。中華丼も鶏ステーキ入りだ。
地上では、黒いスティックバルーン(あの応援するときに2本あわせてバンバン鳴らすやつね)をうれしそうに振り回している人がやけに多いなあ、と思ってよくみたら3本のラインが入っていて、どうやら有名なスポーツウェアのお店がオープンしたようだ。なんでも、このお店しか売っていないようなブツを売っているらしく、まあモノの割りにはけっして安くはないんだけど、鬱陶しいほどピカピカなショップは紙袋を誇らしげにもった庶民たちで相当にぎわっていた。
CDとかDVDなんかを大量に売っているお店は、どれもバーゲンで、「2枚で20%OFF」とか「3枚3000円」とか「3枚なら25%OFF、2枚なら20%」とか「今日はポイント3倍」とか「2倍」とか、損得勘定のバラエティ、というか罠に富んでいて、暗算じゃとうていズルを見抜けない。トラップにつられた俺のような人間で店のなかは朝から大賑わいだけど、まあ売れてない売れてないというてるから、ほとんどは冷やかしなんだろう。
たしかに消費はしたいし、してほしい。でもこんな小粒じゃだめなんだろうな。



こんな時代こそチャンス?いいたいのはわからんでもないが、「チャンス」という発想にぷんぷん漂う一攫千金のもくろみじたいに、まだ懲りてないやん、と思う。「創って、作って、売る」とは三枝匡のけだし名言。こんな時代こそちゃんと創って、作ろう。これがいちばん。

そんなことを考えながら、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』、『強欲資本主義 ウォール街の自爆』、『ビジネスに「戦略」なんていらない』などを消費する。

あ、ヒマラヤだかエベレストだかに行くソフトバンクのBGMは八甲田山だな。あれは結構いい映画だったな。なるほど北大路つながりか。

◎ブックオフの匂い/ヘイヘイマイマイ/筋肉痛。

2008-11-29 00:45:06 | ◎想
最近は忙しくってブログも更新できないよなあ、って自分が段取りの悪いペケ社員ですって言ってるようなもんですよー、なんてさらりと書きたいのだが、最近は忙しくってブログも更新できない。

なにが忙しいのかというと、まずブックオフだ。渋谷の宇田川町にできたので毎日中毒のように通いつめている。いや、それは言い過ぎで、夜の11:00まで開いているといってもさずがに毎日はムズかしく、行ったときについつい8時間ぐらいうろうろと逗留してしまうとかそんな感じだ。まあ、これも言いすぎか。しかし間違いなく寝ても覚めてもブックオフのことが頭から離れない。ブックオフの香りの消臭力がつくれないだろうかとか、作家別・出版社別の棚のインデックスのレプリカつくったら売れるんじゃないだろうかといった、ブックオフの新しいビジネスモデルなんかも企画している。楽しい。

きっとあれだ、本がものすごい勢いで流通していて、行くたびに発見があってうきうきするからなんだろうなあ。たとえば、100円単行本の棚が、さっきあんなに執拗に見ていたにもかかわらず、ちょっと海外文庫なんかを見にいっているその隙に、ガラッと様変わりしたりしている。なんか、馬糞に生息するある種の茸の成長をみてるようで、このあたりのスピードは気色悪いが、たとえばABCのような新刊書店と比べると、まるで勝間和代とおれぐらいの差があるというのは評価されるべきだろう。ちなみに、勝間和代がすすめるようなお役立ち本も、同じのが数10冊単位でラインアップされているので、ブックオフは勝間和代だ、といっても過言ではないだろう。

まあ、勝っちゃんの話はいいとして、だから、100円落ちてないかなあといった気概で、100円棚をひととおり「あ」から「Z」まで眺めおわったあと、「世の中にはあるのは糞のようなムダな本ばっかりだ!」なんて腹立ち紛れに、もう一度ちらりと「あ」を見ると、あれ、さっき「あ」見たっけ?こんな本なかったよなあ、ってなことになり、もう一度「あ-Z」を繰り返していると、あっという間に時間が過ぎる。
そんな具合で、先週は、『沖で待つ』、『古道具 中野商店』、『もののあはれ』、『だいたいで、いいじゃない。』なんかに@100円を投入する。いまどき、400円じゃカップヌードルも食えないことを考えると、これはずいぶんお得な買い物といえるので、ぜひ 読字障害のプライムミニスターにもおすすめしたいところだ。

