そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

8月19日(金)終日輪読会

2011年08月19日 | 公開

 朝食後、合宿の総括を行ない、チェックアウト。叡電の修学院の駅のところで解散する。比叡山へと向かう人々、太秦へ行くという人と、皆それぞれ。私はといえば、昼食用のサンドウィッチを買ってから、B大へ。11:00から輪読会なのだ。

 K教授の研究室へたどり着き、ドアを開けたら、K先生がゼリーを召し上がっていた。セミナーハウスで売っていた「もみじの天ぷら」をお土産に出す。

 秋に出版する予定の注釈の上巻についての作業も行ない、17:30までみっちり輪読を進める。「下紐」が問題となり、大いに笑う。「夜もすがら妹が結べる下紐」を、歌学書の言説から、担当のAさんが「下紐を結ぶ」という行為を反復すると解したものだから、そんなことはあるまい!と指摘。ずるずるズロース(古い!)が何度もずり落ちるような話になるものかは。要するに、一晩中彼女が下紐を解かなかった…ということになるはずだよね。う~ん、結構きわどいかも。しかし、お題自体がきわどいわけで、こういうのが俊成はイヤだったのよねとのK先生の一言に、一同うなづく。「下紐」の歌は皆××××さんの担当にすればよかった…と言われた。(汗

 そういえば、昔々、高校に勤めていた時、定期試験の監督をしていたら、当時の同僚で現在S女子大教授のO氏(ねこさんがお世話になっている)が、「解くる下紐」に傍線を引き、現代語に訳せという問題を出していたので、吃驚仰天したことがあったよなあ。高校で『とはずがたり』なんぞ教えんなよ。生徒どもは、「脱げるパンティ」とか訳していたっけ。こりゃ完全なセクハラぢゃあ!(まあ、男子高だったけどな)

 さてさて、19:00過ぎの新幹線の指定席を取っておいたので、男性陣もタクシーで京都駅へ向かう。お土産に今回は、「蓮月せんべい」と、その名のゆかしさに「鳰の浮巣」をもとめる。後者は無名抄ですかな、輪読テクストの作者にもいささか縁あることだしね。

 新幹線は定刻に発車したけれど、途中の大雨のため30分ほど到着が遅れた。西へ向かったNさんは大丈夫だったかな?

 東京駅のサウスコートがまだ開いていたので、行きにつまみとして買ったらあまりに美味かった「焼きカシューナッツ」をもとめる。


8月19日(金)能舞台あり茶室あり

2011年08月19日 | 公開

 昨日は修士課程の院生の発表を5本と、リハーサル?を1本と結構ハードであった。セミナーハウスに缶詰となり、三食ともに館内で摂る(缶詰食ったわけではない)。夜は酒盛り。22:00前には眠くなったので、自室へ戻ったら、そのまま寝入っていた。明け方、野もせの虫の声が聴こえた。やはり秋は到来している。

 ここはなかなか充実した施設で、移築された能舞台が会議室として使われている。

 茶室もある。「清心庵」というのだそうだ。いかにも基督教関係施設らしいお名である。

 

 さて、セミナーハウスには同日程で、蜜蜂大学高等部の合唱部が合宿をしておいでになる。食事の時に一緒になるが、合唱の練習をしている風ではない。??? 蜜蜂大学は同居人の前任校で、N教授にはお世話になっているし、ねこさんも大学へ教えに行っている。中等部高等部の図書館にはAさんが司書として勤めているから、もしかしたらご存知かも。ご挨拶してみるかな。


8月17日(水)大学院の合宿

2011年08月17日 | 公開

 今年の合宿は関西ということになった。ここのところ、隔年でそういうことになってきた。15:00現地集合で、早めに出かけ、3軒ほどお店を廻る。本当はまだお盆休みで閉めておいでだったが、駅から電話してわざわざ開けていただいた。

 飛鳥井家関係のウブなものが一括で入ったとのこと。雅章の一首懐紙と、竪詠草をいただく。この竪詠草(金8,000円也)が実に面白いシロモノで、三題の草稿なのだが、本紙の裏に続きが記されている。そのほか、屏風剥がしの短冊や古筆切も若干出ていた。心魅かれたのは智仁親王の七夕の詩懐紙で、表具もとてもよろしいものであった。

 出町柳から叡山電車で修学院下車。きらら坂のほうへ歩いてセミナーハウス着。

 一番乗りはTさんだった。詩仙堂や曼殊院をすでに参観されたとか。曼殊院では和歌資料が展観されていたというから、明日行ってみよう。


8月14日(日)茶碗フェチ・コレクションの一部

2011年08月14日 | 公開

 午前中はまた、お点前の割り稽古を見てもらう。鏡を見ながらやればよいのだろうが、自分の体の動きがよく分からないのがもどかしや。富士釜、一体いくらだったの?と尋ねたら、1万もしなかったそうである。こ、これがン千円かよ! 道具屋にも目の無い店があるということか?

