そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

8 月22日(土)その2

2009年08月22日 | 昔日記
 軽井沢駅で釜飯を買って朝食にしたのは失敗だった。朝から食うものではなかった。その昔、大学院の合宿で毎年軽井沢に来たが、横川駅で一同決まって峠の釜飯を買い、中軽井沢までに、急ぎ車中で食ったものだ。亡き指導教授は、釜飯がお好きだったのかな?

 軽井沢行きのバスの中で、K助手から学位請求論文の下読み稿を渡されたので、帰りの新幹線の中で読み始めた。一体どういう方向で博論纏めるのかなあと、一時は心配したが、りっぱに体系的な論文となった。Nさんの下読み稿もほどなく仕上がる。今、審査中の1200枚超の大論文が終わったら、研究指導を担当した両名の論文にかかることになる。修論の本数も多そうで、今年は大忙しだ。

 東京駅から御茶ノ水に移動、湯島聖堂の斯文会館に着いたのは9:50、もう参加者が大勢集まっておいでだ。今日はH先生がご欠席なので、蝦蟇油大学のI先生が肝煎り役。筒井紘一先生のご到着が少し遅れたので、予習の音頭取りをするよう命じられ、読み始めたところで筒井先生がお見えになった。ほっ。茶道資料館の文房具展のお話に始まり、テクストも少し読み進んだ。短冊の話が2つ出て来たので、面白かった。

 筒井先生とI先生に、最新の論文のコピーをお渡しする。茶掛がどうして捏造されるかについて、ちらった論じたもの。ありゃりゃ、誤植を見つけたぞ。「原懐紙」が1ヵ所「現懐紙」になっている。恥ずかしや。

 帰宅の途次、美容院へ寄ってパートナーから鍵を受け取る。明日から軽井沢へ学生引率なのだそうだ。ちょうど入れ違いだな。あちらは旧軽のちょっと北に大学の宿泊施設がある。沢屋のジャム買ってきて欲しい。

 目が疲れて死にそうだ。ナボリンを2錠飲む。夏のはじめ、左腕の関節の内側に汗疹ができ、それがいつまで経っても治らない。ようやく痒みは収まったが、皮膚が爛れてごわごわになった。情けない。 

8月22日(土)

2009年08月22日 | 昔日記
 学部コースの有志合宿で軽井沢に来た。昨日9:00にバスで出発して、12:30に到着、1時間後から6本の研究発表を聴く。内容は現代語、現代文学、洒落本、源氏物語(語彙、怨霊)、万葉集。結構ハード。安部公房の『箱男』なんぞ、なつかしく思い出す。高校の学園祭で、私、「箱男」になったもんね。でも、その発表自体は完全に社会学だった。

 教員は6名参加。うち2名は日帰りで、泊まったのは4名。20:00から懇親会で、中締めの後また飲み、1:30近くになってようやく退散した。この歳になるといささか辛いかも。

 雨が時々ぱらつくが、たいしたことはない。昨日は浅間山が見えた。浅間山の本意は何かという問題を、専門演習の学期末試験に出したが、出来はよかった。その演習の受講生も2名ばかり参加している。

 ようやく明るくなってきた。外は霧がたち込めている。朝飯食わずに、8:28の新幹線で帰京の段取りだ。10:00から御茶ノ水で桃夭会に出なければならない。「おぎのや」の釜飯でも食うべい。