つぎに忙しいのはニール・ヤングだな。ご近所に大量にアナログ盤をお借りしてしまい、プレーヤーでとっかえひっかえ聴いているうちに完全に覚醒してしまった。いまさらか、ばか者といわれようとも、いいものはいい。で、どんだけアルバムだしてんのかなあ、と遡行して調べると、よくわからんぐらいでている。よって、今度はTSUTAYAに入り浸ることになる。入り浸ったからといって、道行く兄ちゃんに「ニール・ヤングっていったら、どれっすかねえ」なんて訊く勇気もないので、結局、これがグレイテストなヒットですよと書かれたやつを中心に数枚を借り受ける。そして、“Southern Man”“Like A Hurricane”“Down By The River”“Broken Arrow”といった歌を、すべての雑事を忘れただひたすら聴く。そんなんだから、ジャクソン・ブラウンのライブでも、あやうく“Hey Hey My My (Into the Black)”なんかをリクエストしそうになってわれに返る。ま、リクエストしたら演ってくれたかもしれないけど。というか、ベビーブーマーのおっさんじゃないのでそもそもリクエストしないけど。

さらに、この忙しさにYOGAが輪をかける。YOGAといっても広末涼子がお茶飲みながらやるような、ぬるいのではなく、いわゆるパワー系と呼ばれる酷烈なやつだ。グーをパーで押さえてかがめた腰にあてるようなやつ。その名もYOGA×Marshall Arts。インストラクターの愚礼石さんは、名前を見る限りきっとどこかの格闘家の末裔なんだろう、異常なまでにストイックで、レッスンが始めてだと謙虚に挙手したおれにもストイックなポーズを強要する。数分すると、いままで体験したこともないような成分の汗が流れ出て、ちょっと心配になるが、それでも終わったあとの爽快感と気だるさはなにものにも変えがたい。最近ではちょっとした合間を見つけて、駅のホームなんかでもポージングして、「そんな危ないのは家でやってください」と注意を受けるのがなんとも腹立たしい。ついでにいうとSLIM BOXINGといったプログラムにも参加しているが、こちらは、中学生の頃から丹下段平の「あしたのために」で、学習し続けていることもあって、そのえぐりこむように打つジャブには、インストラクターも一目おいているようにみえる。フットワークとダッキングにより、トレーニングの1日後にもたらされ数日間持続する激しい筋肉の痛みさえなんとかなれば、ちょっとした選手としてやっていけるかもしれない。

あとはあれだな、こんなようなブログのネタを考えながら家路につくので、ついついボーッと曲がる辻を通りすぎてしまって、夜中の松涛の迷い道にはまり、ただでさえ遅い帰宅が丑三つ時になってしまうことも多い。忙しいときに、これは大いなる痛手だ。

そんなようなことで、だいたい週に3時間ほど時間がさかれてしまって、結局、いろいろと軋みがでてきて二進も三進もいかなくなる。あんまり忙しいのも考えのものだ。いちど、勝間和代に指南してみるべきだろうか。つーか、なに書いてんだ、おれ。

◎やっぱり野球だ。

2008-10-23 01:01:09 | ◎想
セントラルリーグのクライマックスシリーズの第一戦。WEBのライブ配信とスポルトでしか見ることができなかったけれど、これはほんとうにいい試合だったと思う。残念ながらジャイアンツが負けてしまったので、ふつうなら、CSってなんの意味があるんや、とか悪態をついてしまうところだけれど、このカードについては、お互いにひとつの目的に向かって充分に力をだしきったと思えるし、なによりジャイアンツにおいては、若手、伏兵の活躍もあり、勝敗なんてどうでもよくって、あらためて野球そしてスポーツの面白さを感じることができた。

調子のよくなかったグライシンガーを救った西村。山口の継投も見逃せない。すばらしいプレーを見せながらもファーストを刺せなかった坂本のフィールディング。ここ一番でベテランの力を発揮した、木拓、谷。凡退してしまったとはいえ、ゲームを最高に盛り上げた由伸。そして、敵ながら根性を見せた中村紀。アルコール7度の新しいビールのせいとはいえ、それぞれのプレーに目頭が熱くなる。

そして、パシフィックリーグ。とりたてて贔屓のチームがあるわけではないけれど、やはり優勝したチームの歓喜をみるのは気分がいい。とりわけ、ライオンズは新生というイメージもあり、たとえばデーブの喜びようなんかをみていると、ああほんとうにがんばったんだよなあ、とたたえたくなる。