 ウチには風炉・釜がないんだよねと愚痴を言えば、あたしゃ本を積んでその上に薬缶を載せて稽古したわいなと言われた。無いは無いで工夫次第ということだな。

 それで、老母のコレクション?の中から、よいなあと思っているモノを一つ、二つ。

 

  対州窯らしい。農地解放の時の農業委員をしていた関係で、老母の養父(私が名乗りの一文字をもらった御仁)が、有沢家から頂いたものだとか。

 亡父が気に入っていたという萩焼の小服茶碗。

 五代漆壺斎作の薬器形薄器。これも老母が養父かもらったそうな。漆壺斎は奇数代がよろしいのだとか。

 15:00に駅前から空港連絡バスに乗る。その前に、山本おたふく堂の「ふろしき饅頭」8個入り500円也を買う。松江では駅のキヨスクでしか売っていない。飛行機は出発が少し遅れた。

 昨日出した荷物はもう届いていた。夕食後、刷毛目茶碗を取り出し、「ふろしき饅頭」で一服。


8月13日(土)我が故郷3

2011年08月13日 | 公開

 従兄にあたるT宮司に電話したら、実家に立ち寄ってくれるというので、挨拶に行かずに済んだ。お土産をお渡しする。来年は古事記1300年で、それにむけて和歌碑を建てる計画を考えているそうだ。なにしろご祭神はシタテルヒメノミコトだからな。松江駅にも近いから、パワースポットになったら人が押し寄せるかもしれない。碑文を書いてよと言われたから、私でよければお安い御用と返事しておく。

 墓に灯をともしに行き、迎え火を焚く。その時、蝉が鳴くとお盆さんが来られた徴なのだが、今年もアブラゼミがジジジ~ッと鳴いた。

 夕食は鰻にしめ鯖と、お盆にしてはちと生臭い。右下は糸瓜の和え物、右上はアボガド。食器のレベルはなかなか高い。老母とビールをガンガン飲んで、私は石見の冷酒を1本空けた。

 実家はなにしろ、情けないほど狭いのだ。よくぞまあここに、かつては家族四人が暮らしていたものだと思う。私の部屋だった三畳間は、今では完全にクローゼットと化した。竪町の道具屋の店先で、買って買ってと呼んでいたとかいう安物の富士釜を見ながら、ご就寝だ。鐶付は茄子の形で、正月でもないのによい夢が見られそう。鷹はどうした?とご心配の向きがあれば、炭手前の羽箒に鷹を用いる趣向となっているわけだな。

 


8月13日(土)我が故郷2

2011年08月13日 | 公開

 氷水で抹茶を点ててもらう。茶碗は蓮月の和歌入りだが、どうも元来の平茶碗というのではなさそうだ。ちと小さ過ぎるし、歌も季節が合わない。刷毛目の茶碗を1つ頂戴する。

 新しく出来た「松江歴史館」へ行ってみる。実家(柳多脇通りの北に面している=つまり朝日丹波の屋敷の端?)のすぐ近所で、日銀の支店長さんの公舎の跡、というか、かつての乙部家老の屋敷跡に出来た施設である。住民は居なくなり、駐車場ばかりになって、こういう施設ができ、観光客を呼んでいる。「過疎」の象徴みたいな建物だわなあ。展示はなかなか面白かった。三畳台目の伝利休茶室も覗けるが(「伝」というのはウソということだがね)、中に入れてくれたらもっといいのに…。

 敷地内の池?に出雲ナンキンが泳いでいた。これはなかなか見事である。しかし、この暑いのに日向で大丈夫かいな。もし大量死でもしたら、ナンキン大虐殺と言われちゃうかも…。

 車で野菜を買いに出て、昼は蕎麦をたぐることにした。しかし、、「ふなつ」は休みで、「きがる」は駐車場が満車だった。「一色庵」に車を停めることができたので、暖簾をくぐる。大将にご挨拶。床に広隆寺牛祭りの摩多羅神と赤鬼青鬼の面の絵が掛かっている。こりゃ珍しいねと申し上げると、これが分かる客は滅多にないそうだ。