これこそが、生きているという実感。野球はほんとうに面白い。
だからこそ、WBCも屈託なく楽しませてほしい。星野だって、原だって、野村だっていい。イチローも、松井も、上原も、ダルも、涌井も一丸となって、ザ・ベースボールを見せてくれ。

◎ドゥマゴ文学賞対談。

2008-10-07 22:18:13 | ◎想

中原昌也と高橋源一郎の対談は、もっとグダグダになって20分ぐらいで終わっちゃうかもしれないなあと予想していたけれど、そんなことはなく、対談としてはかなりうまく運んだようにみえた。よくわからないけれど、話を聞く限りでは、中原昌也のメンタリティがずいぶん安定していたからなのだろう。もっとも、何を話していたかといえば、まあなんの役にも立たない与太話で、しかも、無言の間を恐れるかのように、高橋源一郎が、脈絡なく話題を変えていく、といった具合なので、テレビのプログラムのようにただただ楽しむというのが正解。

中原としては『作業日誌』を最後として、すべての文筆活動から退くということだ。対談でも、諸悪の根源は文筆活動であると呪いの詞を繰り返していたけれど、この真意は、じつはよくわからない。なにもそこまでいわなくても、という感じだ。しかし、日記のように内容を偽装できるようなものは別として、(彼が自由にほら話をかけると考えていた)フィクションにおいては逆説的に内面を絞り出さざるをえず、そのことが、つまり自分や自分と他者との関係を曝け出すことが、きっとやさしい男にはつらかったのだろう、とも思う。

そう、彼はやさしい男なんだ。書かれたものを読む限りは、付き合うことがはばかられるような人間にも思えるのだが、実際の話しぶりを見る限りは、そんなことはまったくなく、世界中から聴こえるささやかな声をできるだけ多く集めて、それらへの敬意と救済を大切にしようという思考回路を無意識のうちに持つ人間に思える。対談では、「CDやDVDを大量に買い込むのは知識欲」といっていたが、やはりそういうことだったんだ。固有の感動、固有の痛みを、理解するかどうかは別として認識したいという欲。これがわかっている人間が発信の筆を折るというのは残念だけれど、そんな人間だから書けないというのもよくわかる。いろいろ考えすぎて、最後は面倒くさくなっちゃうのだろう。もしくはすべてを受け入れて、傷つき、泣いてしまうのだろう(書いている小説からは、概念としてのマイノリティの痛みしかわからないけれど)。世界の全体をおおむねのところで良しとするか、仔細なところまで徹底して入り込むか。面倒くさいけれどやり続けるか、萎えてしまうのか。つまり俯瞰と愚直の壁がどこかにあるということかもしれない。

しかし、こういうのを書かれるのがいちばんヤなんだろうな。バカにしやがって、とか悪態つくにきまってる。

◎夏休みログ。

2008-08-15 00:01:20 | ◎想
この夏は、がんがん寝っころがって、ぐんぐん本を読もうと思っていたけれど、そうはいかないしがらみ。
仕事に家事に行事に些事と、いつもの事に北京が加わる。飽きもせず空の写真なんかも撮ってるし。よって、これもまたいつものように、溜まっている本がいっこうに消化されない。一冊ぐらいは読み通して、しっかり批評したいもんだ。(数字は進捗率)



『宿屋めぐり』町田康:6%
6%の段階で、一発クライマックスがあってすでに条虫の腹ン中ってのがすごい。きっと、こんなに長い話になるなんて後先のこと考えずに展開したんだろうけれど、そんなふうにスタートを切ってしまった話を、石ヌとか珍太とかこの世の中に仰山いる本質的な悪玉でぐいぐい引っ張って、挙句の果てに600ページに達するんはまさに既知外沙汰。ちゅうか、6%程度なので本質的な悪玉かどうかはわかんないけど。
しかし、町蔵がずっともち続けている、この世界以外にある世界という観念、それがおれには観得ているという確信は、多かれ少なかれ誰もが感じているわけだけど、言語化するとこれほど凄まじい阿呆物になるわけなんだな。世界と自分と他者に対する高い水準の思弁。6%なんでそんな話になっていくのかどうかもわからないけれど。

『われらが歌うとき』リチャード・パワーズ:12%
いまここはまぎれもなく歴史の先端であるということの大切さをしっかり刻んでくれる。「抜群のリーダビリティ」は過言ではなく、前にも言ったようにまるでアーヴィングと見紛うばかりのストーリー・テリング。そして、音楽は素晴らしい。

『ディスコ探偵水曜日』舞城王太郎:0%
下巻の完結編から読めばよいような気もするが、おおむねのことは忘れていると思われるので、順を追う必要がある。ログによると、ずいぶん検索アクセスが多く、なんだかんだいっても舞城の人気の高さがうかがえる。ところで、もう舞城が執筆することはないだろう『ファウスト』が、1年以上も遅れてようやく発売されているが、あんなに待ったのに、実物を手にしたところでこれはもうおれの読む雑誌じゃないやと思ってそのまま棚に戻した。いったい佐藤友哉はなにをぐるぐる回ってんだ、というところか。

『ゼロ年代の想像力』宇野常寛:80%
個々の話には納得できる部分が多いが、統合してみた最終的な結論のひとつがコミュニケーションというのは、なんとなく無理から感が漂う。あとがきの献辞・謝辞に並ぶ人たちをみる限りでは、どうもコミュニケーションについての拡大解釈があるんじゃないだろうか。あいかわらず、全体的に、(サブ)カルチャーへの愛情が漲っていて此岸の人間にとっては、読んでいて気持ちいい評論に仕上がっているんだから、吹っかけて、相手を無理やり巻き込んでいくっていう強引な方法はもう取らなくてもいいんじゃないか、と思う。

『閉塞経済-金融資本主義のゆくえ』金子勝:30%
朝日のサンヤツの増刷告知で発見。なんだか、もやもやしていることに、解答を与えてくれることに期待はできないとしても、正しいアイデアは示されているのだろう。とりわけ「構造改革の経済学」と「格差とインセンティブの経済学」。身近な人たちが、なんの疑念もなくピュアに経済の発展を讃えているので。

『社会学入門-人間と社会の未来』見田宗介:2%
06年の本なので古書を探していたけど、あきらめて新本で。私がこういった本を読みたいと思うモチベーションをもう少し明確にするために。

『ニーチェと哲学』ドゥルーズ:0%
こればっかりは、いつ読み始めることができるのかまったく予想できない。老眼が加速する前に、なんとかしたいと思う次第。

『バガボンド』井上雄彦:#24,#25,#26,#27,#28
ブックオフでも古本市場でもなかなか見つからないので、#19~23は飛ばして、つまり清十郎の話は飛ばして、凄まじい後半を先に読む。人間が単純なので、すぐに武道なんかに関心をもってしまう。これまではどうも格闘的なスポーツは苦手だったんだけれど、合気道の演舞を見たり、『バガボンド』を通して読んだりしているうちに、そこで手に入れることができるコンセントレーションがとても気になってきた。

■『AERA 08.9.18』:70%
「女性こそがローソンの開拓者」:ダイエーが経営母体だった頃、新浪体制に移った直後。思えばローソンをずいぶん批判してきた。実際に、その頃のローソンは、相当ひどかった。欠品はあるにもかかわらず、配荷された大量の商品や在庫が通路をふさぐ。店員に漂う適当な感じ。もはや客商売とはいえない乱雑。しかし、あれからローソンはずいぶん変わった。店だけでなく商品にもアイデアが満ちている。コンビニ研究の大家が言うのだから間違いはない。記事で紹介されている女性スタッフの自律的な活躍は、ローソン全体のほんの一部に過ぎないと思うが、そういった話が記事になるほど社内が変わったということなんだろう。この記事でわかった重要なことがあるが、それはここで書くような話ではないので、自分の胸に収めてしっかり鍛錬していこうと思う。
「サザン 終わらない夏」:きっとサザンオールスターズとしてはもう音楽活動を復活させることはないのだろう。こういった桑田のインタビューを読めば読むほどその思いが強くなる。そこまで露骨にモニターを見なければ唄えない桑田はあまりにも歳をとりすぎた。

『歌うたい15』SINGLES BEST 1993~2007斉藤和義
アルバムとは違うバージョンの曲も結構入っているので楽しめる。

『"HOME" TOUR 2007~in the field~』 Mr.Children
昨年のライブからもう1年になるんだ。しかし何度みても、イマジン~CENTER OF UNIVERSE~Dance Dance Dance~フェイクの流れは素晴らしい(DVDでは途中で切れていたけれど)。やはり、音楽はこうでなくっちゃ。