 

 割子を5枚食べた。時期のせいか、ちいと香りが乏しかった。


8月13日(土)我が故郷1

2011年08月13日 | 公開

 老母は4:00には起きてゴゾゴゾし始めるものだから、早朝ひとりで散歩に出る。城内で胡桃の実を拾う。ごく小さな鬼胡桃がいくつか落ちていた、手慰みにちょうどよろしいので、少し磨いて、欲しい方に差し上げよう。

 かつては県立図書館などがあった場所である。大きなクスノキだけが子どもの頃と変わらず聳えている。

 朝食は「べべら飯」と「冷やし蜆汁」。貝づくしですな。到来物で食材には困らないそうだ。


8月12日(金)お盆の帰省

2011年08月12日 | 公開

 同居人と駅で買い物をし、昼食を摂ってお茶を飲む。お菓子は鶴屋吉信の「ほおづき」にした。

 江戸風俗?の等身大人形がディスプレイされていた。さて、改札を入り西と東に別れる。岡山駅に着くころ電話してくれるよう頼む。案の定居眠りをしていた。剣呑、剣呑。走って「やくも」に乗り換え、17:00実家着。

 さっそく仏壇を拝し、神棚をおがんで、老母に土産を渡す。寝室は例によって茶室。空味の茶碗を買っちゃったと話すと、ウチには芋頭の水指があるわよと言われた。県立博物館が買い上げた残りをもらったのだとか。空郷さんは上手いと母は言う。では安いうちに買っておくかな。「空郷」の号は万寿寺の方丈様がお付けになったそうである。何でもよく知っているなあ。

 老母はいわば「茶碗フェチ」である。床の間はむき出しの茶碗だらけ。地震でもあったらどうすんの?と思うが、松江にはあんまり地震は無い。だから原発への備えも疎かなのだろう。実家は島根原発からほんの10kmほどにある。(震


8月11日(木)公演へ行く

2011年08月11日 | 公開

 以前からネット上で、伊藤明美作の汐景茶碗はすてきだなあ思っていたので、出品されている陶人展を見に行った。まあ、猛暑の中で塩笥もないだろうが…。

 会場を出て橋を渡ると、金魚屋さんが出ていた。うわ~、こんなお店久しぶりに見たぞ。結構売れているようだ。

 18:00から伝統文化の公演へ行く。開場の17:30の少し前に着いたらもう長蛇の列。前のほうにWさん母子のお姿が。ご挨拶を申し上げる。KZ大学のS先生、万葉文化館のOさんにご紹介いただいた。Oさんは万葉の古筆切が…とおっしゃるので、何といっても文科省のお大師様が近年の権威者ですとお話し申し上げた。

 さて公演はといえば、いろいろ気になるところがあったが、観客はずいぶん入ってた。A師匠がお出ましにならぬのも、むべなるかな…という感じではありましたがな(ショウとしては定式化している)。「流れ」のほうでは、紹介された作に、現代語の活用形が混じっていたのが耳に立った。ご愛嬌といふべしや? 帰りがけにR様に、井上先生の会の折の御礼を申し上げ、W先生をご紹介した。

 同居人と酒を飲む。つまみは「うつぼの唐揚」。これは実にビールにはぴったりで、めっぽうかいに美味いですぞ。

 

 


8月10日(水)お茶の稽古

2011年08月10日 | 公開

 夕方からお茶の稽古に行く。先月は休止になったので、実に久しぶり。N師匠から「今日は小間でやります」と言い渡される。おお、いよいよ「山庵」! 二畳台目での点前は初めてだな。でも、移動が少ないから、こりゃ楽ちんである。人数が極端に少なかったので、通しで2度見ていただけた。ラッキー♡ しかしながら、「夜明けは近い」んだそうで、まだまだ「暁」は続く。

 掛物の字が読めますか?と問われる。ふむふむ「従流志不変」とな。「従」の字が読みにくいということか。禅僧の揮毫は我流も多く難しいや。席主さんにも後でそう言われた。

 N師匠と2人で近所の焼き鳥屋へ。毎日焼き鳥とは、痛風にはよろしからず。まあ、同居人もいないことだし、内緒にしておこう。

 帰宅したら、娘も帰っていた。明日から夏休みだが、海外へ行くから…と言われる。そんなの聞いてなかったぞ。もう、勝手にしなさい。

 