明日から東京。

◎青空。

2008-08-14 00:23:05 | ◎想
まぎれもなく、わたしが子どもだった頃の夏の空。
人も社会も、少なくとも表面上は鈍く、イノセントだった。





そして、世の中は変わった。
金貸しは、自分たちの利益を削って大金を投じた宣伝で「ほんとうに今お金が必要ですか?」と、困っている消費者のことを親身に考えてくれる。渋谷のど真ん中では、タレントのブログが多い会社が誇らしげに看板を出してまでして、総表現社会の民のための場を盛り上げてくれる。
ああ、世界は素晴らしい。

◎おいおい。

2008-07-31 19:30:48 | ◎想
せっかく大枚はたいてあげたのに。


先週も、『ゼロ年代の想像力』とか『ディアスポリス #9』とか『レッド #2』とか『Monkey Business 眠り号』とか。せっせと貢いだわけですよ。あ、『PLTOU #6』は、夜中の早売りローソンで買っちゃいましたけれど。
まあ、今回は、ABCが悪いってわけじゃないみたいだけれど(前回もか)。ただ、総合書店としての完成度は、渋谷なら1stのほうが圧倒的に高いってのも確かだ。もう少しビジネス関連に力を入れてほしい、と思うしだい。あと、充満感が足りないな。
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ところで、パワーズの『われらが歌う時』は10ページほど読み進めてみると、そりゃそうなんだけれど、装丁の手触りと相俟って、どうもアーヴィングの『また会う日まで』とかぶってくる。もちろん、そんなふうに一筋縄ではいかないと思うけれど、「圧倒的なリーダビリティでお届けする」という、妙ちきりんな惹句が気になる。

◎なんだかなあ。

2008-07-27 19:55:14 | ◎想
高校生の娘は、今日も部活に行っている。きけば、夏休み中もほとんど毎日らしい。運動系のクラブで、ぼくが学生の頃の経験していたような厳しさとは無縁のようだが、それでも酷い暑さが続く毎日、顔と身体と魂を突き合わせていると連帯のようなものがうまれてくるだろう。それこそが、仲間というものだ。

そこにあるのは、ベタではあるが"One for all, and all for one" のビヘイビアだ。いわゆる体育会系の組織には功罪はあるが、このことを惑うことなく純粋に信じることができるようになり、物事の考え方のデフォルトとして埋め込まれていくという部分は大きな功だと思う。

もちろんこれは体育会に限ったような話ではない。邪な利害のない目的、目的に向う行為だけが報われればよいといった穢れのない目的に向う集団体験を通り過ぎてきた人なら、この感覚をなんとなくわかってもらえるんじゃないかと思う。いや、あまりにもデフォルトになりすぎてピンとこないかもしれない。

しかし一方で、"One for all, and all for one"の精神は、問題がないわけでもなく、それは「同じユニフォームを着た瞬間に」という断り書きがつくところだろう。ともすれば、排他性や好戦性をきわめ、争いと暴力の火種をつくりだす。救われるのは、もし正しく覇を競えたらなら、そのあとは、互いを同じ種の人間であると認め合えるようになりえるところだ。ユニフォームを交換する、というのはそういうことだ。

集団のなかでこういったことを繰り返し垣間見ていると、社会的なドメインはともかくとしてどれだけ敵対していても同じユニフォームを着れる人間かどうかは、感覚的にわかってくるし、自分が同じユニフォームをまだ着ていてよいのか?それとも脱ぐべきタイミングなのか?そして、そのときの潔さ、慎ましさなんかも身についてくる。これも大切な話だ。

しかし、こういった身体的体験・思考体験を悟ることのできなかった人が、"One for all, and all for one"を勝手な拡大解釈で振りかざすといまいちなことになる。自分の肥やしとしてだけに「all for one」を発動させ、それが巧くいくように「One for all」風を装う。「この集団・社会をよくするためにやっているんです」と聞こえはいいが、よくよく突き詰めてみると他者を巧みに(そうとは悟られないように)活用した自分の収穫のことしか考えていない。ずっと「One for all」でやってきたんだから、すべての人間がおれを囲む仲間であってしかるべきなんだ、と。無自覚どころか、むしろ善きことと勘違いしているのが、またやっかいだ。