 


8月9日(火)一段落

2011年08月09日 | 公開

 社会人講座の4講目。来週はお盆休みで、その後の3講はA師匠にお願いしてある。そして、最終講は私がまとめることになっているから、受講者の皆さんとはしばしのお別れだ。

 「江戸・東京」というテーマが立てられている講座の1つなので、無理やり北村季吟に結び付けて「八代集抄」を取り上げたが、存外好評だった。版本は読みやすい。「一禅」などという、皆さん一瞬???という言葉も出てくるが、丁寧にご説明申し上げる(「一條禅閤」の略です)。A師匠、後をなに分よろしくお願い申し上げます。

 先週のボトルが残っているというので、何人かでまた「鳥徳」へ行く(目をつけていたワインバーは満員だった)。「鳥徳」も混んでいたが、しばらく待って2階の座敷にあげてもらえた。このお店は、ほんとうに昭和レトロである。ニンニクの芽は先週ほどには感動しなかったがな。最初に頼んだ「トマトハイ」も、ううう「生トマト…」ぢゃなかった。チューハイにトマトジュースが入れてあって、要するにブラッディ・マリーをロックにしたようなもの。最後にのり茶漬けを頼んで締めとする。

 これでひとまず仕事関係は一段落。やっとこさ夏休みを迎えたという感じがする。


8月8日(月)暑気払い

2011年08月08日 | 公開

 立秋日。同居人が関西出張に出掛けるので、駅まで送って行く。娘も今日は休暇をとったそうだ。昼は素麺にしてもらった。

 夕食は暑気払いの企画? その前に、「Cafe GOTO」へ開店20周年のお祝いのお花をお届けする。ひまわりを選んだ。気は心だ。

 18:00から「飯楽」に5名の教授が集合。まあ、昔の教務仲間という顔ぶれである。「ボス」に当たるT教授も上機嫌で、大学本部の裏話などを声高におしゃべりになる。だ、大丈夫かいな? M教授もだいぶお元気になったようである。このお店は、K教授のご推奨。A教授もあいかわらずの気炎を上げておいでだ。お嬢ちゃんの写真を見せていただく。A教授と奥さんと、どっちに似てるかなあ(A教授の奥さんを、私は学部の演習で教えたことがあるのだ)。

 3時間ほど飲み食いし、店を出て解散。安くて美味しうございました。さて、私は飯田橋まで坂を下り、地下鉄に乗る。もう1軒バーへでも…と思わんでもなかったが、同居人も留守だし、よしにしておいた。画像は本多横丁の月影。


8月7日(日)成績処理

2011年08月07日 | 公開

 修士の演習以外の成績処理を完了する。web上で処理する場合は、まだ少し余裕があるのだが、早くやっておくにしくはない。オンデマンド科目(100%web上で配信する科目)については、試験の正解と、成績処理に関するお知らせも送信した。0点の人は目をつぶって「F」(成績不良による不可)を付ける。よしんば「全出席」であっても、所期のレベルに達していなければ容赦はしない。文学部随一の「ドはまり」と評される所以である。結局、「A」以上は1割強ほどしかつかなかった。段トツの最高得点者は、私が卒論指導担当の文学部4年生だったのは、実に面目といふべし。


8月6日(土)たかはしはガラガラ

2011年08月06日 | 公開

 昼飯を食べに出たら、オープンキャンパスの来訪者がいっぱいで、一体どこへ入ればよいのやら。鰻屋は満員で断念、蕎麦屋も休業だった。思い立って「たかはし」へ行くと、案の定ガラガラ。「たかはし」は、一見さんにはちと入りにくい店構えだからなあ。土曜はどうせ客が来ないですよと、一人なのに四人掛けのテーブルを使わせてくださった。お刺身定食を注文。お箸は持参である。

 アイスコーヒーを飲みに「Cafe GOTO」へ寄れば、こちらも他にお客はいなかった。ゴトウさん、ラーメンを召し上がっている。向かいにあるお店から出前したんだと。商店街の付き合いだとか。といって、向うからの出前の注文は来ないらしい。明日が開店20周年記念日なのだそうである。銀座で祝賀会をなさるとか。おめでとうございます。私は以前の「ル・プティ・ニ」の時代から通っておったが、当時と店内の雰囲気は全く変わっておらん。こういうお店も貴重である。

 業務は四時前にはかたがついた。やれやれ、や~れやれ。